第12話 善は急げと申しますわ
シックザールは、そもそも《飼育》を調べるために二人を屋敷へ呼んだのだと家族に説明した。いつから事情を知っていたのかと質問が続き、ようやく家族の話し合いは終わった。
席を立ったヴァルターが、グレンへ一度頷いた。グレンも頭を下げ、その大きな背中が戸口を抜けるまで見送った。
卓の下で握っていた手を開くと、掌が汗ばんでいた。服で拭ってから、背もたれへ身体を預ける。
隣で、リーゼが長く息を吐いた。
「……何とかなったね」
「ああ。よかった」
目が合うと、リーゼが笑った。その顔を見ているうちに、グレンもようやく頬が緩んだ。
昨夜から考えていた答えを、ほとんど使わなかった気がする。隣で安心した顔をしているリーゼを見ると、それでよかったと思えた。
廊下へ出た家族の声が遠ざかり、使用人が空いた器を下げ始める。リーゼは窓へ目をやった。
「……まだ朝なんだよね。もう一日分は疲れたよ」
「俺も、しばらく座ってたい」
リーゼは卓へ両肘をつき、手のひらに顔を預けた。グレンもそのまま目を閉じかけた。
「では、研究を始めましょうか」
顔を上げると、シックザールが紙束を抱えていた。
ほかの家族が出ていく間に、卓の端へ何枚か広げていたらしい。書き込まれた文字を確かめ、一枚ずつ重ねている。
「……こっちはもう三日くらい何もしたくない気分なんだけど」
「善は急げと申しますわ」
「そもそも遅れてきたのは姉さんじゃないか。姉さんがちゃんと帰ってきてたら――」
「グレンさん、ネーベルさんも連れてきていただけます?」
リーゼは口を閉じた。シックザールの目は、もうグレンへ向いている。
「……本人に聞いてきます。付き合ってくれるかは分かりませんよ」
「ええ。研究室でお待ちしておりますわ」
返事をするなり、彼女は残りの紙を揃え始めた。
グレンが隣を見ると、リーゼもこちらを見ていた。少し笑い、卓から肘を離す。
「……まあ、約束だしね。先に行ってるよ」
ゆっくり立ち上がって伸びをしたリーゼを、シックザールが戸口へ促した。廊下へ出る頃には、姉はもう何かを説明し始めていた。
グレンも席を立ち、いったん客室へ戻った。研究に使うかもしれないと思って持ってきた訓練の記録を、鞄から取り出す。
それを手に、北側の部屋へ向かった。
ネーベルは今朝も、毛皮のそばからほとんど動いていなかった。壁を隔てていても、居場所は分かる。
使用人には、降伏した魔獣を当主の指示でグレンが預かっている、と伝えられている。部屋から連れ出す際は、自分が付き添うことになっていた。
扉を叩いて声を掛けると、短い返事があった。
「入レ」
毛皮のそばで、小さな狐が頭を上げていた。昨夜は額を押しつけたままだった。今は、少し離れたところからグレンを見ている。
「シックザールが、お前にも研究に付き合ってほしいそうだ。俺とリーゼもこれから調べてもらう」
「何を調べル」
「俺のスキルで分かることを、実際の身体や魔法と比べたいらしい。お前にも話を聞いたり、身体を動かしてもらったりすると思う。一緒に来てもらえるか」
ネーベルは毛皮へ鼻先を寄せ、それから立ち上がった。床へ下りた身体が伸び、灰白い毛が長い髪へ変わる。グレンの前に、昨日と同じ女が立った。
「……必要だというなら、付き合おう」
金色の目がグレンを見た。
返事は、思っていたより早かった。グレンが口を開くまで、ネーベルは静かに待っていた。
「……助かる」
グレンは扉を開けた。ネーベルが毛皮を一度振り返り、その後へ続く。
廊下で行き合った使用人が、二人を見て足を止めた。グレンが脇へ寄ると、ネーベルも止まる。使用人は目を伏せて一礼し、距離を取って通り過ぎていった。
グレンはその足音を聞きながら、再び歩き出した。
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研究室の作業台には、すでに紙と筆記具が用意されていた。
シックザールに求められ、まず二人の状態を書き出すことになった。身体や能力だけでなく、欲求やグレンへの感情も記録することになると伝えると、リーゼは一度姉を見た。
「……いいよ。姉さん相手に恥ずかしがる方がバカらしいや」
ネーベルにも同じように尋ねると、構わないという返事だった。
グレンは椅子を引き寄せ、リーゼの分から書き始めた。
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【リーゼ・アルヴェイン】
【飼育状態】
充足度 64 / やや高い
成長効率 標準
【身体状態】
健康 99 / 良好。大崩落時の負傷はほぼ治癒
活力 61 / 疲労が残っている
満腹 53 / 標準
休息 56 / やや休息不足
【欲求】
接触 72 / 主人との接触を強く求めている。上昇傾向あり
食事 39 / 低め
睡眠 45 / やや高い
称賛 71 / 主人からの肯定を強く求めている。高い状態が続いている
発情 27 / やや高い
排泄 22 / 低い
【対主人】
信頼 99 / 主人を極めて強く信頼している
親愛 99 / 主人への親愛が極めて強い
忠誠 48 / 主人に自発的に従い、仕えようとする傾向がある
依存 41 / 主人への依存がやや見られる。上昇傾向あり
【基礎能力】
筋力 16 /資質D
耐久 22 /資質C
敏捷 39 /資質A
技巧 42 /資質A
感覚 34 /資質B
魔力 31 /資質B
【技能】
剣術 46 /資質A
体術 28 /資質B
登攀 21 /資質A
探索 20 /資質B
交渉 18 /資質B
隠密 16 /資質B
舞踊 14 /資質A
騎乗 13 /資質B
水泳 12 /資質B
野営 12 /資質C
応急手当 10 /資質C
短剣術 9 /資質B
投擲 8 /資質C
採取 7 /資質C
罠対処 6 /資質C
解体 5 /資質D
料理 5 /資質C
弓術 4 /資質C
槍術 2 /資質B
盾術 2 /資質C
……
【魔法】
空間魔法 56 /資質E
重力魔法 21 /資質S
強化魔法 12 /資質C
光魔法 8 /資質D
風魔法 6 /資質D
火炎魔法 5 /資質E
水魔法 4 /資質D
土魔法 2 /資質E
治癒魔法 1 /資質E
……
【固有スキル】
《案内》 熟練度74
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重力魔法は、練習するたびにできることが増えている。剣と組み合わせて使うのも、もう珍しくなくなった。次に訓練場へ行けば、また試したいことがあるだろう。
接触や称賛を求める傾向も、屋敷へ来る前から続いていた。この二日は、隣にいても落ち着いて過ごせる時間が少なかった。研究が済んだら、今度こそ休ませてやりたい。
次の紙を取り、ネーベルへ目を向けた。
――――――――――――――――
【ネーベル】
【飼育状態】
充足度 18 / 低い
成長効率 低い
【身体状態】
健康 74 / 複数の負傷あり。回復傾向
活力 37 / 強い疲労あり
満腹 39 / 空腹あり
休息 48 / やや休息不足
【欲求】
接触 4 / 主人との接触をほとんど求めていない
食事 61 / 高い
睡眠 64 / 高い
称賛 0 / なし
発情 0 / なし
排泄 23 / 低い
【対主人】
信頼 11 / 極めて低い
親愛 0 / なし
忠誠 21 / 低い。主人に自発的に従おうとする意識がわずかにある
依存 0 / なし
【基礎能力】
筋力 93 /資質A
耐久 88 /資質A
敏捷 86 /資質A
技巧 59 /資質B
感覚 95 /資質A
魔力 76 /資質B
【技能】
追跡 96 /資質A
狩猟 91 /資質A
体術 87 /資質A
隠密 82 /資質A
探索 74 /資質B
情報収集 48 /資質B
演技 31 /資質C
交渉 24 /資質C
……
【種族能力】
《変化》 89 /資質A
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ネーベルについても、リーゼと同じだけの情報が分かる。傷を一つずつ確かめられ、欲求にも能力にも細かな内訳があった。
追跡や狩猟の値が高い。《変化》も、固有スキルとは別の種族能力として表れていた。
信頼は十一、親愛は零。それでいて、忠誠は二十一ある。
今朝、あっさりと頼みを聞いてくれたことを思い出した。この忠誠の値と関係しているのかもしれない。
最後の数字を書き終えるのを待って、シックザールが紙を引き寄せた。
「普段の記録もあります。役に立つかと思って持ってきました」
グレンが訓練の記録を差し出すと、彼女の手が止まった。
「まあ。いつからつけていらっしゃいますの?」
「訓練場を借りてからです。毎日全部を書いてるわけじゃ――」
「拝見いたしますわ」
開かれた頁を、横から別のシックザールが覗き込んだ。
グレンが顔を上げると、作業台の反対側にも、もう一人いた。
自分自身を増やして議論する、シックザールの固有スキル《議論》だ。見るのは二度目でも、不意に同じ顔が並ぶとぎょっとする。
そこから先は、誰かに何かを聞かれているうちに過ぎていった。
ひとつ答えると、三人のシックザールがそれについて話し始める。ようやく口を休められると思う頃に、意見の分かれたところを尋ねられた。答えに詰まれば、では確かめましょうと椅子から立たされた。
身体や魔法を調べる間も、普段の訓練や暮らしについての質問は続いた。記録の短い一行を指されて、その日のことをリーゼと二人で思い出す時間もあった。後で読み返せば分かるつもりで書いた自分を、少し恨んだ。
ネーベルも、説明を聞いては求められた姿を取った。《変化》について尋ねられると、自分でも考えたことがないのか、しばらく黙ることがあった。その間、シックザールたちは別の質問をグレンへ向けた。
昼には軽い食事を研究室へ運んでもらった。使用人が下がり、皆が食べ始めても、シックザールは片手で頁をめくっていた。リーゼがそれを閉じさせると、今度は顔を上げて質問した。
午後になっても、用意された紙は減るばかりで、聞きたいことは尽きなかった。
窓から差し込む光が作業台を斜めに横切る頃、リーゼが椅子の背へ身体を預けた。
「姉さん。今日はここまでにしよう」
「まだ確かめていないことがございますのよ」
「明日の朝まで付き合っても、同じことを言ってると思うよ」
「困りましたわ」
シックザールは手元へ目を落とした。今日書いた紙と、グレンの記録を交互に見ている。
「……では、こちらはお借りしても?」
「ええ。明日、返してもらえれば」
グレンが答えると、彼女はさっそく記録を開き直した。立ち上がったリーゼが上着を取る間に、隣の自分との話が始まっていた。
グレンたちが部屋を出ても、その声はしばらく廊下まで聞こえていた。




