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第4話 キミのペットになるってわけだ?

「《飼育(ブリーディング)》だ」


 リーゼの表情が変わった。


「《飼育》……」


 ある意味で、とても有名なスキルだ。


 ただし、その名が広く知られているのは、決して良い意味ではない。


 動物や魔獣を飼い馴らし、自らの飼育下に置くための力。ひとたび飼育対象として関係が成立すれば、どれほど獰猛な魔獣であっても主人に従わせることができる。


 それだけなら、珍しくはあっても、ここまで忌み嫌われるようなスキルではなかった。


 問題は、その先にある。


 《飼育》は、人間にも使える。


 動物や魔獣と同じように、人間を飼育対象として己の下に置き、主人として従わせることができる。


 飼育対象となった者は、主人の命令に逆らえない。


 本人の意思とは関係なく、人間を支配できてしまう力だった。


 かつて、この力によって数多の人間を飼育下に置いた者がいた。


 兵士も、騎士も、魔術師も、果ては国を預かる者さえも例外ではなかった。


 彼らを従え、魔獣とともに一個の軍勢として束ね、いくつもの国を戦乱へと巻き込んだ。


 《恩寵の魔王》。


 すでに遠い歴史の人物となった今でも、その名と《飼育》は切り離して語られることがない。


 このスキルが忌み嫌われている理由も、そこにある。


 リーゼも当然、そのことは知っていた。


 だから、グレンがこれまで《飼育》について一度も話さなかった理由も分かる。


「……なるほど」


 改めてグレンを見る。


「キミにそんな秘密を打ち明けてもらえたことは光栄だが……その《飼育》が、今の状況とどう関係してくるんだい?」


「世間で知られてる《飼育》は、相手を従わせる力だろ」


「まあ、そうだね」


「でも、それだけじゃない。《飼育》には、飼育対象の成長に関わる力もある」


 リーゼが眉を寄せた。


「成長?」


「何に向いてるのかを見たり、どれだけ育ったのかを把握したりな。そうやって飼育対象を育てていく」


 グレンは続けた。


「ただ、新しく飼育対象になった直後に限って、一度だけできることがある」


「ほう?」


「それまで培ってきたものを、別の分野へ振り分け直せるんだ」


 リーゼは意味を掴みかねたようだった。


「……もう少し詳しく聞いても?」


「お前なら、長いこと剣を使ってきただろ。強化魔法もかなり鍛えてる」


「それなりにはね」


「そうやって身につけてきたものを、《飼育》ではいくつかの分野に分けて扱える。そこに積み上がってる成長を削って、別の分野へ回すことができるんだ」


 リーゼは自分の腰の剣へ目を落とした。


「今まで身につけてきたものを失う代わりに、その分だけ別の何かを身につけ直せる、と」


「大体そんな感じだ」


「……ずいぶん現実離れした話だね」


「スキルなんて、大体そんなものだろ」


「それはそうなんだけどね」


 リーゼは苦笑した。


 魔力を費やし、一定の理屈に従って現象を起こす魔法とは違う。スキルは最初から、そういうことのできる力として存在する。常識から外れているというだけで、できない理由にはならない。


「それと、飼育対象になれば、今よりずっと詳しくそいつのことが分かるようになる。何をどれだけ身につけてるか、何に向いてるか。再配分するなら、何をどこへ回せるかもな」


 今のグレンが知っているのは、長く隣で見てきたリーゼの強さだけだ。剣が得意で、強化魔法も高い水準で扱える。だが、《飼育》が捉える彼女の中身までは、まだ見えていない。


「それで、俺が考えてるのは、その蓄積を空間魔法に回すことだ」


 リーゼの眉が上がった。


「……空間魔法だって?」


 グレンが頷いた。


 知識として知らない魔法ではない。


 ただ、実際に扱える者となれば話は別だった。空間魔法には特別な才能が必要だとされ、使い手そのものが極端に少ない。リーゼにとっても、自分が習得することを考えたことさえない分野だった。


「離れた場所へ移ったり、二つの場所を直接つないだりする術があるだろ?」


「もちろん知ってるよ」


 そこまで言われて、リーゼの表情が変わった。


「……そうか」


 崩れた通路へ目をやる。


「そこまで使えるようにできれば、ここから直接地上へ出られる」


「そういうことだ」


「でも、本当にそこまで持っていけるかは分からない?」


「今の段階じゃな。お前がそれぞれの分野にどれだけ積み上げてるのかも、空間魔法にどれだけ向いてるのかも、まだ見えない」


「それも、飼育対象になれば分かる?」


「分かる」


 成功する保証はない。


 それでも、何もなかったはずのところに、初めて生き延びるための可能性が見えた。


「……つまり、その方法を試すには」


 リーゼはグレンを見る。


「まずボクを、キミの《飼育》の対象にする必要があるんだね」


「ああ」


 グレンは頷いた。


「ただ、そうする前に、飼育対象になると何が起きるのかは話しておく。気分のいい話じゃないぞ」


 リーゼの表情が引き締まる。


「……分かった。聞こう」


「まず、《飼育》を成立させる条件は二つある」


「条件?」


「相手を屈服させるか、本人に受け入れてもらうか。今回は当然、後者だ。お前自身が《飼育》されることに同意しない限り、成立させるつもりはない」


 リーゼは黙って頷いた。


「それから、一度成立した《飼育》は解除できない。ここを出るまでとか、何日間だけとか、そういう使い方はできない。飼育対象になれば、その関係はずっと続く」


 グレンは続ける。


「身体のどこかには、《飼育》の証も刻まれる。一度ついたら消えない。場所は選べない。刻まれるときだけ、その辺りが熱を持つ」


「……証まで残るのか」


「ああ」


 最初から軽い話ではなかった。


「主人から明確に命令されたことには逆らえなくなる。主人を意図的に傷つけることもできない。それから、相手がどこにいるかや、体調や怪我の具合、空腹や眠気みたいな身体の状態や欲求も、主人には分かるようになる」


 聞くうちに、リーゼの顔から先ほどまでの余裕が消えていった。


「人格や記憶が失われるわけじゃない。考えてることを全部読まれるわけでもないし、お前がお前じゃなくなるわけでもない」


 グレンは言葉を選ぶ。


「ただ、何も変わらないわけじゃない。《飼育》された側は、主人に認められたり、褒められたりすることを求めるようになる。自分の欲求を主人に満たしてもらうことにも、強い満足を感じるようになるらしい」


「……そこまで変わるんだね」


「どのくらい強く出るかは相手によるみたいだけどな。少なくとも、記憶を書き換えられたり、性格そのものが別物になったりするわけじゃない」


「……なかなかだね」


 グレンも否定しなかった。


 一時的に力を借りる契約とは、まるで話が違う。


 記憶も人格もそのまま。


 それでも、一度結ばれた関係は二度と解けず、身体には消えない証が残り、主人から命じられれば逆らえない。その主人を自分の意思で傷つけることもできず、これまでになかった欲求まで自分の中に生まれる。


 リーゼは考えてから、グレンを見た。


「……なるほどね。要するに、ボクはキミのペットになるってわけだ?」


 グレンは眉を寄せた。


「《飼育》の上では、俺が主人で、お前が飼育対象になる。それは間違いない」


 一拍置く。


「ただ、ここを脱出するために必要なこと以外で、俺から《飼育》の力を使うつもりはない」


「そうか」


 リーゼの表情がわずかに緩んだ。


 グレンが怖いわけではない。


 むしろ相手が彼だからこそ、ここまで冷静に聞いていられるのだと思う。


 それでも、自分自身に二度と元へ戻せない変化が起きることへの恐怖は、それとはまったく別のものだった。


 考え込んでいたリーゼが顔を上げる。


「それにしても……キミはずいぶん詳しいんだね」


「……誤解しないで欲しいんだが」


 グレンがすぐに口を挟んだ。


「俺は、人間に《飼育》を使ったことは一度もない。それどころか、《飼育》自体ほとんど使ったことがない」


 リーゼは目を瞬かせ、それから口元を緩めた。


「そう慌てなくても、キミがどこかで人を飼っていたとは思ってないよ」


「……ならいいんだけどな」


「ただ、どうしてそこまで詳しいんだい?」


 グレンは一度黙った。


「家に、《飼育》について書かれた古い本が残ってるんだ」


「本?」


「使い方だけじゃない。飼育対象に何が起きるのか、どう育てるのか、人間を対象にした場合のことまで、かなり細かく書いてある」


 リーゼが眉を上げる。


「ずいぶん物騒な本だね」


「書いた奴を考えればな」


 その返しに、リーゼがグレンを見る。


「書いたのは、《恩寵の魔王》本人だ」


 今度こそ、その表情が止まった。


「……本人?」


「ああ」


「どうして、そんなものがキミの家に?」


「俺の一族が、その血を引いてるからだ」


 言葉が返ってこない。


 《飼育》を持っているというだけでも十分すぎる秘密だった。その上、グレンの血筋そのものが、かつて数多の人間を飼育下に置いた《恩寵の魔王》へつながっている。


「血筋のことは、子供の頃から聞かされてた。《飼育》が俺にも出るかどうかまでは分からなかったけどな」


「……それで、実際に発現した」


「そうだ」


 グレンは頷いた。


「俺の一族は、ずっとこの血筋を隠して生きてきたらしい。魔王の末裔だなんて知られたところで、ろくなことにはならないからな」


 その血から時折《飼育》の使い手が生まれるとなれば、なおさらだった。


 一族は長いあいだ人目を避けるように暮らしてきた。それでも、魔王が残した本だけは失わずに受け継いできた。


「うちでは、《飼育》が発現した者には、あの本の中身をきちんと学ばせることになってる」


「どうして?」


「何ができるのかも、使えば何が起きるのかも分からないまま、こんな力を持たせておく方が危ない。そういう方針なんだ」


「それで、キミも?」


「《飼育》が出てから、一通り頭に入れた」


 だからグレンは、この力をほとんど使ったことがなくても、その性質については詳しい。


 それが人間に向けられたとき、何をし得るのかも。


 リーゼは目の前の男を見つめた。


 これまで知らなかったことを、ずいぶん一度に聞いた。


 それでも、彼が別人になったようには感じなかった。


 問題はもう、グレンが何者なのかではない。


 この力を、自分に使わせるかどうかだった。


 視線を落とす。


 怖くないわけではない。


 どれだけ説明を聞いても、実際に飼育対象になった自分が何を感じるのかまでは分からない。そして、一度受け入れれば、後から気が変わったところで元には戻れない。


 命令されたら、逆らえない。


 それは、相手がグレンであっても同じだ。


 今までなら嫌だと言えたことも、成立したあとは、命令という形で告げられれば拒むことができなくなる。


 グレンがそんな使い方をするとは思っていない。


 信じている。


 それでも、自分から「拒める」という選択肢を手放すことまで、怖くないと言えば嘘になる。


 リーゼは無意識に、自分の身体へ視線を落とした。


 どこになるかは分からない。


 だが、この身体には消えない証まで残る。


 そして、自分の中には今までなかった欲求が生まれる。


 何がどこまで変わるのかは、グレンにも正確には分からない。


 受け入れないという選択肢もある。


 グレンは無理強いしないだろう。


 その代わり、二人はここで救助を待つことになる。


 外から場所を突き止めてもらえる保証はない。


 水も食料も、永遠に持つわけではないし、今いる空間だって、いつまでも崩れないとも限らない。


 どちらを選んでも、何も失わずに済む道ではなかった。


 リーゼはグレンを見る。


 もし相手が彼でなければ。


 そもそも、ここまで考えることさえしなかっただろう。


 《飼育》という名前を聞いた時点で断っていたかもしれない。


 怖い。


 それでも。


 この男になら、預けてもいいと思えた。


 リーゼはゆっくり息を吐き、顔を上げる。


「……よし」


 グレンがこちらを見る。


 リーゼは、いつものように口元を上げた。


「それじゃあ、キミの作戦に賭けてみようか」


 言葉にしてしまえば、不思議と腹は決まった。


 グレンはすぐには答えなかった。


 リーゼの顔を見つめ、静かに問い返す。


「……本当にいいのか?」


「ここまで話を聞いて、それでもそう言ってるんだよ」


 リーゼは眉を上げた。


「まさか今さら、ボクが怖気づくと思ったのかい?」


「思ってない」


「なら、もう一度言わせないでくれよ。せっかく格好よく決めたんだから」


 冗談めかして笑う。


 怖さが消えたわけではなかった。


 それでも、もう引き返すつもりはない。


「頼むよ、グレン」


 グレンはリーゼを見た。


 ここまで説明して、それでも彼女は自分に任せると言った。


 なら、もう迷うところではない。


 ただ――妙な感覚はあった。


 家の本で何度も目にしてきた《飼育対象》という言葉。


 これまでは、どこか遠いものだった。魔王が飼っていた人間や、過去の《飼育》使いが扱った魔獣。そういうものを指す言葉として読んできた。


 その言葉が、これからリーゼを指す。


 ずっと隣で戦ってきた相棒を。


 グレンは、それだけは忘れないようにしようと思った。


 スキルが彼女をどう捉えようと、リーゼはリーゼだ。


 そう胸の内で決めて、手を差し出す。


「分かった」


 リーゼはその手を見てから、自分の手を重ねた。


「これで?」


「大丈夫だ」


 本人の同意は、もう得ている。


 グレンが《飼育》を働かせる。


 重ねた手に力がこもった。


 呪文はない。


 魔力が膨れ上がることも、光が溢れることもなかった。


 ただ、一瞬。


 何かが、確かに噛み合った。


「……っ」


 直後、鎖骨の下が急に熱を持った。


 焼けるほどではない。


 そこだけに熱い指先を押し当てられたような、不意の熱だった。


 リーゼは反射的に手を離し、胸元へ触れる。


「ここか」


 グレンが言った。


「証?」


「ああ」


 熱はすぐに引いていった。


 リーゼが襟元をわずかにずらして確かめる。


 鎖骨の下。


 そこに、さっきまでなかった小さな紋様が刻まれていた。


 傷でも、火傷でもない。


 ただ皮膚の上に、最初からそこにあったかのように形だけが残っている。


「……本当に刻まれるんだね」


「本にはそう書いてあった」


「消えないんだったね」


「ああ」


 リーゼは指先でその証に触れた。


 もう熱くはない。


 痛みもなかった。


 けれど、成立したことだけは嫌でも分かる。


 そして、その瞬間。


 それまでにはなかった認識が、あまりにも自然に自分の中へ収まっていた。


 グレン・ローデン。


 これまでずっと一緒に戦ってきた相棒。


 そして今は、それとは別に――自分の主人。


「……これは」


「何か変か?」


「変といえば、かなり変だね」


 リーゼはグレンの顔を見たまま眉を寄せた。


「本当に分かるんだ。キミがボクの主人だって」


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