第4話 とことん話そう①
数週間後、訓練を終え、リーゼが帰り支度をしているところへ、グレンは声をかけた。
「リーゼ、次の休みは空いてるか?」
「うん。どうしたんだい?」
「前から話しておきたいことがあってな。少し時間をもらえないか」
鞄を持ち上げかけた手が止まった。
「……ずいぶん改まってるね」
「大事な話なんだ。長くなるかもしれないから、落ち着いて話せる日にしたくて」
「ふうん……」
リーゼはグレンの顔を見てから、鞄を肩に掛けた。
「分かった。じゃあ、その日は空けておこう」
「ありがとう。昼過ぎに俺の家でいいか?」
「もちろん。何の話か、楽しみにしてるよ」
笑いかけて訓練場をあとにする彼女を、グレンは見送った。
話す内容は、もう何度も考えている。それでも、日取りが決まると緊張した。
⸻
約束の日、リーゼは昼過ぎにグレンの家を訪れた。
ネーベルには、今日はリーゼと二人で大事な話をすると伝えてある。詮索されることもなく、彼女は昼前から出かけていた。
グレンはリーゼを居間へ通し、紅茶を用意した。向かい合って座り、一口飲んでから、手元の紙束を取る。
「じゃあ、始めようか」
リーゼが頷いた。
グレンは彼女を見て、口を開いた。
「まず、俺はお前に好意を持っている。……恋愛的な意味でだ」
カップを持つリーゼの手が止まった。
しばらくこちらを見つめ、それから小さく息を吐く。
「……ずいぶんさらっと言ってくれるね」
呆れたような声だった。口元には、かすかに笑みが浮かんでいる。
「これから話したいのは、それを前提にしたことだからな。俺たちの今後の関係について」
「……ほう、そう来たか」
彼女の視線が、グレンの手元へ移った。
「それで、その手に持っている紙束は?」
「これまでの経緯と論点を、俺なりにまとめてきた。今日はこれを軸に話したい」
リーゼは紙束を眺め、グレンの顔を見た。口元を押さえたものの、とうとう笑い出す。
「……まったく、キミらしいね」
グレンは彼女が落ち着くのを待った。リーゼは息を整え、改めてこちらへ向き直る。
「いいだろう。とことん話そうじゃないか」
「ありがとう。それで、最初に確認させてほしいんだが……リーゼも、俺に好意を持ってくれていると考えていいか? もしそれが俺の勘違いなら、この話はここで終わりなんだが」
リーゼは一瞬、何か言いたげに口を開いた。
そのまま閉じる。
「……ああ。そこは勘違いじゃないよ」
「そうか。よかった」
思わず笑みがこぼれた。
そうであってほしいとは思っていた。本人の口から聞けると、やはり嬉しい。向かいのリーゼも少し照れくさそうで、しばらく二人とも笑っていた。
グレンは紙へ目を落とし、最初の項目を確かめた。
「じゃあ、まずはあの遺跡で、お前に《飼育》を使ったときのことから話そう」
「ずいぶん最初から振り返るんだね」
「ああ。そこから整理しておきたい」
リーゼはカップを置いた。
「あのとき、俺は《飼育》の性質を一通り説明した。命令には逆らえなくなることも、一度成立したら解除できないことも。その上で、受け入れるかどうかを決めてもらった」
「覚えてるよ。ずいぶん丁寧に説明してくれたからね」
リーゼは襟元へ目を落とした。
「聞いているうちに、思っていた以上に大変なことだと分かってきてさ。正直、怖かったよ」
「そうだろうな」
「それでも、最後に決めたのはボクだ。そこは今も変わらないよ」
何度も説明を聞き、考え込んだ末に、彼女は手を取ってくれた。そのときの顔を、グレンは覚えている。
「あの状況で、どれだけ自由に選べたかも考えておきたいんだ」
「……どういう意味だい?」
「《飼育》を使わなければ、救助を待つしかなかっただろ。助けが来る保証もなくて、食料にも限りがあった」
「そうだね」
「お前には断ることもできた。でも、断った先にまともな選択肢があったかと言われると、そうじゃない」
リーゼは膝の上で手を組んだ。
「確かに、余裕はなかったね。ほかに方法がないなら賭けてみようと思ったんだ。何もしないで待つより、ずっといいと思ったから」
一度言葉を切り、グレンを見る。
「その上で、ボクが選んだことだよ。キミに無理やり押しつけられたわけじゃない」
「ああ。俺も、あの判断でよかったと思ってる。あの方法で二人とも出られたんだからな」
「うん」
「俺が引っかかってるのは、生き延びるために決めてもらったことが、この先もずっと続くってことなんだ」
リーゼが顔を上げた。
「《飼育》は解除できない。遺跡を出たあとも、お前は俺の命令に逆らえないままだろ」
「それは承知の上だったよ」
「分かってる。その覚悟で受け入れてくれたことは、俺も忘れてない。だからこそ、あのとき同意してもらったことだけで、今後のことまで決めていいとは思えないんだ」
リーゼはしばらく考えていた。
「……なるほど。そういう話か」
グレンが頷くと、彼女は組んでいた手をほどいた。
「キミは、ずいぶん慎重に考えてくれてるんだね」
「そうかな」
「そうだよ。あのときのボクは、ここから出られるかどうかで頭がいっぱいだった。今になって、二人でこんな話をすることになるなんて、想像もしてなかったしね」
目を伏せ、少しの間黙っていた。
「でも、もしあの場所でもう一度選び直せと言われたら、ボクはきっと同じ選択をすると思う」
グレンへ顔を向ける。
「あのときのことを後悔しているわけじゃない。それは分かっておいてほしいな」
「ああ」
今も同じように選ぶと言ってくれた。グレンはもう一度頷き、彼女の言葉を受け止めた。
グレンは、紙を一枚めくった。
「遺跡から戻ったあと、俺は《飼育》を必要以上に使わないつもりだっただろ」
「うん。覚えてるよ」
「その方針を変えることになった経緯についても、改めて話しておきたい」
リーゼの口元が緩んだ。
「今度は、ボクがキミを説得した話だね。なかなか大変だったよ」
「……あのときは、すまなかったな」
「謝らなくていいさ。重力魔法の資質が見つかって、これでまた一緒に戦えるかもしれないと思ったんだ。肝心のキミが、なかなか首を縦に振ってくれないのには困ったけどね」
「ああ」
「結局は引き受けてくれただろう? おかげで今も冒険者を続けられてる。頼んでよかったと思ってるよ」
グレンも、彼女と依頼に出る日々を思い浮かべた。あのとき育成を引き受けていなければ、今の二人はなかっただろう。
「そこが、さっきの話とは違うんだ。遺跡を出たあとは、生き延びるために《飼育》を使う必要はなくなっていた。それでも、お前は自分から使ってほしいと言ってくれた」
「うん。むしろ、ボクが頼み込んだんだからね」
「ああ。だから、今こうして育成を続けているのは、あの遺跡での同意だけを根拠にしてるわけじゃない。そこは確かめておきたかった」
リーゼが頷いた。
グレンは一度、手元の紙を見た。
「その上で気になるのが、その時点でもう《飼育》は成立してたってことなんだ」
「……なるほど。今度はそういう話か」
「気を悪くしたなら悪い」
「いや、怒ってないよ。キミが何を気にしてるのか、少し分かってきたところさ」
リーゼは紅茶を一口飲み、カップを置いた。
「ボク自身の希望だったとしても、その考え自体が《飼育》の影響を受けていたかもしれない、ってことだろう?」
「そういうことだ」
「難しいねえ」
彼女はカップの縁へ目を落とした。
「あのときは、キミとまた一緒に戦いたいと思ってた。その気持ちは今も変わらないし、疑ったこともないよ」
「ああ」
「でも、どこまでが元からあった気持ちで、どこからが《飼育》の影響なのかと聞かれたら……正直、ボクにも分からないな」
接触や称賛を求める気持ちが強くなり、主人への依存も増している。日々の訓練や記録から、グレンにもその変化は分かっていた。
「今、お前が俺に触れてほしいと思ったり、褒められて嬉しくなったりするのにも、《飼育》は関係してるんだと思う」
「それはそうだろうね。前は、あんなに頭を撫でてもらいたいなんて思わなかったもの」
リーゼは少し気恥ずかしそうに髪へ触れた。
「……今じゃ、キミがなかなか撫でてくれないと、物足りなくなるくらいだからね」
「知ってる」
「そこは少しくらい、知らないふりをしてくれてもいいんじゃないかい?」
「悪い」
グレンが笑うと、リーゼもつられて笑った。
「そういう変化が、恋愛感情にもどれくらい影響しているのか、俺には分からないんだ」
「……なるほどね」
リーゼはしばらく黙っていた。それから、グレンの顔を覗き込む。
「じゃあ、一つ教えてあげようか」
「何を?」
「ボクがキミを好きになったのは、《飼育》の対象になる前だよ」
グレンは顔を上げた。
「……そうなのか?」
「うん。だから、少なくとも好きになったきっかけは《飼育》じゃない。そこは安心してくれていいよ」
「……いや、ちょっと待ってくれ」
「何だい?」
「いつからだ?」




