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第6話 とことん話そう③

リーゼの顔が、少し真剣になった。


「今の俺は、お前が嫌がることを無理にさせようとは思わない。お前の気持ちを尊重したいし、何かあったら話し合って決めたい」


「うん。それはよく分かってるよ」


「これから先もずっと、同じように考えられるかは分からないんだ」


「恋人になったら、キミが変わってしまうかもしれないってことかい?」


「それもあると思う。何十年も経てば、恋愛のこと以外でも、今とは考え方が変わるかもしれない。間違った判断をすることもあるだろうしな」


 どう伝えればいいか、少し言葉を探した。


「例えば、お前が俺と別れたいと思う日が来るかもしれない」


「……ずいぶん気の早い話だね」


「まあ、例えばだよ。今なら、そう決めたら受け入れるつもりでいる。どれだけ辛くてもな」


 リーゼは何も言わず、こちらを見ていた。


「でも、本当にそのときが来たら、どう思うか分からない。絶対に別れたくないと思うかもしれないし、お前の気持ちが変わるまで引き止めたくなるかもしれない」


「……それは、普通の恋人同士でもあることじゃないかな」


「ああ。俺には、そのときに使えてしまう力がある」


 グレンは彼女の目を見た。


「命令すれば、お前は逆らえない。俺から離れたいと思っても、離れるなと命じられたら、従うしかないんだ」


 以前、その場から動かないよう命じたことがある。


 リーゼは腕も脚も動かせた。命令に背いてその場を離れるという選択だけが、できなくなった。


 ほんの短い実験で、《飼育》の拘束がどういうものなのか、二人とも思い知らされた。


「そんな使い方をするつもりはない。でも、お前を手放したくない気持ちが、今よりずっと強くなったらどうだろうな」


 グレンは、自分の手へ目を落とした。


 彼女が甘えてくれると嬉しい。自分だけに見せる顔があることも、もっと近くにいられることも、嬉しい。


 その気持ちがいつか、彼女の意思より自分の願望を優先させるほど強くなるかもしれない。


「今の俺は、お前が嫌がることはしないって約束できる。でも、それをこの先何十年も守れるかって聞かれたら、絶対とは言い切れない」


「……なるほどね」


 リーゼが息を吐いた。


「キミが何を心配してるのかは分かったよ。でも、それを言い出したら、誰とも恋人になれなくなってしまわないかい? 何十年も先の自分がどう考えてるかなんて、誰にも分からないだろう?」


「そうだな。そこは俺も同じ考えだよ」


「だったら……」


「《飼育》がある以上、俺たちは普通の恋人同士と、まったく同じ条件ではいられないと思うんだ」


 グレンは続けた。


「俺が何かを強制しようとしたとき、お前にはそれを拒む手段がない。しかも、この関係は解除できない。その点については、何か備えておきたいと思った」


 リーゼは黙って考えていた。


「……具体的には?」


「実は、一つ用意してあるんだ」


 グレンは席を立ち、部屋の隅の机へ向かった。引き出しから小さな箱を取り出し、戻ってくる。


 シックザールに製作を依頼し、先日届いたものだった。


「これなんだけど」


 蓋を開けると、黒い革製の細い帯が現れた。小さな金具が取り付けられ、表面には控えめな装飾が施されている。


 リーゼが身を乗り出した。


「……首飾りかい?」


「まあ、そんなところだ。魔道具になってる」


「へえ」


「俺が着けるものなんだけどな」


 彼女が顔を上げた。


「……キミが?」


「ああ。一度着けると、自分の意思では外せないように作ってある」


「……何だって?」


「それで、お前が発動させると、俺は意識を失う。身体に害がないよう調整してもらってるから、繰り返し使っても問題ないはずだ」


 リーゼは箱の中身を見つめ、それからグレンへ視線を戻した。


「つまり……ボクがその気になれば、いつでもキミを気絶させられるってことかい?」


「そのつもりで作ってもらった。念じるだけで発動するようになってる」


「しかも、キミ自身では外せない?」


「ああ」


 彼女の眉間に皺が寄った。


「……待ってくれ。そもそも、ボクにそんなことができるのかい? 主人を故意に傷つけることはできないはずだろう」


「そこはシックザールさんとも相談した。俺が承知の上で使うなら、模擬戦と同じで、制約は働かないんじゃないかって」


「……姉さん?」


「ああ。これを作ってくれたのも、シックザールさんだ」


 リーゼはもう一度、箱を覗き込んだ。それから片手で額を押さえる。


「……ああ、姉さんか。なるほどね……」


「実際にお前が使えるかは、まだ確かめてないんだ。今日、一度試してもらうつもりだった」


「着けたときには承知していても、あとでキミが嫌だと思ったら、どうなるんだい?」


「そこも、確かめる必要がある。事前の合意がどこまで有効なのかは、まだ調べてるところだからな」


 グレンは箱を卓の中央へ置いた。


「これで全部解決するとは思ってない。俺が先に命令を使えば、お前は発動できなくなるかもしれないしな。それでも、使える場面があるなら、お前の方から俺を止める手段を残しておきたいんだ」


 リーゼは黙って聞いていた。


「もし将来、俺がお前の意思を無視して何かを強制しようとしたら、そのときに使ってほしい」


 返事はなかった。


 彼女は箱の中身を眺め、グレンの顔を見て、また箱へ視線を落とす。やがて、大きく息を吐いた。


「……グレン」


「何だ?」


「キミって、本当に馬鹿なんじゃないかって時々思うよ」


「……そこまで言うか?」


「だって、こんな物騒なものまで用意してくるとは思わないだろう?」


 リーゼは呆れたように笑った。


「……まあ、理屈は分からなくもないよ。いざというときにキミを止められるなら、その間に助けを呼ぶことだってできるだろうしね」


「ああ。そういうつもりで用意したんだ」


「ふうん……」


 彼女はもうしばらく、魔道具を眺めていた。


「キミがそれで気が済むなら、着ければいいんじゃないかい?」


「……お前はどう思う?」


「ボクかい?」


 リーゼは箱から目を離し、グレンへ向き直った。


「ボクは、別に必要だとは思わないな」


「……どうして?」


「キミを信頼してるからね」


 答えは、すぐに返ってきた。


「キミは今まで、命令できるからって、ボクの意見を無視したことはないだろう?」


「……ああ」


「ボクが何かしたいと言えば一緒に考えてくれるし、意見が違えば話し合ってきた。今日だって、こうして時間を作って、ボクの考えも聞いてくれてる」


 彼女の目が、卓の上の紙束へ向いた。


「ボクは、そういう関係をこれからも続けていきたいんだよ」


「……俺も、そう思ってる」


「うん。だから、ボクはそれで十分だと思ってるんだ」


 グレンは頷きかけ、口を開いた。


「今までそうだったからって、この先も同じようにできるとは限らないだろ」


「……うん」


「俺が変わってしまったら、話し合うことさえできなくなるかもしれない。そのときになって、お前がどれだけ嫌だと思っても、俺が命令すれば……」


「分かってるよ」


 リーゼは静かに言った。


「その心配まで、間違ってるとは思わないさ」


 彼女は少し姿勢を正した。


「キミがこの先、絶対に間違えないなんて、ボクも思ってないよ。今とは考え方が変わることもあるだろうし、ボクと意見が合わなくなることだってあると思う」


「……ああ」


「それに、変わるのはキミだけじゃない。ボクだって、これからどうなるかは分からないんだからね」


 リーゼは口元を緩めた。


「キミにひどいことを言ってしまうかもしれないし、喧嘩することだってあるだろう。今は想像もできないようなことで、悩む日が来るかもしれない」


 グレンは彼女の言葉を聞いていた。


「《飼育》がある以上、キミが間違った命令をする可能性も、なくなりはしないんだろうね」


「……そうだな」


「そこまで全部分かった上で、ボクはキミと一緒にいたいと思ってるんだよ」


 穏やかな声だった。グレンは、しばらく彼女を見つめた。


「……本当に、それでいいのか?」


「ふふ。キミはまだ心配なのかい?」


「ああ。正直に言うと、な」


「まったく、しょうがない人だねえ」


 リーゼが笑った。


「ボクは、今のキミが好きだよ。優しいところも、真面目なところも、時々妙なことを考え始めるところもね」


 箱へ目を向け、それからグレンへ顔を戻す。


「それでね、グレン。ボクは、キミにずっと今のままでいてほしいと思ってるわけじゃないんだ」


 グレンは続きを待った。


「これから一緒に過ごしていけば、知らなかったところも見えてくると思う。キミが今とは違う考え方をするようになるかもしれないし、ボクの嫌なところだって見つかるかもしれない」


「……ああ」


「それでも、一緒にいたいんだよ。いいところだけを選んで好きになったわけじゃないんだから」


 リーゼは一度言葉を切った。


 グレンの目をまっすぐに見て、少し身を乗り出す。


「ボクはさ、キミにだったら何を命じられたってかまわないよ。それくらいキミのことが好きだ」


 その声には、迷いがなかった。


 彼女はわずかに頬を赤くし、微笑んだ。


「……それじゃダメかい?」

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