第13話 今朝の、一生ってさ……
「……姉さんは本当に容赦ないよね」
ネーベルを毛皮のある部屋へ送り届け、客室へ戻ると、リーゼは長椅子へ深く腰を下ろした。
「お前が言ってた意味がよく分かった」
「キミ、途中からどの姉さんに答えればいいか分からなくなってただろ」
「全員、違うことを聞くからな」
リーゼが笑った。グレンも上着を脱いで椅子へ掛け、その隣へ座る。
窓の向こうで、鳥の鳴く声がした。作業台を囲んでいたときには、外の音など一度も気に留めなかった。
リーゼは背もたれに頭を預けたまま、こちらへ顔を向けた。
「ネーベルも、ボクたちと一緒に帰ることになるんだよね」
「そのつもりだ。俺が引き受けたんだしな」
「そうだね。……今日、思ったより大人しかったな」
「ああ。さっきも、部屋へ入ったらすぐ毛皮のところへ戻ったよ」
リーゼは膝の上に置いた手を、ゆっくり組み合わせた。
「母さんやフリルにしたことを考えると、今でも腹は立つよ。キミまで牢に入れられてさ」
グレンが頷くと、リーゼは黙った。毛皮に額を押しつけていた小さな狐の姿が、グレンの頭に浮かぶ。
しばらくして、リーゼが顔を上げた。
「それにしても、キミがあそこで引き受けるって言い出すとは思わなかったよ」
「俺も、ここへ来たときは思ってなかった」
「そうだろうね。あんなに隠そうって話してたんだから」
リーゼは笑みを収め、グレンへ向き直った。
「フリルを助けてくれて、ありがとう。キミが話してくれなかったら、あのままどうなってたか分からなかった」
「無事でよかったよ」
「うん」
リーゼは大きく息を吐いた。
「……やっと、キミと普通に帰れるんだな」
グレンは、鉄格子を掴んでいたリーゼの手を思い出した。
「牢で、俺を信じてるって言ってくれただろ。あれ、助かった」
「……うん」
「迎えに来てくれたのも。ありがとうな」
グレンは手を伸ばし、銀の髪へ触れた。
リーゼは少し目を伏せた。頭へ置かれた手に、自分からそっと寄せてくる。撫でると、その口元に笑みが戻った。
「そうだろう? ボク、結構頑張ったからね」
「ああ。よく頑張った」
「だから、今日はたくさん褒めてもらおうと思ってたんだ」
そう言って、リーゼはすぐそばへ座り直した。グレンの腕に肩が触れ、そのまま身体を預けてくる。
「朝から、ずっとそのつもりだったのか」
「姉さんに捕まる前からね」
グレンは笑った。髪を梳くように手を動かすと、リーゼは気持ちよさそうに目を細めた。
しばらく撫でて、手を下ろしかけたところで、その手首を軽く掴まれた。
「まだ足りないな。もう少し」
「……お前、最近は遠慮しなくなったな」
リーゼが顔を上げる。すぐ近くで目が合った。
「こんなボクは嫌かい?」
「……嫌じゃない」
「じゃあ、いいだろ?」
リーゼは笑い、掴んでいた手を離した。グレンはその手を頭へ戻す。さっきよりも彼女の顔を見づらくなり、銀の髪へ目を落とした。
肩へかかる重さが、少し増えた。
リーゼはしばらく黙っていた。指の間を髪が滑り、耳のそばへ落ちる。グレンがそれを避けて撫で直すと、小さく息を吐いた。
「……ねえ、グレン」
「ん?」
「今朝の、一生ってさ……」
手が止まった。
グレンが顔を向けると、リーゼはまだこちらを見ていた。何か言いかけた唇が閉じられ、少しして笑う。
「……やっぱりいいや」
続きを聞く前に、肩へ頭が戻ってきた。
グレンはしばらく横顔を見つめてから、止めていた手を動かした。リーゼも何も言わず、身体を預けている。
窓から入る光が、二人の足元まで伸びていた。
やがてリーゼが小さく欠伸をした。口元を手で押さえ、そのままグレンの腕へ頬を寄せ直す。
「夕食まで、少し寝てもいいかな」
「ああ。時間になったら起こすよ」
「……頼んだよ」
リーゼは目を閉じた。
グレンも背もたれへ身体を預ける。肩が動くと、リーゼがわずかに身じろぎし、また落ち着いた。
もう少し楽な姿勢にしようとして、隣を見た。リーゼの呼吸に合わせ、肩を動かさずにいた。
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その夜の夕食には、少し遅れた。
リーゼを起こしたときにはもう、廊下の向こうからシュトルの声が聞こえていた。二人で顔を洗い、慌てて食堂へ下りると、セレスティーヌは席につくなり娘の髪へ手を伸ばした。
「ここ、寝癖がついているわ」
「……あとで直すよ」
リーゼが手で押さえたのは、グレンの肩へ預けていた方だった。
向かいから皿が差し出される。礼を言って受け取ると、煮込みからまだ湯気が上がっていた。
それから数日、二人は屋敷で過ごした。
朝食のあとにシックザールから呼ばれる日もあれば、昼まで何の用事もない日もあった。質問をまとめた紙が届き、答えを書いて返すと、夕方には書き込みを増やして戻ってきた。一度で済んだものは、ほとんどなかった。
空いた時間には、リーゼと庭へ出た。軽く剣を合わせることもあったが、途中でフリルに見つかると、そのまま彼女の話し相手になった。リーゼがいなかった間のことを、妹はまだいくらでも話せるらしかった。
西側では、瓦礫を運び出す音が続いていた。食事の席でも修繕の話が出て、シュトルが運んだ石の数を言うと、フリルが自分の分を付け足した。セレスティーヌも日ごとに食堂へ来る足取りがしっかりしていった。
グレンはいつしか、夕食に出た料理を見て、昨日食べて美味しかったものへ先に手を伸ばすようになっていた。
ヴァルターの声は、相変わらず聞き取れない。視線を向ければ、たいていシュトルが気づいてくれた。初日には身構えた大声も、今は廊下のどこにいても食事の支度ができたと分かるので便利だった。
⸻
ある日の午後、セレスティーヌにお茶へ誘われた。
窓辺の卓には、四人分の茶器が用意されていた。フリルはすでに座っていて、リーゼを見ると隣の椅子へ手を添えた。
「お姉様、こちらへ」
「ありがとう」
グレンはリーゼの向かいへ座った。セレスティーヌが茶を注ぎながら言う。
「シシィも誘ったのですけれど、今は光魔法には寄ってこない蛾を調べるので忙しいそうですわ」
リーゼは相槌を打ち、菓子の皿へ目を向けた。
焼き菓子と、小さく切られた果実のタルトが並んでいる。フリルが奥の皿へ手を伸ばしかけたので、リーゼが先に取り、妹の前へ置いた。
「どうぞ、お姫様」
「ありがとうございます、お姉様」
フリルは少しも照れずに受け取った。
セレスティーヌが二人を見て笑う。
「昔からそうだったわね。フリルをお姫様と呼んで」
「その頃から、今みたいな喋り方だったのか?」
グレンが尋ねると、リーゼは少し考えた。
「……そうだね。母さんの読み聞かせの影響かな」
「わたくしが読んで聞かせたお話の真似ですのよ。王子様が出てくるお話が好きで、台詞まで覚えてしまったの」
「母さん、剣を抜くところでは立ち上がって読んでくれただろ? あれが格好よかったんだよ」
「あなたも立ち上がって真似をするから、座らせるのが大変だったわ」
「それは覚えてないな」
「わたくしも、お姉様にそのお話を読んでいただきましたわ」
「ああ。読んだね」
「王子様が迎えに来るところが好きでしたの。お姉様も、そこでわたくしの手を取ってくださって」
妹の顔を見て、リーゼも笑った。
グレンにも、その様子は容易に想像できた。腰を屈めてフリルへ手を差し出すリーゼは、今とそう違わなかっただろう。
「グレン様にも、そうなさいますの?」
タルトを切りながら、フリルが尋ねた。
「俺に?」
「手を取って、こちらへどうぞ、と」
「……引っ張られることはあるかな」
「キミがなかなか来ないからだろ」
リーゼが言った。
「この間も、店の前まで行ってから別のところでいいって言うし」
「俺が入っていい店なのか、迷ったんだよ」
「ボクと一緒なんだから、入ればいいだろ?」
グレンは、小さな花の描かれた看板と、窓越しの客たちを思い出した。剣を下げたリーゼは、グレンが入口で立ち止まっている間に、二人座れる席があるかを聞いていた。
「美味しかったのでしょう?」
セレスティーヌに尋ねられ、グレンは頷いた。
「はい。食べてみたら、思っていたほど甘くなくて」
「ボクが選んだんだよ」
「あれはよかった。ありがとうな」
リーゼは満足そうにカップを口元へ運んだ。
「お二人で、よくそういうお店へ行かれますの?」
「たまにだよ。気になるところを見つけたらね」
「お姉様からお誘いになるのですか?」
「うん。グレンが選ぶと、毎回いつもの店になるからね」
「お前も好きだろ」
「好きだよ。ほかも行ってみたいんだ」
フリルは二人を交互に見ていた。
「わたくしにも、お手紙で教えてくださればよかったのに」
「お店のこと?」
「グレン様と、どこへ行かれたかですわ。お姉様のお手紙、依頼のお話ばかりなんですもの」
リーゼは少し考えた。
「……そうだったかな」
「そうでしたわ。危ない場所へ行ったときだけ、あとから無事だったと書いてくるのですから」
セレスティーヌも言った。
責めるような声ではなかった。娘の空いたカップに茶を足し、自分の分にも注ぐ。
「そういうお話も聞きたかったのよ。普段、何をしているのか」
「最近は、本当に訓練場にいることが多いよ。グレンと一つ借りていてね」
「ええ。訓練が済んだら?」
「休憩室でお茶を飲んだり、喋ったりかな。グレンが記録を書き終えるのを待って、そのまま何か食べに行くこともある」
「この前は、腹が減ったって言いながら待ってましたよ」
グレンが言うと、リーゼはこちらを見た。
「もうすぐ終わるってキミが言ったんじゃないか。だからお茶を淹れ直したんだろ」
そこまで言ってから、リーゼは母と妹へ顔を戻した。
「……そんな感じ。わざわざ手紙に書くほどのことでもないと思ってたよ」
「わたくしは読みたいですわ」
フリルがすぐに言った。
「お店の名前も、忘れずにお願いします。次にお姉様のところへ行ったら、連れていっていただきたいですもの」
「いいよ。グレンが気に入ったのも食べてみるかい?」
「はい!」
「母さんも来る?」
「もちろん。今度はわたくしたちがお邪魔しようかしら」
セレスティーヌはそう答え、菓子の皿をグレンへ勧めた。
グレンが一つ取る間にも、フリルはその店にどんな菓子があるのかを尋ねていた。リーゼが覚えているものを挙げ、途中でグレンにも確かめる。
店に入るときにはあれほど落ち着かなかったのに、食べたものはよく覚えていた。




