第三章 転 節一 固有領域 項一 いざ行かん
「手始めにこの世界の果てまで行くとしよう」
クロが二人を置いて歩き出す。
クロの後を追って、剛と侑芽はマンションの外に出た。
「この世界の果て?どこだ、それ」
「ここはお前達二人の記憶の世界だろ。果てっていうのは二人の記憶の外って事だよ」
剛と侑芽が顔を見合わせる。
「俺達が知らない場所って意味か‥そういう事なら侑芽ーーお前、この近くの高木町って行った事あるか?俺はほとんど行った事がないけど」
「え?それってどっち方向?」
「あっちだ、北」
「無い。駅のない方はほとんど知らない」
「やはりそうだよなーーそれならクロ。こっちだ、北へ進もう」
二人と一匹はマンション前の坂を上がり、北へ向かって歩いていく。
「ねぇ剛、なんか景色が変‥薄くなってきているみたいだけど‥」
「そうだな‥俺達の記憶が曖昧になってきたって事か‥」
更に北へ進み続ける。
マンションを出て、三十分ほど歩いたところで剛が足を止めた。
「こういうことかーーなるほど果てだな」
目に映っていた街並みが無くなり、目の前には白い世界だけが広がっていた。
「これが果てって事か?クロ」
「そうだーーそれじゃ始めようか」
クロがそう言った瞬間、目の前の白い世界に大きな穴が開き、その中に見知らぬ風景が現れた。
「これは‥この向こうが固有領域なのか?」
いきなり何処か山の麓にでも連れて来られたようだった。
眼前には湖があり、それを森が囲み、その奥には連なる山々が見える。
「これは俺の記憶が展開した固有領域さーーさてと、中へ入るとするか。同じタイミングで飛び込むんだぞ。遅れたら逸れるからな」
剛が侑芽を見た後で頷く。
「分かったーーそれなら一、ニの、三で行こうーー行くぞ、一、ニの、三!」
二人と一匹が同時に固有領域へ飛び込むと、それまで居た世界が背後で瞬時に閉じて消えていった。
「消えた‥」
剛と侑芽が後ろを振り返り、呆然となっている。
「乗り遅れると前の世界に取り残されるから注意しろよーーまぁ正確には新しく開いた世界の記憶を持つ者より遅れるなって事だがな」
「う、うん‥なんか面倒くさいルールなのね」
「要は皆んなして一緒に飛び込めばいいんだろ、わかった」
「ルールはそれだけじゃないーーそれじゃ次は迷子対策をしておこうか」
「迷子対策って何だよ?」
「俺は固有領域の記憶を持っているから世話ないが、二人は固有領域の記憶は皆無だろ」
「そうだな。全く無い」
「私も無いわ」
「もし固有領域で俺と逸れ、迷子になったらどうする?」
考える剛と侑芽が二人して空を見上げる。
「この世界の果てへ行けばいい‥のか」
「そうだな。この位置からなら二人とも直ぐにこの世界の果てへ行けるだろうーーではこの先、固有領域の奥へ進んだ時、剛と侑芽だけでこの世界の果てにどうやって辿り着く?」
「う〜ん‥来た道を戻るのかしら?」
「まぁ正解だ。もし道を間違えたとしても二人にとって知らない場所へ行ければ、そこがこの世界の果てになる。そこからなら記憶にある世界が再展開できるから、固有領域からも出られる。だが‥」
「だが?」
「逸れるたびに毎回この世界から出るってのは面倒すぎるだろ。だから逸れた時の再会場所をこの固有領域の中で決めておくのさ」
「なるほどなーーそれでどうするんだ?」
「先ずは目印になる物を決める。二人とも何か特徴のある物を持ってないか?」
「私は社を掃除中だったから何も持ってないよーー剛は?」
「俺か‥あっ、ポケットに何かある‥これ一昨日、お前から貰ったお守りだ」
剛がポケットから取り出したのは、白い錦織りの袋に赤い紐が付いたお守りだった。
「それでいい。それをそうだなーーあの木の枝に結んだらーー後はその木の幹に覚えやすい目印の傷を彫っておくんだ」
半信半疑の顔つきで剛は、お守りを木の枝に結びつけ、拾った鋭利な岩の欠片で木の幹を彫っていく。
「これでいいか」
「ちょ、ちょっと剛!何でアイアイ傘なんて書いてんのよ」
「目立つからいいだろ」
「やめてよ、もう〜」
こいつらには緊張感ってものがないのか‥。
クロが顔を背ける。
「ーーそれで?これが何になるんだ?」
「それを今から話す。先ずはお守りと木の傷をしっかり見て覚える」
お守りと傷のつけられた木の幹を、剛と侑芽が見つめる。
「固有領域での基本的な歩き方は、行きたい場所にある唯一のものを強くイメージする事さ。イメージしたものがこの世界で唯一のものなら、目の前に空間が開き、その中に行きたい場所が展開されるーーお前達の世界で言うテレポートに近いもんだ」
クロの説明を聞いた剛と侑芽がまた空を見上げる。
「そうか!迷子になったら、このお守りと木の傷を思い出せば、ここに戻って来れるって事なのね」
「その通りだーーあと迷子だけじゃなく緊急避難にも使える」
「緊急避難?そんな危険になる事があるのか?」
「この世界には住人の他にも獣や魔物の類までいるからな。安全とは言い切れない」
「魔物?待ってくれ!そんな規格外の連中相手に対抗する方法なんて有るのか?」
「俺ならまだしも二人には無理だな。だから俺がいない時は先ず遭わない事、遭っても戦わない事だ」
「私達が遭わないようにしたって、向こうから来たらどうするのよ」
「逃げるんだーー緊急避難はいま教えたよな」
クロは澄まし顔である。
「とりあえずは分かったーー他にルールは?」
「ルールとは少し違うがーー固有領域の住人は二人と同じ人の姿をしている。あと姿は少し違うがエルフやドワーフも人として見ていい、無害だ」
「エルフ?ドワーフ?そんなのもいるのか」
「ここはワールドワイドなお伽の国だからなーーあと、こちらから仕掛けなければ基本的には獣も無害だ。ヤバいのは魔物の類だーーまぁ、魔物は見ればすぐ分かるから、見つけたら逃げるに限る」
「そうなると情報収集は住人かエルフ、ドワーフからって事か」
「どこに行けば会えるのかしら?」
「連中なら大概は集落を作っている、そいつを探すしかない」
「どうやって探すんだ?」
「道があるって事は、進めばその先でいつか集落にも辿り着く」
「クロさん、それ本気で言ってる?」
「このタイミングで俺が冗談言うと思うか?ーー向こうの世界と違って、この世界には地図もナビも無いんだぜ」
「頼りは自分の足だけって事なんだなーーそれはそうと、もう陽が暮れ始めているが、夜はどんな感じになるんだ?」
「夜は比較的静かだぜ。魔物も殆ど夜は活動しないからなーーそれでも一部夜行性の獣はいるから注意は必要だ」
「街灯があるわけじゃなし、大人しくしていた方が無難って事か」
「そうだ、夜に動けば逸れるリスクも上がる」
「ーーよし、今夜はここで野営して、集落の捜索は明日朝から開始しよう」
お守りを付けた木の下で二人と一匹は夜明けを待つことにした。




