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平日のカプリッチョ

「幸彦様。どうかお怒りをお鎮めになって、この扉を開けてくださいませんか?」


仰向けに倒した額縁からそんな声が聞こえてくる。


扉? と一瞬頭をかしげた幸彦だったが、しばらくしてそれが地面の事を言っているのだと思い至る。出入り口を地面に塞がれたふうに向こうからは見えるようだ。


「ああ、ええっと……」


部屋の惨状を見回し、人が上げられるような状況ではないと思いつく。


どうしたもんか……ああ、でも汚れたのの半分は妖精の所為といえば妖精の所為か。


待たせて片付けをするにも、今日中に終わるかさえ怪しい。であればしょうがないと、幸彦は諦めて額縁を持ち上げる。


すると、持ち上げた端からするりと桃色の陰が滑り出てきた。


「幸彦様!」


「おわ!」


眼前に飛び出されて、幸彦は慌てた。その拍子に額縁が再び倒れる。


「ああ、会えて良かったです。怪我はどうですか? いたくありませんか? 私ったら、本当にもう」


眼前にぐいぐい迫ってくるリリィは変わりないようだった。服装こそ、何やらピンクのドレス姿になっているくらいだ。ふんわりとした感じで空中に花が浮いているかのようだ。


「お怪我は治療なされたのですか?」


「ちかい、ちかい。リリィ」


幸彦がのけぞるたびに顔に近づいてくるリリィに、幸彦は思わずそう言った。

顔めがけて何かが飛んでくると言うのは中々、耐えずらいものがある。


その言葉にハッと気がついた様子で、後ろに飛び退く。


「すいません。我を失ってました」


顔を隠して、申し訳なさそうに器用に空中で小さくなるリリィの姿に、幸彦は笑いながら溜息を漏らした。怪我が無い事は確認していたが、元気なようで何よりだ。


「ええ、っと」


言葉を探したが、出ては来ない。元気か? と聞くのも何かおかしいような気がして、挨拶をするのもなんだか変で、天気の話など出来ない。


しかし、華麗なトークスキルは幸彦は持ち合わせていなかった。


「あのドンドンって音はなんだ?」


「あ、あれは」


リリィが説明しようとした瞬間。


ドガンドガンドガンドガン!!!


先ほどより大きな、音が立て続けに鳴り響く。


「う、うわ! やめろ! 馬鹿!!」


これに慌てないわけが無い。幸彦は慌てて、額縁に駆け寄り、片手で持ち上げる。

すると先ほどリリィが飛び出してきたよりも早い速度で、大きな猫ほどの何かが飛び出した。勢いはそのまま部屋を横断して、積上っていた押し入れの中身にぶつかり、激しい音をたてる。


幸彦は思わず顔をしかめた。そして崩れた中から、銀色の姿が飛び出してくる。


「またか!」


幸彦は慌ててベッドの方へと飛び込む。布団があれば攻撃は防げるからだ。振り回せば武器になる。急所になりうるのはとにかく顔だ。


「姫様!!」


ベッドへと飛び込んだ幸彦は掛け布団にくるまり、防御姿勢を取る。


そうしてから改めてリリィの方を向けば、その姿を背中に隠すようにして妖精の騎士が三人中に浮いている。


真ん中に居る褐色の妖精は昨日見た。その右横の男の妖精も妖精の国の帰り道についてきたやつだと思う。最後の一人は見た事が無い。大人の男性って感じの妖精だ。


その三人の顔は険しい。相当な警戒の色が見て取れる。


距離はもし飛びかかってきても、防げる距離だ。鉄壁かどうかは怪しいが、布団ガードもある。幸彦は警戒しながら妖精の動向を見守る。


数秒のにらみ合い。最初に動いたのは妖精側だった。


「や、止めなさい! 何をやってるの!」


リリィがそう叫ぶ。困惑したのは三人の兵隊だ。


「で、ですが。巨人が姫様を襲おうと」


「してません!! 何を言うのですか!」


リリィの怒った声が聞こえる。どうやら、また誤解を受けたらしい。


「もう、まったく! 幸彦様が私を襲うわけがないでしょう!?」


その言葉に対する反応は何とも鈍い。怒鳴られた事で、こっちを憎々しげに見てくる褐色の妖精の目つきが鋭い。


なんだよ。俺が悪いってのか。


幸彦が睨み返すと、ますます睨み返してくる。


「ミルラ!」


その視線に気がついたリリィが鋭い声を上げた。それは怒った声のそれで、怒られた妖精は見るからにしゅんとする。


「私たちは親善隊なのよ! もう!」


どうやらリリィは本気で怒っているようで、妖精の兵士達は困っているようだった。そう言えばリリィは妖精のお姫様らしいので、兵達達から見ればえらい立場なのかもしれない。


(一体全体……どうなってんだ? 親善ってなんだ?)


疑問が頭に渦巻くが、警戒を解くわけにはいかない。幸彦は布団にくるまったまま、状況を見守る。


「まったく、ちゃんと幸彦様に——」


「姫様」


もう一つ知らない声がした。


ゾッとするような冷たい声だった。

冷酷と言うか冷淡と言うか、底冷えするような一言で、怒っていたリリィの声が止まる。


するすると、空中に浮かんでいたリリィが地面に降りる。それに付き従うように兵隊三人も地面に着地した。


そこにはもう一人妖精が居る。


やや薄い紫色の服を着た妖精の女性。なんだか大人っぽくて、出来るキャリアウーマンみたいな感じだが、怒っているには間違いなさそうだった。


「飛び出したのは姫様です」


短い言葉だった。多分それで何か分かったのだろう、リリィは目に見えて落ち込んでいるようだった。


「きさま! 姫様にむかって!」


しょげてしまったリリィの様子に褐色の騎士が噛み付く。


だがそれに対して、キャリアウーマンは怯みもしない。無言で睨みつけるだけだ。

幸彦の部屋で、静かな争いがなぜか勃発していた。


その静寂を破ったのは階段を上る音と、ノックの音だった。


「お、おう」


反射的に返してしまった返事に扉が開かれる。


「もう、なにやってるのさ。母さんが怒って———」


そこに現れたのは弟の裕だった。言いかけた言葉が尻つぼみとなり、布団に丸まっている兄を認識し、足下の妖精を確認してから声を漏らす。


「……増えてる」


その呟きに幸彦は布団にくるまりながら無言で同意した。

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