第2話 飴
受付の机に、革袋から取り出した牙が並べられていく。
一本ずつ大きさも色も違い、根元にはまだ乾ききっていない血が残っていた。職員は手袋をはめた手で数を確かめ、報告書へ目を落とす。
「討伐数、六体で間違いありませんか」
「ああ」
「巣の周辺は?」
「一通り確認した。ほかに新しい痕跡は見当たらなかった」
グレンの返答を書き加え、職員が紙の端へ印を押した。
「分かりました。では、これで依頼完了とします。お疲れさまでした」
少し離れたところで待っていた男が、大きく息を吐いた。今回の依頼で組んだ槍使いだ。以前にも何度か同じ仕事に入ったことがある。
「終わったな。さすがに今日は疲れた」
「最後の方、ずいぶん息上がってたもんね」
「お前だって人のこと言えねえだろ」
「ボクはまだ余裕があったよ」
「その外套で言われても説得力ないぞ」
男の視線が、リーゼの裾へ落ちる。何かに引っ掛けたらしく、布が一筋長くほつれていた。
リーゼもそこを摘まむ。
「これは戦果だと思うことにするよ」
「気に入ってたんじゃなかったのか?」
「だから、そう思い込もうとしてるんだ」
「なるほど」
男が笑う間に、職員が報酬を数え終えた。グレンは卓上に置かれた袋を受け取り、人数分に分けた。
取り分を腰へしまいかけて、槍使いがリーゼを見た。
「そういや、お前」
「何?」
「戦い方、少し変えたか?」
リーゼの手が止まった。
「そう見えた?」
「ああ。前にも何度か一緒になったけど、今日はちょっと違っただろ」
男は言葉を探すように、自分の足元へ視線を落とした。
「踏み込みかな。前はもっと一気に距離を詰めてた気がするんだよ。今日は、もう少し滑らかだった」
「へえ。よく見てるね」
「横で戦ってりゃ、それくらいはな」
「怪我のあと、ちょっと動きを組み直したんだよ。前と同じやり方が一番いいとも限らないからね」
「そういうもんか」
それ以上は聞かれなかった。
男は向こうで待っている仲間に手を上げた。
「じゃあ、俺たちは行くわ。またな」
二人を見送り、リーゼも自分の取り分を鞄へしまった。
「思ったより分かるものなんだね」
「何度か一緒に戦ってるからな」
「そこまで変えたつもりはなかったんだけど」
「前のお前を知ってる奴なら、気づくこともあるんじゃないか」
「ふうん」
リーゼは腰の剣を持ち上げ、鞘の位置を直した。それから、グレンを振り返る。
「で、今日のボクはどうだった?」
「聞くのか」
「聞くよ。せっかく隣に一番詳しい人がいるんだから」
改めて彼女を見る。
疲労はある。右脚には少し負担が寄り、肩にも軽い張りが残っていた。それでも、今日の仕事で動きが大きく崩れたところはなかった。
「よかったと思う」
リーゼが眉を上げた。
「それだけ?」
「細かく聞きたいなら話すぞ」
「……いや、今日はやめておこうかな」
「なんでだよ」
「今から始めたら、長くなりそうだ」
グレンは否定しなかった。
リーゼが先に歩き出す。
「帰ろう。さすがに腹が減ったよ」
「ああ」
ギルドを出ると、外はもう昼を回っていた。通りには荷車が行き交い、店先ではまだ何人かの客が食事をしている。
焼いた肉の匂いが流れてきて、リーゼがそちらへ顔を向けた。数歩進んだところで足を止める。
「……あそこ、寄っていかない?」
以前にも何度か入った食堂だった。
「いいな」
「よし」
リーゼはすぐに道を渡った。グレンもその後を追い、昼時を過ぎてもまだ客の残る店へ入った。
二人掛けの席に、リーゼが先に座る。鞘が椅子へ当たりかけ、慣れた手つきで位置をずらした。グレンも向かいへ腰を下ろす。
店員の置いていった品書きを眺めて、リーゼが言った。
「今日は肉にしようかな」
「いつもだろ」
「今日は特に」
一つ選び、少し迷ってからもう一つ指差す。
「二つ食うのか?」
「動いたからね。たぶんいける」
「たぶんかよ」
「余ったら手伝ってくれればいいだろ」
リーゼはそう言って、品書きを閉じた。
⸻
中央広場へ続く通りは、普段とは別の場所のようだった。
建物の間に色硝子の灯りが吊られ、その下を埋めるように露店が並んでいる。焼いた肉と菓子の甘い匂いに、鼻の奥を刺激する香辛料の匂いまで混じっていた。
どこかで笛が鳴っている。歓声が上がるたび、リーゼが気になるようにそちらを見た。
「話には聞いてたけど、思っていたよりずっと賑やかだね。広場に店がいくつか並ぶくらいかと思ってたよ」
「今まで一度も来たことなかったんだな」
「毎年なんだかんだ仕事が入ってたからね。去年なんて北の街道で三日くらい雨に降られて、帰ってきた頃には終わってただろ」
そこまで言われて、グレンもようやく思い出した。
「ああ、あれか」
「何で依頼のことから思い出すんだよ」
リーゼが笑う。その横を歩くネーベルは、さっきから忙しなく周囲を見ていた。
人の姿で町を歩くことには、もう随分慣れている。それでも、これほど大勢の人間が狭い通りを行き交うのは珍しいらしく、ときどき歩みが遅くなった。
最初に足を止めたのは、大きな人垣の前だった。
輪の中心で、男が長い棒の先へ椅子を積み上げている。三脚目が乗ると、男自身もその上へ登り、片足で立った。
ネーベルが眉を寄せた。
「……あれは何をしているんだ」
「見世物だよ。ああいう危ないことを上手にやって、お客を楽しませるんだ」
リーゼも隣へ並び、人垣の隙間から覗き込む。
男が身体を傾けると、椅子の塔が大きく揺れた。周囲から悲鳴に近い声が上がり、ネーベルが一歩前へ出る。
直後、男は体勢を戻し、何事もなかったように両手を広げた。一斉に拍手が起きる。
見上げていたネーベルが、ぽつりと言った。
「今のは、本当に落ちかけていたんじゃないのか」
「どうだろうね。そう見せるところまで芸なのかもしれないし、本当にちょっと危なかったのかもしれない」
「そんな曖昧なものを見て、皆あんなに喜ぶのか?」
「分からないから面白いんじゃない? 絶対に失敗しないって分かってたら、たぶん今ほど騒がないよ」
ネーベルはもう一度、椅子の上の男を見た。まだ何か言いたそうだった。
人垣を離れてからも、見世物があるたびに立ち止まった。火を吹く男を見れば口の中を火傷しないのかと気にし、何本もの短剣を空中へ投げる女が一度取り落とすと、しばらくその手元を見ていた。
興味がないような顔をして、見ているところが妙に細かい。
そのうちリーゼも面白くなってきたらしく、何か始まるたびにネーベルの方を見るようになった。
「今度のはどう? あれならキミも文句ないだろ」
路上で楽器を奏でる三人組を指す。
ネーベルはしばらく聴いてから言った。
「さっきから同じところで、一人だけ少し遅れている」
「そういうのを探す遊びじゃないんだけどなあ」
リーゼは笑いながら、もう一度演奏へ耳を向けた。
「……あ、本当だ」
「だろう」
今度はネーベルが得意そうだった。
しばらく歩くと、肉の焼ける匂いが強くなった。リーゼが振り返った先で、大きめに切った肉が炭火の上で音を立てている。表面には赤い香辛料と何かの種がまぶされていた。
「これ、食べていこうよ。さっきからいい匂いしてる」
グレンにも異論はなかった。
二人分を頼んだところで、リーゼが横を見る。ネーベルも網の上を見つめていた。
「キミも食べる?」
「……どんな味だ」
「それをこれから確かめるんだよ。嫌いだったらボクが残りを食べてあげるから、一つ頼めば?」
「なぜお前が得をする」
「じゃあ、グレンにあげればいい」
「勝手に俺を入れるなよ」
結局、三本頼んだ。
受け取った串は熱く、傾けると肉汁が指へ垂れそうになる。リーゼは最初の一口で顔をしかめた。
「思ったより辛いな、これ。美味しいけど、結構くるね」
「そうか? 俺はこれくらいなら平気だな」
「じゃあ、ボクが途中で駄目になったら、残りは任せるよ」
「さっきはネーベルの残りを食う話じゃなかったか?」
「増えたね」
「いらねえよ」
ネーベルは何も言わずに食べていた。気づけば、三人の中で一番先に串だけになっている。
リーゼがそれを見つけた。
「気に入ったんじゃないか。もうなくなってるよ」
「食べ始めたものを途中でやめる理由がない」
「はいはい。そういうことにしておこう」
ネーベルは何か言い返そうとして、少し先の店へ顔を向けた。
「……あっちは何を焼いている」
リーゼが吹き出した。
「まだ食べる気じゃないか」
「見ただけだ」
「じゃあ、近くで見ておいでよ。ついでに買ってきても、誰も笑わないから」
ネーベルはむっとした顔をしたものの、本当に店の方へ行った。
グレンは残った肉を食べながら、その背中を見送った。
「よく食うな」
「まあ、あれだけ大きくなるんだからね。あの姿でも、人間より食べるのかもしれない」
少しして、ネーベルは片手に腸詰めを持って戻ってきた。
リーゼは何も言わなかった。笑っていただけで、ネーベルに睨まれた。
それからは、三人とも気になる店へ好きに足を止めた。
リーゼが布地を見ている間、グレンは隣の店で工具を眺めた。振り返るとネーベルの姿がなく、二人で少し戻る。
数軒前の、小さな飴細工の屋台にいた。
鍋から掬った透明な飴を、職人が棒の先で伸ばし、摘まむ。鳥になり、馬になる。次に作り始めたのは狐だった。
ネーベルは、妙に真剣な顔で見ていた。
細長い耳が二つ立ち、背中の後ろに大きな尾がつく。出来上がると、ネーベルが首を傾げた。
「耳が短いな。それに、尾も少し太すぎる」
「そう?」
リーゼも隣から眺めた。
「言われてみると、耳はもう少し長い方がそれっぽいのかな。ボクには、これでも十分狐に見えるけど」
「私の耳はもっと長い」
「うん。キミのは長いよね。……でも、可愛いじゃないか、あれ」
ネーベルは答えなかった。職人が客へ狐を渡すまで、じっと目で追っている。
その横顔を見てから、リーゼが店主へ声をかけた。
「すみません。ボクにも一つ。今の狐をお願いします」
ネーベルが振り返る。
「買うのか?」
「うん。せっかくだしね」
新しい飴が鍋から掬われた。ネーベルは、出来上がるところを最初から最後まで見ていた。
リーゼは受け取った狐を一度自分の前で眺め、それからネーベルへ差し出した。
「はい。キミに」
「……私に買ったのか」
「いらなかった?」
狐とリーゼを交互に見て、ネーベルが手を伸ばす。
「いらないとは言っていない」
「それならよかった」
リーゼは先へ歩き出した。ネーベルも少し遅れてついてくる。
飴の狐は、すぐには食べなかった。途中で別の食べ物を買ったときにも、潰さないように反対の手へ持ち替えていた。
グレンは気づいたが、何も言わなかった。
夜市を一通り回る頃には、通りは来たとき以上に混んでいた。人波を抜け、大通りから一本外れると、祭りの音が遠くなる。
リーゼが大きく息を吐いた。
「さすがに歩いたなあ。途中から、どこを通ったのか全然分からなくなったよ」
「《案内》持ちが言うことか?」
「道に迷ったって意味じゃないよ。人を避けてたら、同じところを何度も回った気がするって話」
「実際、二度通ったところはあったぞ」
後ろからネーベルが言った。
「ほら。やっぱり」
「お前が店を見に戻ったからだろ」
「それもあるね」
リーゼが笑う。
少し歩いたところで、ネーベルが尋ねた。
「さっきの串焼きの店は、次も来るのか?」
「どうだろう。ボクたちも来たのは初めてだからね。毎回同じ店が出るのかまでは、分からないな」
「そうか」
「またあったときに探してみればいいじゃないか。似たようなのなら、他にもあるだろうし」
ネーベルは前へ向き直った。手には、まだ狐の飴がある。
しばらく眺めてから、その尾の先を齧った。
「どう?」
「甘い」
「飴だからね」
リーゼが笑う。ネーベルはもう一口齧り、何事もなかったように歩き出した。
グレンも、その横へ並んだ。




