第27.5話: 幕間:おほしさま
食卓の銀のスプーンが、冷たかった。
指の腹に鉄の味のひんやりが上がってきた。いつものじゃない。木のあたたかい星の柄のあのスプーンじゃない。
右手をそっと膝へ下ろした。寝巻きの薄い布の温かい場所に星のスプーンが握られていた。朝、両手でここまで連れてきたのだ。
向かいのお父さまのとなりに知らないひとがすわっていた。きんいろのかみ。あおいドレス。わらうくちもと。こわくはない。でもちかづきたくなかった。
麦粥の湯気がのぼってきた。いつもの甘いにおい。今日はのどの下がつまっていてはいっていかなかった。
フィオナせんせいのごはん。朝はいつもせんせいがちいさく切ってくれる。銀のスプーンはマティアスのくちよりもおおきい。
銀のスプーンを器の端っこにそっとおいた。硬い木の上でカチンと音がした。
「……フィオナせんせいの、ごはんが、いい」
声はのどの上の層で震えた。震えたままあおいドレスのリボンの方へころんと落ちた。
知らないひとのわらう形が半拍止まった。眉の先がぴくりと上がった。
「まあ。朝からわがままを言わないでちょうだい、マルティン」
マルティン。
膝の上で星のスプーンのいちばん外側の角が指の柔らかい場所に沈んだ。
ぼく、マルティンじゃない。
言葉はのどの下の層に積もった。のぼせたらこのひとのわらう形がこわれてしまう。こわれたらお父さまがこわい声を出すかもしれない。
マティアスは両手を膝の下の影の場所へ深く押し込んだ。星のスプーンの握りが寝巻きの裾のふちにしずかに入り込んだ。
「お行儀よく、いい子にしていてね」
知らないひとの声は砂糖の甘い粉のにおいがした。そのしたに硬い瀬戸物のつめたい匂いが一緒にしていた。
膝の上で両手をひらいた。あたたかい場所に星の五つの角が沈んだ。柘植の甘い青い匂いが膝の温度の方へ一粒のぼってきた。
フィオナせんせいの、にほい。
——ずっと、もつ。
ゆうべ門の前で交わした宣言を両手でもう一度握りなおした。
食堂の高い天井の金のふちから朝のうすい光が白いクロスの上に一筋落ちていた。
膝の上の指のあいだから星の角が裾の毛羽の上にしずかに顔を出した。その角は朝の光の中には入らなかった。膝の影の深いところにとどまったまま、小さな胸の奥の鼓動のひと拍に合わせてそっとあたたかくなっていった。
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第三十二話「二通目の手紙」は、第三アーク「承」の五話目。「承」から「転」へ橋を架ける一話です。
前置きのない一行——「イルマ奥様が、お亡くなりになりました」。三年間フィオナを邸に留めた盾であり、冬の病床で「置き土産」を準備しておられた方の最後の一拍が、辺境まで二月遅れて届きました。
逆証明はこの話で完成しました。エミリア様、マティアス様、ルーカス様——それぞれに、クラウス先生の冷たい筋が重なります。壇上の十歳は、ご自分の意志で、二本目の縦線を外されました。
ヒルデ様の半寸。教鞭を持たない両手、戸の木の縁に置かれた指。翌朝の親指の位置が、半寸だけ外側へずれていました。この半寸が、アーク4の再会への、最初の伏線になります。
フィオナは、子供のいない林の縁で、鉄則の一枚目を外しました。同じ日の午後、トビアスの椅子の脚が、投げられずに、半寸、戻されました。
次話「全部、覚えている」からは、アーク3の「転」です。棚の一段目の五冊の背表紙に、ある日、十二歳の指先が触れる日がやってまいります。
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