第3話 知りたいこと
数日後、リーゼが翌日の訓練を休みたいと言い出した。
「昔からの友人が町へ来ていてね。一緒に芝居を観に行く約束をしてるんだ」
「へえ、芝居なんて観るのか?」
「昔はよく観てたんだけどね。最近はなかなか機会がなくて」
話す声からも、楽しみにしているのが分かった。
「分かった。楽しんでこいよ」
「うん。そうさせてもらうよ」
翌日、グレンは一人で訓練を済ませ、昼過ぎに家へ戻った。
机に向かい、シックザールからの質問状と、これまでの調査記録を広げる。
アルヴェイン家を出てからも、彼女との研究は続いている。何日かおきに届く質問に、普段の訓練で確かめたことや、リーゼとネーベルの状態について報告を返していた。
最初は質問の数に面食らった。最近では、一つの項目について何度もやり取りを重ねることが増えている。
今回まとめようとしているのも、数週間前に届いた質問状への回答だった。すぐに答えられる項目は先に書き込み、確認が必要なものは訓練の合間に調べてきた。今日はその結果を、一通の報告にするつもりだ。
まずは、リーゼの重力魔法について。
魔王の本には、資質が高い場合でも、訓練の順序や習熟の偏りを見極める必要があると記されている。
リーゼの場合、単純に魔力の出力を高めるより、重力を作用させる方向や強さを細かく調整する訓練の方が、上達につながっていた。
同じ重力を加えるにも、対象が静止しているか、動いているかで難しさは変わる。訓練では難なくできたことが、実戦ではうまくいかない場合もあった。
グレンは日々の記録を並べ、魔王の本にある類似例と照らし合わせた。訓練を変えた時期と、その後の伸びを確かめていく。
現在の重力魔法は三十四。
アルヴェイン家で測定したときは二十一だった。資質Sの成長速度は、やはり相当なものらしい。
使い方にも変化があった。
以前は発動するだけでも集中が必要だった魔法を、今では剣を振りながら使える。相手の足を止め、自分の身体を軽くして間合いを詰める。剣術そのものも、少しずつ伸びていた。
リーゼは、新しい戦い方を身につけつつある。
グレンには、それが何より嬉しかった。今ならこうできる、と彼女が話すたび、次に試すことも増えていく。
報告書へ数値を書き写し、次の質問を読んだ。
今度は、《飼育》の拘束についてだった。
シックザールが特に関心を示しているのは、命令への服従と、主人への加害禁止が働く条件らしい。
命令に故意に逆らえないことも、主人を故意に傷つけられないことも、《飼育》の基本的な性質とされている。実際にどこから制約が働くのかを考えると、話はもう少し複雑になる。
例えば、グレンとリーゼは普段から模擬戦を行っている。リーゼはグレンに剣を振るえるし、攻撃を当てようとしても、特に違和感はないという。
互いに合意した訓練だからなのか。それとも、傷つけることを目的としていないからなのか。
魔王の本にも、飼育対象との戦闘訓練や、主人の許可を得て行われた行為の記録がある。主人に向けた攻撃が、一律に禁止されるわけではなさそうだった。
事前の合意がどこまで有効なのかは、まだ判断しきれない。シックザールは、その点を繰り返し尋ねていた。
グレンは以前の回答を読み返し、追加で確認できたことを書き込んだ。
リーゼとの模擬戦では、始める前に訓練内容や攻撃の強さを確認している。
では、途中でその合意が変わったらどうなるのか。どちらかが中止を申し出たあと、同じ攻撃を試みれば、制約の働き方も変わるのか。
命令の細部にも、疑問は残っている。曖昧な命令がどう解釈されるのか。互いに矛盾する命令を出したら、どう処理されるのか。
魔王の記録から分かることと、まだ確かめていないことを分け、回答の末尾に書き添えた。
そこまで進めたところで、部屋の入口から声がした。
「またあの女か」
顔を上げると、ネーベルが立っていた。
「ああ。今回もお前への質問があるぞ」
「よく飽きんな」
グレンは手元の紙を一枚取り出した。
「この前、姿を変えたときの消耗について聞いただろ。あれ、もう少し確かめたいんだけど」
「何をだ」
「巨大な姿で動き回ったあと、人間の姿に戻ると疲れは軽くなるのか? それとも、そのまま残るのか」
「残るぞ」
「やっぱりそうか」
「姿を戻したところで、腹が減っていることには変わらん」
当然のように言う。
「この前、山で魔獣を丸ごと食ったのも、そのせいか?」
「あれは腹が減っていたから食った」
「それは分かるよ」
「なら聞くな」
「どれくらい消耗したのか知りたいんだよ」
ネーベルは少し考えた。
「人の姿で動くよりは疲れる。ただ、身体の大きさだけで決まるものでもない。何もせずに寝ているだけなら、そう腹も減らん」
グレンはその答えを書き留めた。以前の測定結果とも、おおむね一致している。
巨大化そのものと、その姿で活動したことによる消耗は、まだ正確に分けられていなかった。
「次に機会があったら、もう少し詳しく調べたいな」
「私は構わんが、あの女を呼ぶなよ」
「分かってる」
「本当に分かっているのか?」
「今回は俺が聞いてるだけだろ」
「……そうだったな」
ネーベルは頷いた。シックザールが直接来るとなれば、また話が違うのだろう。
グレンは、ネーベルの記録へ目を移した。
傷はすっかり治り、充足度も安定している。《飼育》が成立した当初とは、ずいぶん変わっていた。
信頼は五十六。親愛は十四。忠誠は五十九。依存は六。
アルヴェイン家で初めて測定したとき、信頼は十一しかなかった。それでも、研究への協力を頼むと、思いのほかあっさり承諾してくれたのを覚えている。
主人として受け入れた相手には従う。群れや番で過ごす魔獣としての価値観も、影響しているのだろう。
今では家ですっかりくつろぎ、食事を共にし、気が向けばあれこれ注文までつけてくる。番の毛皮を昔の巣へ埋めるという約束も、果たすことができた。
そうして一緒に過ごすうちに、信頼も育ってきたのだと思う。グレンとしても、嬉しい変化だった。
一方で、親愛や依存は低い。主人に従うことと、主人を慕ったり頼ったりすることは、やはり別なのだろう。
そのあたりは、リーゼとはずいぶん違っていた。
グレンは彼女の記録を取り出した。
信頼と親愛は、相変わらず九十九。忠誠は五十三、依存は四十八になっている。
特に依存は、《飼育》が成立してから一貫して上昇していた。接触や称賛への欲求も、高い状態が続いている。
魔王の本には、接触や称賛の与え方によって対象の反応が変わることが、詳しく記録されていた。長い時間をかけて、対象が主人に何を求めるようになるのか。魔王は、そうした変化まで観察している。
グレンにも、思い当たることは多かった。
最初の頃、リーゼは撫でられることに戸惑っていた。今では訓練の休憩中に自分から隣へ来るし、褒めれば遠慮なく喜ぶ。何かと理由をつけて触れてほしがっていたのも、最近はずいぶん素直になった。
そんなリーゼが、可愛くて仕方がなかった。
撫でると嬉しそうにする。その顔を見たくて、また手を伸ばす。以前ほど、世話をしているという感覚はない。自分から触れたいと思うことも増えた。
慕われるのは嬉しい。もっと頼ってほしいし、もっと一緒に過ごしたい。
自分にそういう願望があることは、もう随分前から分かっていた。
接触や称賛を与え、反応を確かめ、求められればまた応じる。その積み重ねの中で、彼女の欲求や依存は変わってきた。魔王の記録に照らしても、不思議なことではない。
グレン自身、その変化を喜んでいる。
そこが、自分でも少し厄介だった。
リーゼが望んだから、強くなるための訓練を考えた。甘えてくれば、できるだけ応えてやりたかった。そうしてきたことに後悔はない。
彼女がもっと自分を好きになってくれたらいい、という気持ちも確かにあった。
今、自分をどう思っているのか。それも、ずっと気になっている。
親愛の数値が高いことは知っていた。内訳まで詳しく確かめれば、その好意がどういうものなのか、もっと分かるはずだった。
確かめたいと思ったのは、一度や二度ではない。
本人に黙って、そこまで踏み込むべきではない。
そう考えて、今まで見ずにきた。
見たところでリーゼには分からないだろう、と考えたこともある。
自分にも、そういうところがある。
好きな相手の気持ちを知りたい。できれば、自分を好きでいてほしい。そして、恋愛感情を抱いてくれているのなら、そのことは本人の口から聞きたいと思っていた。
グレンは筆を置き、書きかけの報告書を見た。
研究のためには、リーゼの状態についてかなり踏み込んだところまで調べている。シックザールとのやり取りを通じて、自分が《飼育》について知っていることは、ほんの一部なのだと実感した。
これからも切り離せない力だ。その性質を、もっと深く知っておく必要がある。
それと、自分が個人的に知りたいこととの間には、線を引いてきたつもりだった。
その線をどこに引くかも、守るかどうかも、自分次第だ。
「何を難しい顔をしている」
ネーベルに声をかけられ、顔を上げた。
「いや、ちょっと考え事を」
「もう終わったのか?」
「質問は大体な。あとは手紙にまとめるだけだ」
「そうか」
ネーベルはそれ以上聞かず、台所へ向かった。しばらくして、湯を沸かす音が聞こえてくる。
グレンも作業に戻った。
回答を清書し、確認できなかった項目と、魔王の本の参照箇所を別紙にまとめる。封筒へ収めようとして、もう一通、返事を出す必要があったことを思い出した。
研究とは別に、グレンからシックザールへ相談していた件だ。
先日届いた返事には、指定した条件で製作できる見込みが立ったことと、細部についての確認事項が記されていた。
その手紙を、もう一度開く。
末尾には、こんな一文も添えられていた。
『わたくし、このご依頼は大変気に入っておりますの。完成が今から楽しみですわ!』
グレンは苦笑した。
指定した条件で進めてほしいと書き、確認事項にも順に答える。費用は自分が負担することと、安全性について不明な点があれば製作前に知らせてほしい旨を添えた。
最後に礼を書き、封筒を閉じる。
ちょうど、ネーベルが戻ってきた。
「終わったか」
「ああ。今度こそ終わりだ」
「なら、茶を飲め」
カップを二つ持っていた。一つをグレンの前へ置き、自分も向かいの椅子へ腰を下ろす。
「珍しいな。俺の分まで淹れてくれたのか」
「ついでだ」
「そりゃどうも」
カップを持ち上げ、温かい紅茶を一口飲んだ。向かいでは、ネーベルも満足そうに自分のカップを傾けている。
初めて会ったときのことが、随分昔のように思えた。
翌朝、リーゼはいつもどおり訓練場へやってきた。
休憩に入るなり、昨日の話を始める。
「いやあ、面白かった! やっぱり舞台はいいねえ」
「そんなによかったのか?」
「うん。評判の劇団だとは聞いてたんだけど、期待以上だったよ。衣装も舞台装置も凝っていてね。何より役者が素晴らしかった」
「どんな芝居だったんだ?」
「ええとね。船が難破して、兄と生き別れになった娘がいるんだ。その子が男の格好をして、とある貴族に仕えることになるんだけど」
リーゼは身を乗り出した。
「その貴族には想い人がいてね。娘は主人に頼まれて、その女性へ恋の使者として会いに行くんだ。ところが、相手の女性が使者の方を好きになってしまう」
「……ややこしい話だな」
「ふふ。まだ序の口だよ」
「まだあるのか」
「もちろん。だって、その娘自身も、仕えている主人のことが好きなんだから」
グレンは、今聞いた話をもう一度頭の中で辿った。
「つまり、自分の好きな男のために、別の女へ求婚しに行ってるのか?」
「そういうこと!」
「大変だな、そいつ」
「本当にねえ」
リーゼは楽しそうに笑った。
「それで、ボクが特に気に入ったのは、その娘を演じていた女優なんだ」
男として振る舞うときの立ち姿や声の出し方。台詞を交わす相手によって、目線の動かし方まで違っていたという。
「すっかり若い男に見えるんだよ。でも、主人と二人で話しているときだけ、時々ものすごく切ない顔をするんだ。ほんの一瞬なんだけどね」
「よく見てるな」
「そこが面白いんじゃないか。……ああ、そうだ。特に好きな場面があってね」
リーゼが椅子から立ち上がった。
「ちょっとキミ、そこに立ってくれない?」
「何でだよ」
「いいから。キミは今、その娘の主人だと思って」
言われるまま立ち上がると、リーゼは少し離れたところへ歩いていった。
「あるとき主人が、その娘に恋をしたことがあるかって尋ねるんだ。もちろん、男だと思って聞いてるんだけど」
「ああ」
「そこで娘は、自分のことを知り合いの話として語るんだよ。……じゃあ、キミは『その娘はどうなった?』って聞いて」
「その娘はどうなった?」
リーゼがこちらを向いた。
さっきまでの楽しそうな表情が消え、困ったような笑みを浮かべる。
「……何も、申しませんでした」
声が違った。
静かで、どこか寂しげだった。いつもならすぐに続くはずの言葉を、グレンは黙って待っていた。
リーゼはしばらくこちらを見つめてから、ふっと表情を緩めた。
「……と、こんな感じかな」
「おお」
思わず声が出た。
「上手いな、お前」
「本当かい?」
「ああ。ちょっと驚いた」
リーゼの顔がほころんだ。
「昔、母さんによく付き合わされてたからね。台詞を覚えて、相手役をやらされたりしてさ」
「なるほどな」
「もっとも、昨日の女優はこんなものじゃなかったよ。台詞を言い終わったあと、主人の顔を見て、ほんの少し笑うんだ。あの間の取り方が、本当に絶妙でね」
もう一度やってみせようとして、途中で首を傾げる。
「……いや、違うな。もう少し、こう……」
何度か表情を変えるうち、グレンは笑ってしまった。
「何だい?」
「いや。お前、そういうことになると随分熱心なんだな」
「そりゃあね。いい芝居を観ると、自分でもやってみたくなるものさ」
「そういうもんなのか」
リーゼは椅子へ戻ってきた。
「それにしても、あの女優は本当によかった。また観たいなあ」
「そんなに面白いなら、俺も一度観に行ってみたいな」
何気なく言うと、リーゼがこちらを見た。
「キミが?」
「ああ」
「芝居に興味があったのかい?」
「今まではあんまり。でも、お前の話を聞いてたら面白そうだと思った」
リーゼは目を瞬かせ、それから身を乗り出した。
「それなら、次は一緒に行こうよ。あの劇団、また何かやるらしいんだ。いつになるか調べておくよ」
「頼む」
「ふふ。楽しみだなあ」
もう次の芝居を観に行く気になっているらしかった。グレンも、彼女と舞台を観るところを思い浮かべた。




