第6話 天使は王太子の記憶に残ってしまう
王宮お茶会から一か月。
エミリア・アシュフォードは大変ご機嫌だった。
なぜなら。
「かんぺきですわ」
朝食を食べながら満足そうに頷く。
向かいの父が首を傾げた。
「何がだい?」
「なんでもありませんわ」
「そうか?」
「そうですわ」
ふふん、と得意げな顔。
子爵夫妻は微笑ましく見守る。
最近の娘は少し大人びた。
けれど時々こうして年相応の顔も見せる。
実に可愛い。
親馬鹿フィルター全開である。
しかしエミリア本人は真剣だった。
(あのお茶会以来、なにも起きておりませんもの)
重要である。
とても重要である。
原作ならば。
王太子との交流が始まっている。
手紙が届く。
お茶会へ招待される。
王宮へ出入りするようになる。
そして物語が動き出す。
だが現実はどうだろう。
何もない。
実に平和。
(やはり回避は成功でしたわ)
勝った。
運命に勝った。
そう信じていた。
◇◇◇
同じ頃。
王城では。
「殿下」
「うん?」
「その書類は逆です」
「あ」
レオナルド王太子はぼんやりしていた。
補佐役の青年がため息をつく。
最近こういうことが増えた。
決して怠けているわけではない。
ただ考え事が多いのだ。
「何か気になることでも?」
「別に」
「本当ですか?」
「本当」
嘘だった。
全然本当ではない。
レオナルドは窓の外を見る。
そして思い出す。
金色の髪。
青い瞳。
逃げる背中。
『知りませんわ』
あんなに即答されたのは初めてだった。
「……」
なんだろう。
別に恋ではない。
まだ八歳だ。
そんなもの分からない。
ただ。
妙に気になる。
「アシュフォード子爵家ってどんな家だっけ」
「はい?」
補佐役が目を瞬く。
「なぜです?」
「ちょっと」
「ちょっと?」
「気になっただけ」
絶対ちょっとではない。
だが補佐役は賢かった。
何も言わない。
代わりに。
「領地経営が上手な家ですね」
「へえ」
「民からの評判も良いそうです」
「そうなんだ」
「それだけですが」
「……そう」
少し残念そうだった。
◇◇◇
一方。
平穏を満喫していたエミリアだったが。
人生はそう簡単ではない。
「エミリア」
ある日の午後。
母が珍しく困った顔で訪ねてきた。
「少し相談があるの」
「なんでしょう?」
「実はね……」
嫌な予感がした。
非常に。
母は続ける。
「王都の親戚の家へ行くことになったの」
エミリアは瞬いた。
「お出かけですの?」
「ええ」
「それだけですわよね?」
「それだけよ」
ほっとする。
親戚訪問なら問題ない。
攻略対象もいない。
事件もない。
平和。
最高。
しかし。
「親戚のお子様とも仲良くしてね」
「はい」
「あなたと同い年くらいだったかしら」
「そうですの」
エミリアは気楽だった。
本当に気楽だった。
なぜなら。
原作にそんなイベントは存在しないから。
◇◇◇
三日後。
王都。
親戚の屋敷。
「ようこそいらっしゃいました」
「お久しぶりです」
大人たちが挨拶を交わす。
エミリアも礼儀正しく頭を下げた。
「エミリア・アシュフォードですわ」
「まあ、本当に可愛らしい」
「ありがとうございます」
営業スマイル。
もはや習慣だった。
すると。
「ルーク」
親戚の伯母が呼ぶ。
「こちらへいらっしゃい」
「はい」
少年が現れた。
茶色の髪。
優しそうな顔。
年齢は七歳くらい。
普通の子だ。
たぶん。
「エミリアちゃんと遊んであげてね」
「分かった」
にこりと笑う。
エミリアも笑顔を返した。
「よろしくおねがいしますわ」
「よろしく」
問題なし。
平和。
実に平和。
◇◇◇
――のはずだった。
「え?」
庭園で遊んでいた途中。
エミリアは固まった。
「ルーク様?」
「うん」
「まさか」
「?」
「おとうさまのお名前は?」
「騎士団長だけど」
エミリアは天を仰いだ。
いた。
いたではないか。
攻略対象その三。
ルーク・ハワード。
騎士団長の息子。
原作では爽やか系幼馴染ポジション。
ヒロインの良き理解者。
そして当然。
恋愛候補の一人。
(なんでおりますの!?)
聞いてない。
そんなの聞いてない。
親戚の知り合いだったらしい。
世界が狭い。
貴族社会怖い。
「どうしたの?」
「なんでもありませんわ」
「顔色悪いよ?」
「きのせいですわ」
気のせいではない。
現実逃避である。
◇◇◇
その後。
エミリアは必死に距離を取ろうとした。
だが。
「これ重いね」
ルークが荷物を持ってくれる。
「ありがとうございます」
「危ないよ」
段差で手を貸してくれる。
「ありがとうございます」
「花が好きなの?」
話しかけてくる。
「はい」
優しい。
とても優しい。
原作通りだった。
(なんで攻略対象はみんな良い人なのですの……)
悪人なら避けやすい。
しかし皆まとも。
だから困る。
◇◇◇
帰宅後。
エミリアはベッドに倒れ込んだ。
「またふえましたわ……」
攻略対象。
三人目。
遭遇。
しかも普通に仲良くなってしまった。
平穏計画は順調なのか。
順調じゃないのか。
もう分からない。
しかし。
彼女はまだ知らない。
本来の物語では。
七歳時点で攻略対象全員と出会っているわけではなかったことを。
セドリックとも。
ノアとも。
ルークとも。
もっと後になってから出会うはずだった。
つまり。
フラグを避けようとしているエミリアは。
原作以上の速度で物語の中心に近づいているのである。
そして王都では。
「エミリア・アシュフォード……」
王太子レオナルドが再びその名前を呟いていた。
会いたい理由はまだ分からない。
ただ。
忘れられない。
それだけは確かだった。
平穏を目指す天使は今日も気づかない。
運命の方が、彼女を追いかけ始めていることに。




