↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/42

第2話 一度会ったら忘れない

 ヴァルターたちとの話を終え、グレンは客室へ向かう使用人に続いた。玄関ホールの階段を上がり、二階の廊下を進んでいく。


 しばらく歩いたところで、先を行く使用人の足がわずかに緩んだ。


 廊下の突き当たりに、大きな窓がある。


 開け放たれたその窓枠に、男が腰掛けていた。


 二階だというのに、身体の半分を外へ出している。


 銀髪に、白く塗られた顔。黒い化粧の目元と描かれた笑み、大きな襟飾りに膨らんだ袖。どう見ても道化師だった。


 グレンが足を止める。


 男がゆっくりこちらを向く。


「おや」


 何もない両手を広げた。


「グレン・ローデン」


 初対面の相手から名前を呼ばれ、グレンはわずかに眉を寄せた。


 男は気にした様子もなく、右手を返す。


 何もなかった掌に、小さな黒い箱が現れた。


「人は皆、自分でも知らない箱を抱えているものさ」


 箱を指先で弄びながら、男は言う。


「その蓋が開く瞬間を見るのが、僕は好きでね」


 ぱちん、と指を鳴らす。


 黒い箱が消え、代わりに赤い箱が現れる。


「追い詰められると、余計なものから一つずつこぼれていく」


 赤い箱を宙へ放る。落ちてくる前に青い箱へ変わり、それも消えた。


 最後に、白い箱が現れた。


 男はそれを耳元で振る。


 何の音もしない。


「そうして最後まで残るのは――当人にとっても思いもよらないものだったりする」


 白い箱の蓋が開く。


 中から、一輪の花が現れた。


「大崩落に呑まれて、それでも妹と二人で帰ってきた」


 男は花を摘み上げる。


「さて」


 花が消える。


「君の箱には、何が残ったんだろうね」


 今度は銀貨が現れた。


「宝か」


 銀貨が消える。


「傷か」


 何もない掌を、ゆっくり閉じる。


「それとも――」


 そこで言葉を切る。


「秘密か」


 グレンは黙ったまま、男を見た。


 男もまた、描かれた笑みを浮かべたままこちらを見ている。


「グレン」


 後ろから声がした。


 グレンが振り向く。


 リーゼがこちらへ歩いてきていた。


 その隣にはフリルもいる。


「ああ、リーゼ」


 窓辺の男が片手を上げた。


 リーゼの視線がそちらへ向く。


 足が止まった。


「……モーント兄さん?」


 リーゼは兄の顔を見る。


 服を見る。


 もう一度、顔を見る。


「何その格好」


 男は胸へ手を当て、大仰に一礼した。


「ようやく僕も、本当の自分を見つけたのさ」


「先月からですわ、お姉様」


 フリルが言った。


 リーゼはそのまま兄の方へ歩いていく。


「久しぶり、兄さん。最後に会ったときは、孤独を愛する詩人だったっけ?」


「あれは思ったより寂しくてね」


 男も窓枠から降りた。


「久しぶり、リーゼ。無事でよかったよ」


「心配かけたね」


「報せを受けたときは、さすがに驚いたよ。この僕でもね。怪我は?」


「もうほとんど治ってる」


「それならよかった」


 リーゼがグレンと兄を見比べる。


「兄さん、グレンにちゃんと名乗った?」


「ああ、そうだったね」


 男はグレンへ向き直った。


「モーントシャイン・アルヴェイン。リーゼの兄だ」


「グレン・ローデンです」


「ああ。よろしく、グレン」


⸻


その後、グレンは使用人に案内され、二階の客室へ通された。


 荷物を置き、最低限の説明を受ける。


 リーゼとフリルもそのまま付き合っていたが、部屋に長居する理由もない。


「せっかくだし、少し屋敷の中を案内しようか」


 リーゼの提案で、三人は再び一階へ降りることになった。


 階段を下りたところで、奥の方からシュトゥルムの声が響いてくる。


「父上! これはこっちでいいのか!」


 グレンが声の方を見る。


「兄さん、相変わらずよく通る声だね」


「シュトルお兄様ですもの」


 リーゼとフリルは特に気にした様子もなく、そのまま廊下を進んでいく。


 ほどなくして、厨房の手前にある広い作業場へ出た。


 そこでヴァルターが腕まくりをしていた。


 その前に置かれているものを見て、グレンは足を止める。


 牛より一回り大きな四足の魔獣が、作業台に一頭丸ごと横たえられていた。すでに息はない。


 傍らには包丁や鉈が並んでいた。


 ヴァルターはそのどれにも手を伸ばさず、獣の胴へ片手を置いた。


 次の瞬間。


「…………」


 グレンは目を瞬いた。


 さっきまでそこにあった一頭の獣が、消えている。


 代わりに作業台の上へ並んでいたのは、切り分けられた肉だった。


 骨、皮、内臓、脂。それ以外の細かな部位まで、用途ごとに分けられている。


 血が飛び散った様子すらない。


 ほんの一瞬前まで一頭の獣だったものが、もう料理に使うための材料へ変わっていた。


「……今の」


「ああ」


 リーゼは何でもないことのように答える。


「父さんの《料理(クッキング)》だよ」


 ヴァルターは肉の一つを持ち上げ、状態を確かめている。


 やがて、こちらへ気づいた。


 リーゼを見る。


「…………」


「うん。部屋は見てきたよ」


「…………」


「大丈夫。困ってることもない」


 普通に会話が続いている。


 グレンにはほとんど聞こえない。


 ヴァルターは満足したように頷き、それからグレンへ視線を移した。


「…………」


 グレンも見返す。


 数秒。


 やはり分からない。


 少し離れたところにいたシュトゥルムが振り返った。


「父上は――!」


 一気に声量が上がる。


「『今夜の夕食に使う肉だ! せっかく来てくれたのだから、遠慮せず好きな部位を言ってくれ! できる限り君の好みに合わせよう!』と仰っている!」


「……ありがとうございます」


 グレンは作業台の肉からヴァルターへ目を戻した。


「何でも大丈夫です」


「…………」


「『そうか! ならば任せてもらおう!』と!」


 ヴァルターが小さく頷いた。


 そして、何事もなかったように次の肉へ手を伸ばす。


 グレンはその手元を見ながら、ほんの少しだけ距離を取った。


⸻


「リーゼ!」


 背後から声が飛んできた。


 リーゼが振り返る。


「母さん」


 廊下の向こうから、金髪の女性が歩いてきていた。


 華やかな顔立ちに、背筋の伸びた歩き方。家の中だというのに、舞台へ出てくる役者のように妙に目を引く。


 その足取りが、リーゼの前まで来たところで急に速くなった。


「本当にもう。どれだけ心配したと思っているの」


「ごめん」


 女性はそのまま娘を抱きしめた。


 リーゼも抵抗せず、母の背へ腕を回す。


「ただいま、母さん」


「お帰りなさい」


 抱擁は思ったより長かった。


 ようやく身体を離したところで、リーゼの母がグレンへ目を向けた。


「あら。そちらが?」


「ああ。グレン・ローデン。ボクの相棒だよ」


「初めまして。グレン・ローデンです」


「セレスティーヌ・アルヴェインよ。リーゼの母です」


 柔らかく笑ってから、セレスティーヌはすぐに娘へ向き直った。


「それで、怪我は?」


「もうほとんど治ってるよ」


「肩は?」


「大丈夫」


「脇腹も怪我をしたのでしょう?」


「そこも平気だよ」


「見せて」


「本当に大丈夫だから」


「あなた、昔から怪我を隠すでしょう」


「隠してないって」


 セレスティーヌが上着へ手を伸ばす。


 リーゼの手が、その手首を掴んだ。


 セレスティーヌが止まる。


 リーゼを見る。


「……本当に大丈夫だから」


「…………」


 数秒して、セレスティーヌは手を引いた。


「そう?」


「ああ」


「なら、今は信じておきましょう」


 それ以上は追及しなかった。


 リーゼが小さく息を吐く。


 その横で、セレスティーヌがふっと笑った。


「昔から変わりませんこと」


「何が?」


「何でも自分で大丈夫だと言うところ」


「そんなことないよ」


「ありましたわよ」


 セレスティーヌがわずかに姿勢を変えた。


 肩が落ち、顎が少し上がった。足を開き、片手を腰へ当てる。顔も髪も背丈も、そのままだ。


「『ボク、一人でできるもん!』」


 グレンは目を見開いた。


 目の前のセレスティーヌが、リーゼの面影を残した幼い少女にしか見えなかった。


 少し顎を上げる癖や、強がる目つき。尖らせた口元はどこか得意げで、息の吸い方から語尾の跳ね方まで、グレンの知るリーゼの癖が幼い形でそこにあった。


 子供の頃のリーゼなど、一度も見たことがない。


 それでも、きっとこんな少女だったのだろうと思えてしまう。


「そんな言い方してない!」


「していたぞ!」


 作業場からシュトゥルムの声が飛んでくる。


「兄さん!」


 セレスティーヌはまだ戻らなかった。


 今度は腰へ当てていた手を下ろし、少し俯く。


 さっきまでの強気な表情が消えた。


 眠そうに目を細め、何かを握るように片手を前へ伸ばす。


「『……寝るまで手、離しちゃ駄目だからね』」


「母さん! それは今関係ないだろ!」


 リーゼがとうとう母の肩を掴んだ。


 頬が赤い。


 セレスティーヌがふっと息を吐く。


 それだけで、幼い少女の面影が消えた。


 背筋が伸び、目元が柔らかくなる。


 次に瞬きをしたときには、そこにいるのは最初に会った華やかな女性だけだった。


「まあ、昔の話ですものね」


 リーゼはしばらく黙っていた。


 それから、グレンを見ないまま言った。


「……忘れてくれ」


「努力はする」


⸻


セレスティーヌと別れてから、しばらく経った頃だった。


 玄関の方から、扉の開く音がした。


「ただいま戻りましたわ」


 聞き覚えのある声だった。


 グレンがそちらを見る。


 リーゼは一瞬遅れて、目を見開いた。


「……姉さん?」


 玄関ホールへ出る。


 開いた扉の前に、金髪の女が立っていた。


 シックザールだった。


「姉さん、今帰ってきたの?」


「ええ。ただいま」


「ただいま、じゃないよ。ボクたちより先に帰るって言ってたじゃないか」


「……ええ」


「父さんたちにも話しておくって」


「そうでしたわね」


「来てみたら姉さんはいないし、何も聞いてないって言われるし。どこに行ってたんだい?」


「少々、予定が狂いまして」


「また何か見つけたの?」


「まあ、そのようなところですわ」


 リーゼが息を吐いた。


「まったくもう……」


 シックザールは小さく頭を下げた。


「申し訳ございません」


「まあ、帰ってきたならいいよ」


 そこでリーゼが隣のグレンを振り返った。


「グレン」


「ああ」


 二人の視線を追って、シックザールもグレンを見る。


「俺は大丈夫です。皆さんにも事情は説明できましたから」


「まあ、そうでしたか」


 シックザールが頷く。


「ご迷惑をおかけしましたわね」


「いえ」


 ともかくシックザールは戻ってきた。ようやく、ここへ来た目的に取りかかれる。


「それじゃあ姉さん、少し休んだら始めようか」


「まあ!」


 シックザールが目を見開いた。


「そうでしたわね」


 そのまま頬へ手を添える。


「困りましたわ。まだ一つ、済ませておかなければならないことがございますの」


「さっき言ってたやつ?」


「ええ」


「それ、ボクたちの研究と関係あること?」


「そうですわね……」


 シックザールはわずかに考えた。


「無いとも言い切れませんわね」


「何それ。何するの?」


「それは秘密ですわ」


 シックザールはにこりと笑った。


「終わってからのお楽しみ、ということで」


「またそうやって……」


 リーゼが呆れたように息を吐く。


「時間かかるの?」


「どうでしょう。確認してみなければ何とも言えませんわね」


「じゃあ、終わったら呼んでよ」


「ええ、もちろんですわ」


 シックザールはそう答えると、廊下の奥へ向かって歩き出した。


「姉さん」


 数歩進んだところで、リーゼが呼び止める。


 シックザールが振り返った。


「今度はちゃんと戻ってきてよ」


「まあ」


 シックザールが微笑む。


「善処いたしますわ」


「そこは約束してくれないんだね……」


 シックザールは答えず、軽く手を振った。


 そのまま廊下の角を曲がり、姿が見えなくなる。


 リーゼはしばらくその先を見ていたが、やがて肩をすくめた。


「仕方ない。もう少し待とうか」


「ああ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。