第11話 一生のこと
大広間へ戻る頃には、さすがに誰も疲れを隠せなくなっていた。
窓の外はすっかり暗い。
今日のところは休みたい。シックザールだけが、卓の向こうで身を乗り出していた。
「それにしても、素敵なことになりましたわね」
卓の向こうから聞こえてきた声に、リーゼが嫌そうな顔をした。
「姉さん」
「だってそうでしょう? リーゼとネーベル。同じ《飼育》の対象でありながら、一方は人間、もう一方は魔獣。成立までの経緯も、それ以前のグレンさんとの関係もまるで違いますもの」
シックザールはリーゼを見て、それから毛皮のそばにいる小さなネーベルへ視線を移した。
「比較できる項目が一気に増えましたわ。接触に対する反応だけでも――」
「姉さん、今それをやるのかい?」
「あら、今すぐ測るとは言っておりませんわ」
「目がやる気なんだよ」
「せっかく同時に観察できるのですもの。明日までに何を比較するかくらいは決めておきませんと」
リーゼが額を押さえた。
ネーベルは毛皮のそばからシックザールを見上げていたが、やがて興味を失ったように顔を伏せた。
「……そういえば」
リーゼが顔を上げる。
「姉さんは結局、どこで何してたんだい?」
シックザールが瞬きをした。
「わたくしですの?」
「そうだよ。本物が帰ってこないから、こんなことになったんじゃないか」
「ああ」
そこでようやく思い出したらしい。
「まあ、そうでしたわ。聞いてくださる?」
その顔を見た瞬間、リーゼが少しだけ後悔したように見えた。
「北東の山地に、小さな石喰い蜥蜴がいますでしょう?」
「知らないよ」
「おりますのよ。岩肌の鉱物を削って食べる小型魔獣ですわ。三日前に妙な個体を見つけまして」
シックザールが身を乗り出す。
「鉄を多く含む石には見向きもしませんのに、特定の灰色の岩だけを選んで食べるんですの。それで岩を割ってみたところ、見た目にはほとんど分からないほど細い結晶が内部に走っていましたわ」
「姉さん」
「しかも、その結晶そのものにはほとんど魔力がありませんのよ。では何を基準に選んでいるのかと思いまして、一匹捕まえて岩を十七種類――」
「姉さん」
「聞いてくださると言ったではありませんの」
「言ってないよ」
「まだ発見したところまでしか話しておりませんわ」
リーゼが黙った。
シックザールはその沈黙を続きを促されたものと受け取ったらしい。
「それでですね。困りましたわ。最初は匂いかと思ったのですけれど――」
そこから先は、グレンにも半分ほどしか分からなかった。
岩石を砕いたり、粉にしたり、熱したり、水へ沈めたりしたらしい。途中から蜥蜴が二匹に増え、その二匹で反応が違った話になり、さらに近くに棲む別の魔獣まで出てきた。
リーゼは途中から完全に聞くのをやめていた。
それでもシックザールは楽しそうに話し続けている。
グレンはしばらくその様子を見てから、隣のリーゼへ小さく言った。
「……本物だな」
「間違いないね」
リーゼは疲れた顔のまま答えた。
⸻
翌朝。
大広間には、アルヴェイン家の者たちが揃っていた。
昨日まで台帳の積まれていた卓は片づけられ、ヴァルターとセレスティーヌが並んで座っている。シュトル、モーント、シックザール、フリルもそれぞれ席についていた。
セレスティーヌはまだ顔色こそ良くなかったが、昨夜よりはずっとしっかりしている。
ネーベルだけはいない。
昨夜見つかった毛皮とともに、北側の一室を使わせていた。今朝になってもほとんどそこを離れようとしなかったらしい。
グレンは、リーゼと並んで卓の向かいに座っていた。
一昨日も、この家族と同じ卓を囲んだ。
そのときとは、当然ながら空気がまるで違う。
特にヴァルターは、席についてからほとんど動いていなかった。
怒鳴るわけでも、険しい顔をしているわけでもない。ただ、真正面からグレンとリーゼを見ている。
グレンは膝の上へ両手を置き、父親の視線を受けた。
リーゼが一度グレンを見た。
「じゃあ、ボクから話すよ」
ヴァルターが頷く。
リーゼは、大崩落のときに何があったのかを話した。
遺跡の地下深くに二人で取り残され、《案内》を使っても地上へ戻る道が見つからなかったこと。
そこでグレンが、それまで隠していた《飼育》について明かしたこと。
成立すれば解除できないことも、主人となったグレンからの命令には故意に逆らえなくなることも、そのときに聞いた。
その上で、リーゼ自身が《飼育》を使ってほしいと頼んだ。
そして能力を組み替え、《門》を使って二人で地上へ戻った。
そこまでを、リーゼは淡々と話した。
途中で誰も口を挟まなかった。
話し終えると、リーゼは襟元へ手を掛けた。
布を少しずらす。
鎖骨の下に残った《証》が見えた。
フリルの視線がそこへ向く。
セレスティーヌもじっと見ていた。
数秒見せてから、リーゼは襟元を戻した。
沈黙が落ちる。
ヴァルターが、ようやく口を開いた。
低い声だった。
グレンにはやはり聞き取れず、シュトルがこちらを見る。
「昨日、君はあの狐に、自分の命令には逆らえなくなると説明したな」
「ああ」
「リーゼも同じなのか」
グレンは一度、隣を見た。
「……はい。それは同じです」
ヴァルターの視線がリーゼへ移る。
リーゼは少しだけ間を置いてから、頷いた。
「……まあ、そうだね。もしもグレンに命令されたら、ボクも逆らえない」
ヴァルターはしばらく娘を見ていた。
やがて低く何かを言う。
リーゼの表情が、わずかに変わった。
「……うん」
シュトルが訳すより先に答える。
「だから黙ってた」
グレンは隣を見る。
リーゼは少しだけ視線を落とした。
「ボクが自分で頼んだって言っても、それが本当だって確かめる方法はないだろ」
言葉を選ぶように、一度間を置く。
「グレンにそう言えって命令されてるかもしれない。命令されてないって言っても、それだって同じだ」
セレスティーヌが静かにリーゼを見ていた。
「父さんたちに知られたら、絶対にそこが問題になると思ってた」
リーゼは顔を上げる。
「それでボクが何を言っても、もうボクの言葉だけじゃどうにもならないかもしれない」
ヴァルターの表情は変わらなかった。
「父さんたちなら、放っておかないだろ?」
少しだけ困ったように言う。
その言葉に、誰も反論しなかった。
ヴァルターも否定しない。
短い沈黙のあと、また何かを尋ねた。
今度はグレンへ向けてだった。
シュトルが伝える。
「君も、そう考えて黙っていたのか、と」
「はい」
グレンは答えた。
「リーゼが家族には話したくないと言っていましたし……俺も、簡単に納得してもらえることではないと思っていました」
自分が否定しても、証明にはならない。グレンは、卓の下で握った手を緩めた。
ヴァルターは黙って聞いていたが、しばらくして顔を上げた。
低い声が続く。
シュトルが聞き終え、父を一度見てから、グレンとリーゼへ向き直った。
「ここまでの話は分かった、と」
そこで一度区切る。
「その上で聞きたいそうだ。お前たちは今、自分たちの関係をどう考えている」
リーゼはすぐには答えなかった。
少し考えてから、隣のグレンを見る。
「……グレンはグレンだよ」
それから父へ視線を戻した。
「ボクにとっては、何も変わってない。今も心から信頼してる」
少しだけ間が空く。
「相棒だよ。……それが一番近いと思う」
ヴァルターはしばらくリーゼを見ていた。
やがて、その視線がグレンへ移る。
グレンは一度、隣を見た。
「俺も、リーゼのことは相棒だと思ってます」
そこまでは、すぐに言えた。
「リーゼが俺を信じてくれてることも、分かってます」
ヴァルターは何も言わず、続きを待っている。
そこで言葉が止まった。相棒というだけで、これからのことまで答えたことになるだろうか。
「……これは、一生のことなので」
隣で、リーゼがわずかに顔を上げた。
「俺は一生、リーゼの信頼を裏切らないつもりです」
言い終えて、ヴァルターを見る。
少しして、隣からまだ視線を感じていることに気づいた。
グレンもそちらを見る。
リーゼと目が合った。
「……何だ?」
「いや」
リーゼは一度口を開きかけたが、そのまま閉じた。
「……何でもないよ」
そう言って前を向く。
なぜか、さっきまでより少しだけ姿勢が固かった。
ヴァルターはそんな二人を黙って見ていた。
その顔から、何を考えているのかは読めない。
長い沈黙だった。
もう言えることはなかった。
ヴァルターの視線が、ふとグレンから外れた。
リーゼを見る。
次に、セレスティーヌ。
そして少し離れた席のフリルへ向いた。
フリルが父の視線に気づき、少しだけ姿勢を正す。
ヴァルターはすぐに目を戻した。
しばらくして、ヴァルターが息を吐いた。
低い声で、短く何かを言う。
グレンには聞き取れなかった。
シュトルが父を見る。
それから、グレンとリーゼへ向き直った。
「……分かった、だそうだ」
グレンは一瞬、返事が遅れた。
「はい」
隣で、リーゼが小さく息を吐く。
向かいでは、フリルも目に見えて肩の力を抜いた。
それを見て、セレスティーヌがわずかに表情を緩める。
シュトルも背もたれに身体を預けた。
張りつめていた空気が、そこで少しだけ緩んだ。
その中で、モーントがふとシックザールを見る。
「……シシィ、妙に静かだね」
「あら」
シックザールは少しだけ首を傾げた。
「ええ、まあ。知っておりましたので」
数秒、誰も何も言わなかった。




