第7話 天使は原作との違いに気づき始める
七歳の夏。
アシュフォード子爵領には、爽やかな風が吹いていた。
領民たちは収穫祭の準備に忙しく、街には活気が満ちている。
そして子爵家の庭園では――
「……おかしいですわ」
エミリア・アシュフォードが深刻な顔で唸っていた。
机の上には例のノート。
『へいおんなみらいけいかくしょ』
最新版である。
ページをめくる。
『せどりっく』
遭遇済み。
『のあ』
遭遇済み。
『るーく』
遭遇済み。
「……」
エミリアは黙った。
そしてもう一度見た。
やはり変わらない。
「おかしいですわ」
大事なことなので二回言った。
本来なら。
この時期に出会っているのは王太子だけだったはずだ。
セドリックも。
ノアも。
ルークも。
もっと後だった。
なのに。
もう三人とも知り合いである。
「なぜですの……」
頭を抱える。
平穏を目指した結果、なぜか出会いの数が増えている。
意味が分からない。
◇◇◇
さらに気になることがあった。
「お嬢様」
「はい?」
マリアがやってくる。
「お手紙です」
「おてがみ?」
「ええ」
エミリアは受け取った。
差出人を見る。
そして固まった。
「……」
「お嬢様?」
「……」
手紙には綺麗な文字で書かれていた。
セドリック・ヴァレンティア
と。
「なぜですのーーーー!?」
叫んだ。
マリアが飛び上がる。
◇◇◇
数分後。
エミリアは手紙と睨み合っていた。
何度見ても現実だった。
公爵家からの手紙。
しかも本人。
「いや、なぜですの?」
本当に分からない。
原作を思い出す。
セドリックは基本的に無口。
友達も少ない。
手紙を書くタイプではない。
なのに。
「どうしてですの……」
恐る恐る開封する。
中には短い文章。
『先日はありがとう』
『怪我はしていないか』
『最近読んだ本が面白かった』
『もし良ければ感想を聞かせてほしい』
終わり。
それだけ。
だが。
「おともだちみたいですわ」
エミリアは遠い目をした。
友達になった覚えはない。
たぶんない。
きっとない。
だが内容は完全に友達への手紙だった。
◇◇◇
その日の午後。
エミリアは図書室にいた。
気持ちを落ち着かせるためである。
「本を読みますわ」
現実逃避ともいう。
だが。
途中であることに気づいた。
「……あれ?」
本棚の一角。
前世の記憶と違う。
いや。
正確には。
存在するはずの本が存在しなかった。
歴史書である。
「おかしいですわね」
記憶違い?
そう思って別の本を開く。
読む。
ページをめくる。
そして。
エミリアは目を見開いた。
「え?」
内容が違った。
原作で読んだ歴史と。
今の歴史が。
少しだけ。
ほんの少しだけ違っている。
◇◇◇
その夜。
父の書斎。
「おとうさま」
「どうした?」
「このかた、ごぞんじですか?」
歴史書を差し出す。
子爵は頷いた。
「ああ」
「ゆうめいですの?」
「かなり有名だぞ」
エミリアはさらに混乱した。
原作にはいない人物だった。
少なくとも記憶にはない。
しかし歴史上の重要人物らしい。
「……」
嫌な予感がした。
とても。
◇◇◇
部屋へ戻った後。
エミリアはベッドに腰掛ける。
整理する。
まず。
攻略対象との出会いが早い。
次に。
セドリックから手紙が来た。
そして。
歴史が少し違う。
「……」
沈黙。
やがて。
ぽつりと呟く。
「もしかして」
その可能性は考えたくなかった。
だが。
考えなければならない。
「原作と完全には同じではない?」
前世の知識が万能ではない。
未来が確定しているわけではない。
むしろ。
既に変わり始めている。
その可能性。
エミリアはぞくりとした。
◇◇◇
一方その頃。
王都。
公爵家。
セドリックは机に向かっていた。
「坊ちゃま」
「なんだ」
「返事が楽しみですか?」
執事が微笑む。
セドリックは眉をひそめた。
「別に」
「そうですか」
「ただ」
「はい」
「エミリアと話すと面白い」
執事は少し驚いた。
あのセドリックが。
他人を面白いと言った。
初めてかもしれない。
そして王城では。
「またその名前ですか」
補佐役が呆れていた。
「何度目でしょうね」
「別に」
レオナルドはそっぽを向く。
「ただ気になるだけだ」
「はいはい」
「本当に」
「そういうことにしておきましょう」
全く信じられていなかった。
◇◇◇
そして当の本人。
エミリアはベッドに倒れ込む。
「これはまずいですわ……」
前世の記憶だけを頼りに生きるのは危険かもしれない。
そう思い始めていた。
だがまだ。
彼女は知らない。
もっと大きな違和感が。
もっと大きな変化が。
すぐ近くまで迫っていることを。
そして。
本来の物語には存在しなかった出来事が、まもなく始まろうとしていることを。




