第5話 とことん話そう②
リーゼはきょとんとした。それから、笑みを浮かべる。
「そこが気になるのかい?」
「そりゃ、気になるだろ」
「ふふ。そうか。キミもそういうことを気にするんだね」
どこか嬉しそうに言われ、グレンは返す言葉に困った。今聞いたことの方が気になって、紙へ目を戻す気にもなれない。
「いつから、と聞かれると難しいな。はっきりこの日から、っていうのは覚えてないんだ」
リーゼは考えながら話し始めた。
「一緒に仕事をして、いろんなことを話すうちに、いつの間にかね。少なくとも、あの遺跡に入る頃にはもう好きだったよ」
「……全然気づかなかったな」
「言ってなかったからね」
彼女は少し懐かしそうに目を細めた。
「いつかは伝えようと思ってたんだ。急がなくてもいい気がしてさ。これからも一緒にいるつもりだったから」
そこで、わずかに笑った。
「だから、あの遺跡で死ぬかもしれないって思ったときは、後悔したよ」
「後悔?」
「うん。まだやりたいことも、行きたい場所もたくさんあったのに、一番心残りだったのが、キミに好きだって伝えていないことだったんだ」
グレンは彼女を見つめた。
「自分でも驚いたよ。あんな状況で、何より気になったのがそれだったんだから。それで、せめて最後に伝えようと思ったんだ。結局、言えなかったけどね」
「……そうだったのか」
あの遺跡で、リーゼが何かを言おうとしていたことにさえ、気づいていなかった。自分は、脱出する方法をどう打ち明けるか考えていた。
グレンはしばらく、彼女から目を離せなかった。
そうだったのか、とまた思った。あの頃、隣で何を考えていたのか。今聞いたばかりの言葉を、何度も思い返してしまう。
「……教えてくれてありがとう」
「うん。今度はちゃんと言えたね」
リーゼは照れくさそうに笑った。
二人で少し黙ったあと、彼女が口を開いた。
「《飼育》の対象になってから、キミに甘えたいと思うことが増えたのは確かだよ。前よりずっと素直になったところもあると思う」
「ああ」
「それが、好きって気持ちをどれくらい強くしたのかは分からない。今のボクと、もし《飼育》の対象にならなかったボクを、比べることなんてできないからね」
「……そうだな」
「でも、今こうしてキミと話していて、好きだと思ってるのは本当だよ」
リーゼが、まっすぐこちらを見た。
「それじゃ、足りないかな?」
グレンは首を横に振った。
「いや。十分だよ」
《飼育》の影響を完全に切り分ける方法は、今のところない。リーゼも分からないと答えた上で、今の気持ちを伝えてくれた。
「ちゃんと聞けてよかった」
彼女の口元が緩んだ。
グレンは紙に目を戻した。しばらく文字を追ってから、リーゼへ向き直る。
「今度は、俺の方の話をしておきたい」
「キミの?」
「ああ。遺跡から戻ってから、どう思ってたかってことだ」
リーゼが頷いた。
「《門》を使うために、お前の能力を再配分しただろ。あれは必要な判断だったし、今でも間違ってたとは思ってない」
「うん」
「それでも、お前が長い時間をかけて鍛えてきた力を失わせたことは、ずっと気になってた。前みたいに戦えなくなったことも、この先どうするつもりなのかも」
「……そうだろうね」
「重力魔法の資質が見つかったときは、正直、ほっとしたんだ。これなら何とかできるかもしれないって」
当時のことを思い返し、グレンは続けた。
「お前に育成を頼まれたときも、俺には責任を感じてる部分があったと思う」
「それは、分かってたよ」
リーゼが静かに答えた。
「キミがずっと気にしてたのは、見てれば分かったからね」
「そうだったのか」
「うん。だから、あの頃は好きだって言うのをやめておこうと思ったんだ」
グレンは顔を上げた。
「……それと関係があるのか?」
「あるよ。だって、あのときのキミに、ボクが好きだって言ったらどうなったと思う?」
リーゼは眉を下げた。
「キミは真面目だからね。ボクをあんな目に遭わせた責任を取らなきゃ、なんて考えそうじゃないか」
「……そうかな」
「少なくとも、ボクにはそう見えてたよ」
すぐには否定できなかった。当時の自分は、リーゼのために何をすべきかと考えてばかりいた。
「キミがそんな理由だけで付き合ってくれるとは思ってないよ。ただ、応えてもらえたとしても、それが本当にキミの望んだことなのか、分からなくなるのは嫌だったんだ」
リーゼはカップを両手で持った。
「だから、もう少し落ち着くまで待とうと思ってた。ボクのことも、キミ自身の気持ちもね」
「……そこまで考えてたのか」
「まあね。これでも結構、慎重なんだよ」
いつもの調子で笑う彼女を、グレンは見つめた。自分が何も気づかずにいる間に、そんなことまで考えていた。
「……ありがとう」
「ふふ。今日はお礼を言われてばかりだね」
「言いたくもなるだろ」
リーゼがカップへ目を落とした。こちらを見ていたグレンも紅茶を飲み、少し間を置いた。
「それで、今はどうかってことなんだけど」
「うん」
「お前はもう、前みたいに俺が一方的に心配するような状態じゃない。重力魔法も使えるようになったし、依頼にも一緒に出てる」
「そうだね。最近は、ずいぶん調子がいいよ」
「ああ。実際、頼りにしてる。この前の依頼でも助けられたしな」
「ふふ。あのときは上手く決まったね」
最初は魔法の発動だけで精一杯だったリーゼが、今では剣を振るいながらグレンと動きを合わせている。彼女の魔法を見込んで踏み込めば、その通りに機会を作ってくれた。
以前とは違う戦い方で、また一緒に前へ出られる。
「まだ試せることはたくさんあると思う。今のお前と一緒に戦えるのが、俺は嬉しいんだ」
リーゼが、ゆっくりと笑った。
「……ありがとう。キミにそう言ってもらえるのは、嬉しいな」
「それから、相棒として一緒に戦うこととは別に、お前と過ごしたいとも思ってる」
彼女の目を見て、グレンは続けた。
「訓練も依頼もない日に会いたいし、何でもない話をしてるのも楽しい。この前、芝居を一緒に観に行きたいって言ったのも、そう思ったからだよ」
「……うん」
「お前を育てる必要がなくなっても、それは変わらないと思う」
リーゼは俯き、カップを持ち上げた。口元の笑みを隠しきれていなかった。
「……まったく。キミは今日は、ずいぶん嬉しいことを言ってくれるね」
「本当のことだからな」
「そういうところだよ」
紅茶を飲んでも、彼女はしばらく顔を上げなかった。グレンも、口にしてみると気恥ずかしかった。
「それから、もう一つ」
「うん?」
「お前が俺に、まだ隣にいたいって言ってくれたときのことなんだけど」
リーゼが顔を上げた。
「……ああ」
「『ボクを育ててくれ』って頼んでくれただろ。あのとき、俺も嬉しかったんだよ」
リーゼは泣いていた。長い時間をかけて積み上げた力を失い、このままでは一緒に戦えなくなるかもしれないと怯えていた。
何と言ってやればいいか分からずにいたグレンへ、最後に、隣にいたいと言ってくれた。
「責任を感じてたのも本当だ。でも、あのときは俺自身も、お前に隣にいてほしかった。だから、そう言ってもらえて嬉しかったんだ」
リーゼは黙って聞いていた。
「もし冒険者を辞めるって言われたら、俺は止められなかったと思う。お前の将来を、俺が決めるわけにはいかないからな」
「……うん」
「でも、そうならなくてよかったと思った」
リーゼはしばらくグレンを見つめていた。それから、ゆっくりと息を吐く。
「……そっか」
その声が、少しだけ小さくなった。
「あのときは、ボクばっかりキミの隣にいたがってるんじゃないかと思ってたよ」
「そんなことないさ」
「うん。今は分かるよ」
彼女が笑うのを見て、グレンも笑った。当時言えなかったことを、ようやく伝えられた。
カップを取ろうとして、中身が少なくなっていることに気づく。
「少し待ってくれ。茶を淹れ直すよ」
「ああ、ありがとう」
グレンは席を立った。湯を沸かし直しながら居間へ目をやると、リーゼは窓の方へ顔を向けていた。
戻ると、彼女がこちらを見て笑う。二人のカップへ茶を注いでから、グレンも座り直した。
「ここからは、少しややこしい話になるんだけど」
「今までのも、十分ややこしかったと思うけどね」
「そうかもしれないな」
グレンは苦笑した。
「俺はあの遺跡で、脱出に必要なこと以外には《飼育》を使わないって決めてた。でも、お前に頼まれて、その方針を変えた」
「うん」
「お前が望んでくれたのが一番大きな理由だし、今もそれでよかったと思ってる。ただ、俺自身もお前と一緒にいたかった。その気持ちも、判断に影響してたんだと思う」
リーゼは肩をすくめた。
「おいおい。ボクが一緒にいたいと言って、キミも一緒にいたかった。それで願いが叶ったんだろう? いい話じゃないか」
「まあ、そうなんだけどな」
「キミは本当に、何でも真面目に考えるねえ」
呆れたように笑われて、グレンも笑ってしまった。
あの判断を後悔してはいない。二人で一緒に戦えるようになったことも、嬉しい。
一度慎重に考えて決めた方針が、状況や自分の気持ちによって変わることはある。自分も実際にそうしたのだということは、覚えておきたかった。
「ここまでいろいろ話してきたけど、俺はお前と恋人になりたいと思ってる」
「……うん」
リーゼの声が柔らかくなった。
「そのために、今日こうして時間を取ってもらったんだ」
「そうだろうとは思ってたよ」
彼女は微笑んだ。グレンも笑みを返し、次に話すことを頭の中で確かめた。
「俺たちの関係が変われば、俺自身も今のままじゃいられないかもしれないと思うんだ」
「……どういうことだい?」
「今だって、お前にはもっと甘えてほしいし、できるだけ一緒にいたいと思ってる。前はそこまで考えてなかったことも、最近はよく考えるようになった」
リーゼが続きを待つ。
「恋人になったら、きっともっといろんなことを望むと思う。今まで以上に近くにいたくなるだろうし、お前にもそう思ってほしくなるだろうな」
「……それは、ボクも同じだよ」
「ああ。そう言ってもらえるのは嬉しい」
グレンは頷いた。
「ただ、俺には《飼育》があるだろ」




