第3話 天使は社交界デビューを回避したい
エミリアが前世の記憶を取り戻してから、半年が過ぎた。
六歳になった彼女は、ある意味で順調に成長していた。
勉強もする。
礼儀作法も学ぶ。
歴史や地理も覚える。
剣術は嫌なので断固拒否した。
「お嬢様、少しくらいは運動も必要ですよ?」
「いやですわ」
「なぜです?」
「つかれますもの」
「それはそうですが」
「つかれますもの」
大事なことなので二回言った。
マリアは苦笑する。
最近のお嬢様は賢くなった。
だが時々、妙なところで子供らしい。
そのギャップが可愛かった。
もっとも――
エミリア本人はそんなことを考えている余裕はなかった。
なぜなら。
(あと一年ありませんわ……)
王宮お茶会まで、残りわずかだったからである。
◇◇◇
原作の記憶によれば。
七歳の春。
王宮で開かれる子供向けのお茶会。
そこでヒロインのエミリアは王太子レオナルドと出会う。
迷子になった王太子。
偶然出会うヒロイン。
優しく声をかける。
王太子が一目惚れ。
完璧だった。
実にラノベらしい。
(現実なら護衛は何をしているのですの)
エミリアは何度考えても納得できなかった。
王太子である。
次期国王である。
そんな子供が迷子になるな。
護衛は仕事しろ。
しかし原作はそうなっていた。
だからこそ危険なのだ。
(迷子の王太子を見つけても近づいてはいけませんわ)
鉄則である。
(わたくしは見なかったことにします)
薄情?
違う。
平穏のためだ。
未来の自分を守るためだ。
◇◇◇
そんなある日のことだった。
「エミリア」
「はい、おかあさま」
母が珍しく浮き立った様子で声をかけてきた。
「来月、伯爵家の茶会に招待されたの」
エミリアの笑顔が固まった。
「……ちゃかい」
「ええ」
嫌な予感。
ものすごく嫌な予感。
「同年代のお子様もたくさんいらっしゃるそうよ」
「そうですの」
「楽しみね」
全然楽しくない。
むしろ危険だ。
原作を思い返す。
攻略対象は王太子だけではない。
公爵令息。
侯爵令息。
騎士団長の息子。
天才魔導師。
将来有望な人材が山ほどいる。
そして貴族の茶会とは。
そういう未来の有力者たちが集まる場所だ。
(罠ですわ)
間違いない。
(これは罠ですわ!)
社交界そのものが罠だった。
◇◇◇
当日。
エミリアは馬車の中で死んだ目をしていた。
「楽しみねぇ」
母はご機嫌である。
「……そうですわね」
「お友達ができるかもしれないわ」
「そうですわね」
魂が入っていない。
母は少し不思議そうにした。
昔は外出を楽しみにしていた娘が、最近は妙に慎重だ。
だが理由は分からない。
エミリアは窓の外を眺めながら考えていた。
(まず落ち着きましょう)
攻略対象が必ずいるとは限らない。
ただの茶会かもしれない。
そう。
考えすぎだ。
きっとそうだ。
そんな風に自分を安心させていた。
数十分後。
伯爵家の屋敷に到着する。
豪華な庭園。
立派な噴水。
大勢の貴族たち。
そして。
「まあ、あの方がヴァレンティア公爵家のご嫡男ですのね」
どこかの令嬢の声が聞こえた。
エミリアの表情が消えた。
(いましたわ)
攻略対象その一。
セドリック・ヴァレンティア。
原作では冷徹な天才。
後に公爵となる人物。
そしてヒロインに惹かれる男の一人。
現在八歳。
銀髪。
紫の瞳。
既に美少年だった。
(帰りたいですわ)
心からそう思った。
◇◇◇
幸い。
セドリックはエミリアに興味を示していなかった。
少なくとも今は。
だからエミリアは壁際で気配を消す。
お菓子を食べる。
ジュースを飲む。
気配を消す。
完璧だった。
(これですわ)
理想の立ち回り。
目立たない。
関わらない。
平和。
素晴らしい。
そう思った時だった。
「痛っ」
小さな声が聞こえた。
振り向く。
庭の隅。
子供たちから少し離れた場所。
ひとりの少年が倒れていた。
見覚えがあった。
銀髪。
紫の瞳。
公爵令息。
(セドリックですわ!?)
なぜこんなところに。
見ると足元に石がある。
転んだらしい。
少年は立ち上がろうとしていた。
だが周囲の子供たちは気づいていない。
気づいていても近寄らない。
近寄り難い雰囲気があるからだ。
(関わらない方がいいですわよね?)
心の声。
そう。
関わればフラグになる。
危険だ。
未来が変わる。
だから。
だから――
「……」
エミリアはため息をついた。
「しょうがありませんわね」
小さな足で歩き出す。
そしてセドリックの前でしゃがみ込んだ。
「だいじょうぶですの?」
少年が顔を上げる。
驚いたような紫の瞳。
「……平気だ」
「ひざ、すりむいておりますわ」
「この程度」
「いたいものはいたいですわ」
エミリアはハンカチを差し出した。
「どうぞ」
セドリックは固まった。
なぜなら。
誰も近寄ってこなかったから。
幼い頃から優秀だった。
優秀すぎた。
周囲は遠慮する。
距離を置く。
敬う。
だが目の前の少女は違った。
普通に話しかけてきた。
普通に心配している。
それだけだった。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
エミリアはにっこり笑った。
それは周囲から天使と呼ばれる笑顔だった。
そして。
(これでおしまいですわ)
くるりと踵を返した。
去る。
即座に去る。
長居は危険。
フラグになる。
だから撤退だ。
「まって」
後ろから声がした。
エミリアの背中が硬直する。
(きましたわ)
フラグの気配。
非常に嫌な予感。
振り向くと。
セドリックがじっとこちらを見ていた。
「名前を聞いてもいいか」
終わった。
エミリアは確信した。
何かが始まった気がする。
全然嬉しくない。
だが無視もできない。
「エミリアですわ」
「エミリア……」
セドリックはその名前を繰り返した。
まるで覚えるように。
しっかりと。
丁寧に。
そして。
「僕はセドリックだ」
「しっておりますわ」
「……そうか」
少しだけ。
本当に少しだけ。
彼は笑った。
原作では滅多に笑わない少年が。
初めて。
穏やかな笑みを浮かべた。
その頃。
エミリアは心の中で泣いていた。
(平穏が逃げていきますわーーー!)
努力している。
本当に努力している。
だが。
どうやら運命というものは。
彼女が思っている以上にしつこいらしかった。




