第5話 天使は未来を変えてしまう
ノアを助けた出来事から数か月。
エミリア・アシュフォードは七歳になっていた。
そして現在――
「……来てしまいましたわ」
馬車の中で遠い目をしていた。
窓の外には王都。
そして遠くに見える王城。
今日はついに。
原作第一巻の始まり。
王宮お茶会の日である。
エミリアにとって最大級の危険日だった。
「そんなに緊張しているの?」
母が微笑む。
「大丈夫よ」
「そうですわね……」
大丈夫ではない。
全然大丈夫ではない。
今日を乗り切れるかで人生が決まる。
少なくともエミリアはそう思っていた。
(落ち着くのですわ)
深呼吸。
(原作通りにならなければいいのです)
王太子と出会わない。
これだけ。
ただそれだけ。
難しそうで実は簡単。
近づかなければいい。
見つけても逃げればいい。
話しかけなければいい。
完璧な作戦だった。
◇◇◇
王宮は豪華だった。
磨き上げられた大理石。
美しい庭園。
巨大な噴水。
前世の記憶があっても圧倒される。
さすが王家。
お金持ちである。
「まあ!」
「素敵ですわ!」
周囲の子供たちは大興奮だ。
だがエミリアは違う。
警戒していた。
非常に警戒していた。
敵地に潜入した諜報員くらい警戒していた。
(どこですの)
王太子。
(どこにおりますの)
危険人物。
いや危険人物ではない。
良い人である。
原作でも人気キャラだった。
ただエミリアにとっては人生を変える人物なので危険なのだ。
◇◇◇
お茶会が始まって一時間ほど。
今のところ順調だった。
王太子の姿は見ていない。
攻略対象も見ていない。
最高である。
(このまま帰りたいですわ)
心の底からそう思った。
その時。
「お嬢様?」
侍女のマリアが声をかける。
「少し顔色が優れませんね」
「そうですの?」
「お疲れでは?」
確かに。
緊張しっぱなしだった。
「庭園で休まれては?」
「それは名案ですわ」
エミリアは即座に賛成した。
休憩大事。
平穏大事。
そして庭園なら人も少ない。
安全。
たぶん。
◇◇◇
その判断が間違いだった。
庭園へ出て数分後。
エミリアは立ち止まった。
「……」
見つけてしまった。
原作の有名シーン。
迷子イベント。
噴水の近く。
ひとりの少年が困った顔で周囲を見回している。
金髪。
青い瞳。
整った顔立ち。
年齢は八歳くらい。
間違えるはずがない。
(レオナルド王太子ですわーーー!!)
内心で悲鳴を上げる。
いた。
本当にいた。
原作通り。
完璧に原作通り。
どうして護衛がいないのかは知らない。
だがいる。
王太子がいる。
イベントが発生している。
(逃げますわ)
即決だった。
関わらない。
絶対に関わらない。
今ならまだ間に合う。
そう思った瞬間。
「……あ」
王太子がこちらを見た。
目が合った。
数秒。
沈黙。
(終わりましたわ)
エミリアは悟った。
だが諦めない。
踵を返す。
歩く。
早歩き。
逃走開始。
◇◇◇
一方。
レオナルドは驚いていた。
ようやく人を見つけたと思った。
なのに。
逃げられた。
「……なんで?」
普通は話しかける。
貴族の子供ならなおさらだ。
王族相手なら喜ぶ。
それが当たり前。
なのに。
あの少女は逃げた。
本気で逃げた。
しかもものすごく自然に。
「待って」
思わず声をかける。
少女の肩がぴくりと震えた。
だが止まらない。
むしろ速くなった。
「待って!」
今度は少し大きな声。
少女は観念したように振り返った。
その顔を見た瞬間。
レオナルドは息を呑む。
綺麗だった。
金色の髪。
澄んだ青い瞳。
そして。
困ったような表情。
まるで物語の妖精みたいだった。
「……なにかごようでしょうか」
警戒されていた。
かなり。
レオナルドは少し傷つく。
「僕、道に迷ったんだ」
「そうですの」
「知ってる?」
「知りませんわ」
即答だった。
知っている。
エミリアは知っている。
なぜなら原作で読んだから。
だが言わない。
絶対言わない。
するとレオナルドは困ったように笑った。
「そっか」
「そうですわ」
「でも一人なんだ」
「そうですの」
「少しだけ一緒にいてくれない?」
「……」
エミリアは固まった。
その笑顔。
原作でも描写されていた。
人懐っこくて優しい王太子。
だから人気があった。
だが。
(だまされませんわ)
危険。
非常に危険。
ここで一緒にいたらイベント成立である。
エミリアは必死に考えた。
そして。
名案を思いついた。
「でしたら」
「うん?」
「衛兵さんを呼びますわ」
「えっ」
「それがいちばんですわね」
完璧だった。
大人に任せる。
正しい。
非常に正しい。
◇◇◇
数分後。
王宮中が騒ぎになった。
「殿下!」
「ご無事でしたか!」
護衛たちが青ざめて駆け寄る。
レオナルドは少し不満そうだった。
「もう見つかった」
「当然です!」
当然だった。
一方。
エミリアは隅の方で小さくガッツポーズをしていた。
(勝ちましたわ)
回避成功。
イベント破壊成功。
原作終了。
完璧である。
もう大丈夫。
平穏な未来は守られた。
そう信じていた。
◇◇◇
その日の夜。
王城。
レオナルドは自室で考え込んでいた。
「殿下?」
家庭教師が首を傾げる。
「どうかなさいましたか」
「ねえ」
「はい」
「エミリア・アシュフォードって知ってる?」
家庭教師が瞬いた。
「今日のお茶会に参加していた子爵令嬢ですね」
「そう」
レオナルドは頬杖をつく。
「変な子だった」
「変?」
「僕から逃げた」
「……は?」
家庭教師は聞き間違いかと思った。
だがレオナルドは真面目だった。
「みんな近づいてくるのに」
「まあ、そうでしょうね」
「でもあの子は違った」
少しだけ。
ほんの少しだけ。
楽しそうに笑う。
「面白かった」
◇◇◇
同じ頃。
アシュフォード家では。
「ふふふ」
エミリアがご機嫌だった。
「お嬢様?」
「なんでもありませんわ」
マリアは首を傾げる。
だがエミリアは満足だった。
今日の自分は完璧だった。
王太子と恋に落ちていない。
迷子イベントも潰した。
未来は変わった。
絶対に変わった。
そう。
変わってしまったのだ。
本来なら優しく助けてくれる少女に惹かれるはずだった王太子は。
本来とは違う理由で。
エミリアという少女を忘れられなくなっていた。
だが本人だけは。
その事実にまったく気づいていなかったのである。




