『聖女』マリーの退屈
『公国』の『聖女』・セレナが生活する、邸宅に併設された教会の中にある、セレナが幼い頃に学習室として使っていた一室にて、
「……」
『王国』の『神機』に乗っていた『聖女』・マリーは、現代文字が並ぶ黒板を眺めていた。
黒い修道服を纏う彼女の表情は、実に面白くなさそうな、ムスッとしたものだった。
「マリーさん! 聞いてますか?」
マリーが全く集中してないのに気がついた、彼女の教育係の中年シスターは、そう言いながら彼女の目の前にやってくる。
「つまんない……」
「つまらない、じゃありません」
あなたのためを思っての事なのですよ、と、シスターはがみがみ説教を始めた。
そんな彼女へ、ふくれっ面のマリーは、
「『聖女』たるもの、高い教養が無ければ――」
「つまんなーい!!」
とうとう椅子から立ち上がり、そう叫んで裾をまくると、猛然とダッシュして学習室から飛び出した。
「ちょっとマリーさん! お待ちなさい!」
シスターもその後を追うが、40代も中頃の彼女では、マリーの足には到底追いつけない。
そこで、彼女は他の若いシスターに、マリーを止めるように言った。
「マリー様! お待ちになってください!」
「やだー!」
だが、ちょこまかと動き回る彼女に翻弄され、シスター達は手も足も出なかった。
そうこうしているうちに、マリーは屋敷の母屋の方へと逃げ、シスターらをあっという間に撒いてしまった。
あっさりと逃げ切ったマリーは、彼女が姉と慕うセレナが生活する棟にやってきた。
廊下ですれ違うメイドや執事達が、マリーの姿を見て恭しく礼をする。
書庫とセレナの部屋を繋ぐ丁字路にさしかかると、マリーは巡回中の衛兵2人と遭遇した。
「おや、『聖女』様。こんにちは」
「まーた脱走でありますか?」
マリーの脱走癖を知っている彼らは、温かい微笑みを浮かべて彼女へ話しかける。
「これはだっそうじゃない。じゆうをてにいれるためのたたかいだ」
まだ平べったい胸を張って、マリーはキリッとした表情でそう言う。
「おお、左様でありますか」
「いやー、やはりマリー様はお勇ましいですなあ」
彼らは全く止めようとせず、マリーへ温かい声援を送って巡回に戻っていった。
「おねーさまー」
彼女はお嬢様気分で廊下を進み、セレナが普段居る部屋にやってきた。
「むーん……」
しかしそこには、セレナどころか誰も居なかった。
本を探しているのかもしれない、と考えたマリーは、棟の突き当たりにある書庫へ向かった。
「おねーさまー?」
だが、またしても目当てのセレナはおらず、
「あら、マリー様。どうなさいました?」
本棚を掃除する若いメイドがいるだけだった。
マリーはメイドに、セレナの居場所を訊ねた。だがメイドは、セレナは公務で一日不在だ、と答えた。
「むー」
仕方が無いので、お菓子作りを手伝おう、と思ったマリーは、セレナ専属シェフの居るキッチンに向かったが、
「むー!! つまんない!」
新入りを含めた全員が、セレナと帯同していて不在だった。
さらに不機嫌になった彼女は、本を読んで気を紛らわそうと、また書庫へと向かった。
「申し訳ありませんマリー様。今から虫干しをいたしますので……」
「むしぼし」
すると運悪く、虫干しの準備が始まっていて、それすらも叶わなかった。
なんか面白い事はないか、と、とりあえず庭園に来たマリーは、
「あ、みおぼえのあるだれかだ」
「ジョンです、『聖女』様……」
常緑樹の低木の剪定をしていた、作業服姿のジョンを見つけて彼に絡む。
先の『王国』と『公国』の戦いで特殊作戦に従事したため、ジョンは元々居なかった事にされ、母国に帰れなくなっていた。
それを聞いたセレナの父に、庭師見習いとして雇われて今に至っている。
「うあー! つまんないつまんない! つーまーんーなーいー!」
「だからって、俺に八つ当たりしないで下さいよ……」
メイドが用意した椅子に座って、マリーは今までの経緯をジョンに話し、理不尽に八つ当たりしていた。
「こんにちは、マリー様。今日も良い美人ぶりですな」
すると、屋敷の方からはしごを抱えた、ジョンの師匠である中年庭師がやってきてマリーに挨拶する。
「ほめてもなにもでないぞ」
「なんと。残念ですな」
どや顔のマリーの返しに、がっはっはっ、と師匠は高笑いした。
「おい新入りー。べっぴんさんに見とれてないで、ちゃんと手も動かせよー」
一通り笑った師匠は、そう言って去り際に彼をからかう。
「はいご忠告どうも師匠!」
ジョンが半ギレで師匠にそう返すと、また彼は高笑いして、庭園の奥の方へと去って行った。
「……でも俺だって、『聖女』様が楽しめる様なことやってませんよ?」
飛び出た枝を淡々と切りながら、ジョンは自分を凝視するマリーへそう言う。
とはいえ、彼も子供に好かれるのは、内心まんざらでもない。
「べつにもんだいない。ぼうっとしてるよりはたのしいからな」
「さいですか……」
だが、別に好かれているわけではなく、消去法だと聞いたジョンは、若干ショックを受けた。
ややあって。
教育係のシスターについて、マリーがジョンへうだうだ愚痴っていると、
「み……、見つけましたよ……。マリーさん……!」
噂をすれば影、といった具合に、中年シスターが汗だくになってやってきた。
「さあ、戻ってお勉強の続きを――」
「やー!」
怒り心頭の様子の彼女を見て、マリーはジョンの後ろに隠れて顔を出し、シスターを猫の様に威嚇する。
「マリーさん!」
そんなマリーを捕まえようと、シスターがツカツカとやってきて手を伸ばす。だが、マリーは逆サイドに逃げて回避した。
今度はシスターが反対側に手を伸ばすと、マリーはその反対側に逃げた。
それを延々と繰り返す2人に挟まれるジョンは、
「まあまあ、シスター。本人嫌がってますし、無理強いしない方が――」
「あなたは口を挟まないで下さい!」
そう言って仲裁しようとするも、シスターに食い気味に一蹴された。その扱いに彼はちょっとムッとした。
「確かに勉強は大事ですよ? でも、嫌がってるのに無理やりやらせちゃ、身につくもんもつかないんじゃないですか?」
「それはまあ……、そうですが……」
体力が尽きて、捕まえるのを諦めたシスターは、ジョンの言葉に若干トーンダウンする。
「多分この子、あなたが思ってる以上に賢いですよ」
なんで、もうちょっと信用してあげて下さい、と言うジョンは、ふくれっ面のマリーへ笑いかけた。
「話を聞くに、『聖女』様は自分から勉強しようとしてましたし」
「はあ……」
マリーの話を聞いていたジョンは、
セレナの所へ行ったのは、優しい彼女に勉強を教えて貰おう、と思ってのことで、書庫に向かったのは言わずもがな。
キッチンへ向かったのも、マリーと同世代の子からすれば、立派な勉強と言えるんじゃないか。
と、彼なりに彼女の行動の解釈を話した。
「そうなのですか? マリーさん」
「うん。きょうせいされるとおもしろくない」
マリーは嘘だけは言わないので、そう言われたシスターは、自分の行動を思い返して反省した。
「……分かりました。続きは明日にしましょう」
「わかった」
シスターは申し訳なさそうにそう言って、教会の方に去って行った。
「やあ、シスター。マリーを知らないかい?」
教会へ帰る途中に、シスターは渡り廊下で、邸宅に立ち寄ったレオンと遭遇した。
まだ庭園にいるはず、と答えた彼女は、そこまでレオンを案内する。
庭園への道すがら、シスターはレオンから、マリーのおかげで助けられた話を聞いた。
それを聞いたシスターは、無意識に自分がマリーをただの子供だ、と思っていた事に気がつき、改めて自分を恥じた。
「やあマリー。元気かい?」
「れおーん!」
「ははっ。熱烈な歓迎だね」
ジョンから園芸の話を熱心に聞いていたマリーは、彼を見た途端、猛ダッシュでレオンに抱きついた。
「お久しぶりです、レオンの旦那」
「おや。君は確か、ジョン君じゃないか」
帽子を脱いで挨拶するジョンへ、レオンはマリーの頭を撫でながらそう返した。
その翌日。
「マリーさん。今日の先生は、セレナ様が引き受けて下さるそうです」
教会の学習室には、マリーとシスターの他に、修道服姿のセレナがいた。
「一緒にお勉強しましょうね。マリー」
「わーい、おねーさまー!」
微笑んでそう言うセレナに、マリーは席を立って抱きついた。
「もう、マリーさんったら……」
セレナと苦笑しあったシスターは、マリーへやんわりと席に着く様に言った。




