兄の帰宅と捕虜解放
「な、なにやったのさ」
血だらけで這い出てきた幸彦の惨状をみて、弟の裕が漏らした言葉はそれだった。
「矢で撃たれた」
「……呆れた」
幸彦からの信じられない返事に裕は心底呆れた様子でそうこぼす。
「また無茶したんでしょ? とりあえず、ああ、ベッドに座ってて。救急箱持ってくるから」
そう言って、部屋を駆け足で出て行く裕に感謝しながら、幸彦はベッドの縁に腰掛けた。
「ミルラ! 無事だったんだな!!」
「アンディ! どうしてここに!」
「おい。巨人!! ミルラをここから出せ!」
机の上で虫かご越しに再会している妖精同士が何やら言っている。
偉そうな口調に腹も立つが、まあ合えたことでテンションが上がっているのだろうと幸彦は許す事にした。
「はいはい。蓋を外すから、ちょっと離れて」
そう言って、幸彦は青年兵士の妖精を退かして、ふたを開ける。
「アンディ、どうなってるんだ? 姫は無事なのか」
ふたを開けられて、中に入っていた妖精が飛び出てくる。
そこでようやく、幸彦が捕まえていたのが褐色肌の女性の姿である事に気がついた。
女だったのか。気がつかなかったな。
「無事で良かった! ミル、ぎゃ!」
あれだけ騒いで助けようとしていた相手が無事な姿にアンディは安堵の声を上げて近寄ったが、その頭を手甲をつけた手で殴られる。
……うわ。いたそう。
「私は姫の話を聞いてるんだ!! さっさと教えろ!」
「ぶ、無事だよ! ひどい」
「無事って言うのは、どれくらい無事だ!?」
「止めろ! 話すから拳を握り込むなぁ!」
妖精はなんだか大騒ぎしているが、幸彦はなんだかものすごく疲れていた。
考えたら、昨日から走りっぱなしだしなぁ……。
「おい! 巨人!!」
がっくりと肩の力を抜いていると、横から声をかけられる。幸彦がそちらに顔を向けると捕まえられていた褐色の妖精が胸を張っていた。
「ああ? まだ居たのか」
「まだ居たのかとはなんだ。お前が捕まえたんじゃないか」
「それを言うならお前等が来たんじゃないか」
むっとした様子の妖精に幸彦は同じくむっとした表情で言い返す。
「私たちは姫を助けにきたんだ! この蛮族め!!」
そう怒鳴られたところに裕が救急箱とタオルを持って戻ってくる。
「おや……妖精が増えてる」
アンディの姿を見て、裕がやや驚いた声を上げた。さらにその横に先ほどまで虫かごに入っていた褐色の妖精を見て、さらに声を上げる。
「ミルラも外に出したの?」
「ああ。出せってうるさいからな」
弟の問いかけにそう答え、幸彦は妖精の二人に向き直って、指を突き付けて口を開く。
「お前等はなぁ、リリィを連れ返しに来たならそう言えば良いんだ」
「姫様を軽々しく呼ぶな!」
「本人から呼んで良いって言われたんだよ!」
幸彦はそう言い返してから、妖精の国へと繋がる額縁を指差して言った。
「なにはともあれ、もうお姫様は向こうのお城に帰ってるんだ。問題は無いだろ?」
そう言われて、ミルラはしばらく考えていた様子だったが、頷いた。
「……そうだな。問題は無い。アンディ。帰るぞ」
「お、おう」
連れ立って去って行く妖精を見送りながら、幸彦はふと思いつく。
「ちょっと待った」
「んっ? なんだ?」
呼び止める幸彦の声にミルラが振り返る。
それに対して幸彦は特に力む様子もなく、口を開いた。
「お姫様に、気にせずに家族と仲良くするように。そう伝えてくれないか?」
その言葉に虚をつかれた様子の二人だったが、その言葉に頷く。
「……伝えておこう」
文句を言いたそうな顔で、それでも別れの伝言だからか、そう言ってミルラとアンディの二人は額縁の中へと消えて行った。
後には怪我だらけの兄と、救急箱の中身を並べている弟だけが残される。
「とりあえず頭の怪我を見るよ。血は止まってるみたいだけど」
「擦りむいたんだ。そんなに深くはない」
「自分の怪我なのによくわかるね」
「昔、頭を縫った時はもっとひどかった。死ぬかと思ったんだ」
「ああ、サッカーの時間に相手の歯が刺さった時だね」
「それだ。乳歯だったから良かったが、相手の歯は刺さるし散々だった。あの時よりましだ」
「うわぁ、でも結構擦りむいてるよ。……頭からすっ転んだの?」
「人命救助の為だ」
「……ほんとなにしてきたのさ」
弟から呆れられながら、傷口にタオルを当てて消毒液で洗う。
「いてぇえ……」
「はいはい。それでなにがあったの?」
のどの奥からひねり出すような声を上げる幸彦に、裕は遠慮せずに消毒液を傷口に付けながらそう訪ねる。
「その、最初は順調だったんだよ」
そう言って話し始めた話は裕には正直よく分からない話だった。
最初に助けた村の小人に城の位置を聞いて、城に行って、武器を構えられたそんな話だった。
「超こえーよ。それがさ、ドバァっとこっちに向かって飛んでくるんだ。一本一本は小さいんだけど。これが俺の足下に刺さって、警告だよ」
「で、飛んできたのがこれだと……」
そう言って裕は幸彦の腕にまだ残っていた矢をピンセットで引き抜く。
「いてぇ! 抜く時は言えよ!」
「はいはい」
引き抜いた矢には返しが付いては居なかった。これなら簡単に抜ける。
「それで、どうしたの?」
矢を抜いた後の傷口を消毒しつつ、裕がそう先を促すと幸彦は痛みで顔をしかめながら先を話し始めた。
「俺がリリィの事を叫んでも出て行けとしか言わないんだ。なんだか、拡声器みたいなもんで喋ってた。後でわかったが、それがリリィのお父さんで王様だったみたいだった」
「はあ……で、危ないのに踏み込んだの?」
「いや、そこにリリィが王様のところに現れたみたいで。なんだか喧嘩を初めて」
「……えっと、リリィさんが城の人だとわかったのに踏み込んだの?」
早合点した裕のあきれ顔に、幸彦はそうじゃないと顔を渋くする。
「俺だってそこまで馬鹿じゃない。安心して帰ろうかと思ったんだよ。その時は」
「そうならなかったんだ」
「俺の身長より高い城のてっぺんでぎゃーぎゃー言い争ってるんだ。それが白熱してきてなんか怪しいなと思ったら、俺に対して義理がなんだかって言って、リリィが飛び降りたんだよ」
「飛び降りたって、リリィさん。妖精じゃない。飛び降りても平気でしょ?」
「よくわからんが、飛ぶ気がなかったみたいだった」
そう言った幸彦の言葉に傷口を消毒していた裕の動きが止まる。
「……それって自殺ってこと? 大丈夫だったの?」
顔見知り程度だが、自殺となれば大事だと訪ねられて、幸彦は首を横に振った。
「俺が助けたんだよ。何となく勘で走り込んでなかったら間に合わなかった。そのせいで矢でぶすぶすだよ。目は借りてたゴーグルで……あっ」
幸彦はそこでようやく自分の顔にゴーグルが付けられてない事に気がついた。
「しまった転んだときに、借りてたゴーグル落としてきた」
申し訳なさそうな兄の言葉に裕は気にした様子もない。
「ゴーグルは良いよ。そんなに高いもんじゃないし……それで助けられたの?」
「おう。なんとか。ジャケットを使って下で受け止めたんだ。怪我もなさそうだった」
「そりゃ良かった。抜くよ」
「いてぇ! 返事を待ってくれよ!」
「はいはい」
聞き流しながら裕はリリィの様子を思い返していた。生け贄の話をあれだけ熱弁して
いたあのお姫様の妖精さんは思い込みが激しそうだった。
よもや自殺の話になるとは思ってなかったが、偉い立場の場合……それ相応の責任の取り方と言うものがあるのかもしれないと思い至る。
昔の武将は切腹とかしてたらしいから……、戦争で負けた場合がほとんどだとは思うけど、名誉を取るってのは普通なのか?
裕はそんな風に考えたところで、そう言えば問題はもうすべて解決したのだと思い返した。
あのリリィさんは飢餓うんぬんを気にしていた。多分、兄であればその問題に首を突っ込むと思っていたが、この矢の痕を見ればその心配も無用だろう。
この時の裕の判断はやや冷酷なものだった。
けれども彼にも、また幸彦にとっても妖精の問題は……言ってしまえば他人事ではある。助けを求める前に助けるのは何かが違う。
裕はそんな風に考え、妖精達の存在は夢のようなものだと自分も兄も忘れて行くのだと……そう思い込んでいた。




