第7話 とことん話そう④
グレンは、すぐには答えられなかった。
今日、何度も彼女の気持ちを聞かせてもらった。それでも、今の言葉には胸がいっぱいになった。
自分が間違える可能性も、この先どう変わるか保証できないことも、リーゼは承知している。一緒にいたいと言う彼女の顔を、グレンはもう一度、よく見た。
「……嬉しいよ」
リーゼの表情が和らいだ。
「俺も、お前と一緒にいたい。これから先も、ずっと」
「うん」
「だから、やっぱりお前にひどい命令をするような人間にはなりたくないな」
「ふふ。そうだろうね」
リーゼが笑い、グレンも笑みを返した。
卓の上には、まだ魔道具の箱が置かれている。
一人で考えていたときには、これがあれば少しでも彼女の自由を守れると思った。備えとしての意味は、今もあると思っている。
リーゼは、自分の心配を聞いてくれた。彼女も将来のことを分かった上で、一緒にいたいと答えてくれた。
リーゼと話して決める。彼女の父親にも、そう答えた。
今、こうして聞かせてくれた彼女の気持ちに、自分も応えたかった。
「……これ、どうするかな」
グレンが箱を見下ろすと、リーゼが答えた。
「キミが決めればいいさ。着けるのはキミなんだから」
「そうだな」
もう一度、細い革の帯へ目を落とす。
これを身につけてからでなければ、恋人になれないと考えていた。リーゼは必要だと思っていないと答え、その上で、着けるかどうかは自分に任せてくれた。
先のことが分からないのは、今も同じだ。その上で、グレンも彼女と一緒にいることを選んだ。
「……ひとまず、しまっておくよ」
「ふふ。そうかい」
グレンは箱の蓋へ手を掛けた。
「それにしても、よく姉さんが作ってくれたね」
「いや、むしろかなり乗り気だったぞ」
「……ああ、そうだろうねえ」
リーゼが苦笑した。
「今度会ったら、何を聞かれることやら」
「悪い。俺が頼んだばっかりに」
「別にいいさ。慣れてるからね」
グレンも笑い、箱を閉じた。引き出しにしまって席へ戻ると、卓の上には紙束だけが残っていた。
最後の項目に目を通す。
確認しておきたかったことは、一通り話した。
グレンは紙を揃え、卓の端へ置いた。窓から差し込む光も、随分傾いている。
「……それで、これで全部かい?」
「ああ。話しておきたかったことは全部だよ」
「ふうん」
リーゼが頬杖をついた。何やら楽しそうに、こちらを見ている。
「……何だ?」
「いや、肝心なことを忘れてるんじゃないかと思ってね」
「肝心なこと?」
「……さっきまでのが、愛の告白のつもりかい?」
「最初に言っただろ。恋愛的な意味で好意があるって」
「言ったね。話し合いの前提として」
グレンは一瞬考えた。
「……ああ」
「ふふ。あれだけ準備しておいて、最後にそこを忘れるとはね」
「……そうだな」
グレンも笑ってしまった。
改めて彼女へ向き直る。
「リーゼ」
「うん」
「好きだ。俺と付き合ってほしい」
リーゼが目を細めた。
「……うん。喜んで」
それから、少し悪戯っぽく笑う。
「最初からそれだけでもよかったんだけどね」
「……ずいぶん遠回りしたな」
「まあ、キミらしかったよ」
彼女は頬杖を解いた。カップへ手を伸ばしかけ、その手を卓へ戻す。
「それで、恋人っていうのは何をするものなんだい?」
「……何を、って」
「ボクたち、今までと何か変わるのかな」
「そりゃ、変わると思うぞ」
「例えば?」
リーゼがこちらを見た。
グレンは少し迷い、口を開く。
「……キスしてもいいか?」
リーゼの頬が赤くなった。目を逸らさずに、頷く。
「……うん。ボクも、したいよ」
グレンが立ち上がると、リーゼも椅子から腰を上げた。卓を回って彼女のそばへ行く。
手を伸ばせば触れられる。いつも気軽にそうしているのに、今は妙に緊張した。
リーゼがそっと目を閉じた。
肩へ手を添え、グレンは顔を近づける。
唇が触れた。
ほんの短い時間だった。顔を離しても、リーゼはまだ目を閉じていた。
やがて瞼を開き、グレンを見上げる。
「……ふふ」
「何だ?」
「いや。嬉しくてさ」
彼女が胸へ額を寄せてきた。グレンも背中へ腕を回す。
銀の髪に頬が触れた。リーゼの腕が背中へ回り、服をきゅっと掴む。
グレンはそのまま、彼女を抱いていた。
「……ねえ、グレン」
「ん?」
「もう一回、してもいいかい?」
「ああ。もちろん」
リーゼが顔を上げた。今度は彼女から唇を重ね、グレンもその身体を抱き寄せた。
唇を離すと、リーゼは近くからこちらを見つめ、笑った。
「……うん。やっぱり、いいものだね」
「そうだな」
「これからは、こういうこともできるんだ」
「ああ」
背中の服を掴んでいた手が緩み、代わりに彼女の身体がぴたりと寄った。
しばらくして、リーゼが「ああ、そうだ」と呟く。
「一つ、お願いしてもいいかな」
「何だ?」
「今度、キミが何か用意してくれるならさ」
彼女はグレンを見上げた。
「揃いの指輪にしてくれよ。……首輪じゃなくてね」
グレンは一瞬きょとんとした。それから、苦笑する。
「……分かった。そうしよう」
「約束だよ?」
「ああ。今度は一緒に選びに行こう」
「うん。楽しみにしてるよ」
リーゼが腕を回し直した。グレンも、彼女を抱く腕に少し力を込めた。
⸻
翌朝、グレンが朝食の支度をしていると、玄関を叩く音がした。
扉を開けると、リーゼが立っていた。
「おはよう、グレン」
「ああ。おはよう」
いつもどおりの軽装に、腰には剣。訓練に必要な荷物も持っている。
「もう来たのか」
「うん。少し早かったかな?」
「いや、ちょうど朝飯にするところだ。食っていくだろ?」
「そのつもりで来たよ」
リーゼが笑い、グレンも彼女を中へ通した。
居間では、ネーベルが小さな狐の姿で敷物に寝そべっていた。
「おはよう、ネーベル」
「……ああ」
狐が顔を上げる。
「昨日の話は終わったのか」
「うん。おかげさまでね」
リーゼがグレンをちらりと見た。
「ボクたち、付き合うことになったんだ」
「ほう」
ネーベルは二人を見比べた。
「ようやくか」
「……キミねえ。もう少し驚いてくれてもいいんじゃないかい?」
「前からそうなると思っていた」
「そうかい。まあ、そうかもしれないね」
リーゼは肩をすくめ、食卓へ向かった。
グレンが皿を並べ始めると、ネーベルも人間の姿へ戻り、いつもの席についた。
焼いた卵にパン、昨夜の残りの野菜を使ったスープ。三人で朝食を取るうち、話題は今日の予定になった。
「そうだ、グレン。今日はちょっと試してみたいことがあるんだ」
「重力魔法か?」
「うん。自分を軽くして踏み込んだあと、重力を戻すタイミングを変えてみようと思ってね。上手く使えば、もう少し動きに幅が出せるんじゃないかな」
「なるほど。面白そうだな」
「だろう?」
「ただ、いきなり剣を振るのはやめておこう。まずは足運びからだな」
「分かってるよ。ボクだって、もうあの頃ほど無茶はしないさ」
「前も似たようなこと言ってたぞ」
「……よく覚えてるね」
リーゼは苦笑した。
「まあ、今日はキミの言う通りにするよ」
「ああ。それで試してみよう」
その横で、ネーベルがパンを食べ終えた。
「今日は訓練場へ行くのか」
「ああ。お前も来るか?」
「行く」
即答だった。
「家にいても退屈だからな」
「じゃあ、三人で行こうか」
リーゼが言った。
朝食を終えると、それぞれ出かける支度をした。グレンは斧を背負い、戸締まりを確かめる。リーゼも荷物を肩に掛け、ネーベルと玄関へ向かった。
外へ出ると、朝の通りにはすでに人が行き交っていた。
ネーベルが先に歩き出す。グレンも続こうとしたところで、リーゼが隣へ並んだ。
「……ねえ、グレン」
「何だ?」
彼女は何も言わず、そっと手を差し出してきた。
グレンが握ると、リーゼの指がその手を包んだ。
「ふふ」
「……何だよ」
「いや。こういうのも、いいなと思ってさ」
「ああ。そうだな」
グレンも笑った。
少し先で、ネーベルが振り返る。
「何をしている。置いていくぞ」
「はいはい。今行くよ」
答えたリーゼは、手を離さなかった。
二人で歩調を速め、ネーベルに並ぶ。
向かうのは、いつもの訓練場だった。




