第一話
「……」
マリーは建物と庭園の境目にある傾斜の芝生で大の字に引っくり返り、ボンヤリと雲1つ無い夏の空を眺めていた。
彼女の身体は傍らに立てられたパラソルのおかげで、昼下がりの強い日光からはしっかり守られている。
そこはキャクストン邸とその敷地内にある教会の渡り廊下に近く、使用人やシスターたちなどが通りかかるが、毎度の事のため、少し視線を向けるだけで誰も何も言わない。
マリーの傍らには、どこからかやってきた野良猫が2匹伸びて寝ていた。
ん? 置き忘れかな?
のどかとしか言いようがないそんなところへ、『王国』出身で今は庭師見習いのジョンがパラソルを片づけに建物の方からやって来た。
「うわぁッ!」
危うくマリーに気付かず、彼女を踏んづけかけてのけぞったジョンは、
「うわああああ!?」
そのまま転倒して下まで転がり落ち、そこにある池に落下する寸前で止まった。
「ひい」
彼は慎重に這って歩き、なんとか池の淵から脱出した。
「?」
驚いて逃げた野良猫が茂みに逃げ込んだところで半身を起こしたマリーは、眼下にいるそんなジョンを見下ろして不思議そうな顔をする。
「すりるがまんてんでたのしそうだな」
「いや事故っすマリー様……」
「じこか。まねしようとおもったのに」
「事故じゃなくても危ないんでやめてください……」
「そうか」
えっちらおっちら上がってきた頭に芝をつけているジョンへ、マリーは珍獣でも見るみたいな目で話しかけて、一連の流れが遊びじゃないと聞いてちょっとがっかりした。
「で、なにかようか。にわしみならい」
特にマリーへの用事はないが、パラソルを片づけようとした事をジョンは説明した。
「にわしみならいもいっしょにねころがりたいのかとおもったぞ」
「いえ、いい年こいて流石にそれはちょっとアレなので……」
「なんだ。つまんないー」
マリーはさらに残念そうな表情になって、ポテっと再び引っくり返った。
「あはは……。ところでなんか面白い物でもあるんです?」
もう彼女に絡まれすぎて、独特の感覚に慣れたジョンは苦笑いしつつ、被っていたハンチングで自分を扇ぎつつマリーへ訊ねる。
彼から見れば、鳥すら飛んでいないただ蒼いだけの空にしか感じられない。
「ないぞ。にわしみならいはおもしろいことをいうんだな」
「はあ……」
マリーは首だけを動かしてジョンを見て、キョトンとした表情を浮かべる。
「じゃあ、いったい何を?」
「そらをみていた」
「空を」
「そらはあおい」
「ですね」
「どこまでもひろがっているようにみえる」
「ですか」
「でもひろがってないきもする」
「はあ……?」
「よるはまっくらだ」
「暗いですね」
「でもキラキラしてたりする」
「しますね」
「いじょうおわりだ」
「なるほど……?」
話の意図がよく分からなかったジョンだが、マリーが満足そうにハミングしだしたので良しとする事にした。
「あおーそらーあおー、くもーしろーよるーくろーきらきらー」
すると音階がかなり適当な歌に発展して、なにか重要な預言なのでは? と思ったジョンがシスターを呼ぼうと立ち上がろうとしたが、
「てきとうにうたっただけだ。てんけいとかそういうのじゃない」
「……さいですか」
マリーが自ら否定したのでゆっくりと彼は座り直した。
感覚自体には慣れはしたジョンだが、そのつかみ所の無さには未だになれることが出来ないでいた。
「おさとーぱらぱらーどーなつーべりーたるとーほうせきーあまあまー」
興が乗ってきたマリーは、歌いながら腕をパタパタ上下させ始めた。
「マリー、おやつが食べたいんですね」
礼拝に向かうため近くを通りかかった、いつもより妙に護衛を連れたセレナが、その歌声を聞いてそんなマリーに訊ねる。
「せれなおねーさまー」
「あ、ども……」
「ジョンさんもどうも」
素早く立ち上がって敬礼したジョンは、多少気まずそうな顔で挨拶をするが、セレナはあんまり気にしている様子はなかった。
「ドーナツとベリータルトどっちにしますか?」
「どーなつたべたい」
「分かりました。お願いしてみますね」
「わー」
「……」
すっくと立ち上がったマリーは、どーなつどーなつー、とウキウキしながら両腕を広げつつ、屋敷の方へ、てててと小走りで向かった。
「ちょ、ちょっといいですか?」
「はい」
「なんでその2択だと分かられたんです……?」
「前後に2単語ずつあったので、経験上そうかなと」
「なるほど……」
ジョンはパラソルを撤収しつつ小さく首を傾げた。
「どーなつー。どーなつー」
マリーがご機嫌でひょっこひょっこと廊下を歩いていると、
「おっと。ごめんよ」
左方向への曲がり角の向こうからやって来た、地黒気味で精悍な顔立ちをしたクセのある黒い短髪の女性とぶつかりかけた。
「うわお」
それをマリーは右側に傾いた状態で、彼女は軽くのけぞってそれぞれ回避した。
「わあ、こんなちっちゃい子もシスターさんなのね。可愛いー」
「おわー」
その隣にいた、色白で金髪のセミロングの女性が、しゃがんでマリーの頭を優しく撫でた。
「ふふふ、いのちびろいしたなおじょうさん。わたしだからよかったものを」
「ん? どういうことジェシカ?」
「『荒野の女傑』のお決まりの台詞だね」
人差し指で帽子のつばを持ち上げるような動きを見て、ジェシカはすぐにその古典的名作ハードボイルド小説のそれであると言い当てた。
「よくご存じで」
「むふ。いちどつかってみたくてな。やっとつかえた」
マリーは腰に手を当てて胸を張り、かなり得意げな顔をしていた。
「一番使いそうな傭兵稼業でもそんなに使う機会はないですからね」
「けいごはやめろ。そんなにえらくなったおぼえはない」
「これは失礼。何と呼べばいいんだい?」
「まりーだ。なんのいんがか『せいじょ』をやっている」
「了解マリー。ボクはジェシカだ。彼女は相棒のエリーナ」
「……『聖女』様ッ!?」
「さま、というほどのそんざいでもない。――いまはまだな」
エリーナが腰を抜かしかけながら非礼を詫びようとすると、マリーは手のひらを向けてそれを制してニヤリと笑った。
「ごめんなさい、いきなり失礼なことしちゃって……」
「いいってことよ」
「素直に無礼を詫びる者は善人だ」
「ゆるしてやらんりゆうはない」
先程の作品の一節をリレーして引用したマリーは、しゃがんだジェシカとゆるい調子でハイタッチをした。
「きにいったぞ。たかいたかいするけんりをさずけよう」
「ははっ。じゃあ早速」
「わはー」
相変わらず、ちっちゃい子とすぐ仲良くなるわね。
ひょいと持ち上げられてはしゃぐマリーと、楽しそうな様子の相棒を見て、エリーナはすこしだけ羨ましそうにしていた。
「ところで、いまからどーなつをたべるよていだが、いっしょにくうか?」
「へえ、いただけるならお願いしたいね」
「りょーりちょーにきいてみる」
「ありがとう。できればエリーナの分もお願いできるかい?」
「まかせろ。ついてこい」
満足して下ろしてもらったマリーは、非常にご機嫌な調子で2人を誘うと、てこてこ、と歩いて厨房のある方向へと歩き出した。
「かっこいいおねーさまはなんてよばれてるんだ?」
「ボクかい? 傭兵の間では『男爵』と呼ばれているから、そう呼んで貰ってもかまわないよ?」
「私は『姫』って呼ばれてるわ」
「つまりだんしゃくおねーさまとひめおねーさま?」
「はっはっはっ、それは斬新な呼び方だね」
一旦立ち止まってひょこっと首を傾げたマリーに、ジェシカはカクン、と少し脱力する動きを見せて苦笑を浮かべた。
「じょうだんだ。じぇしかおねーさまとえりーなおねーさまと呼ばせて貰おう」
「光栄ですシスターマリー」
ジェシカは貴族仕込みのゆったりと優美な礼をして、恭しくそうマリーへと返した。
「むふ」
それでなんだか偉くなった様な気持ちになったマリーは、顔を無駄にキリッとさせて厨房の方へと歩き出した。




