↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/42

第1話 ボクの家だよ?

最初の衝撃は、頭上から来た。


 鈍く、腹に響く音だった。分厚い石天井のさらに上で、何か重いものが叩きつけられたらしい。


 グレンは壁から背を離した。石組みの隙間から砂が落ちている。


 地下へ入れられてから、どれくらい経っただろう。高い位置の小窓から差す光だけでは、時刻までは分からない。武器も預けてあり、廊下との間には厚い鉄格子がある。


「……今のは何だ」


 返事はない。鉄格子へ近づいたところで、二度目が来た。


 今度は、足の裏ではっきり分かるほど床が揺れた。壁に固定された灯りが軋み、格子が低く鳴る。ぱき、と乾いた音がした方を見ると、石の継ぎ目に細い亀裂が伸びていた。


「誰かいるか!」


 声が廊下の奥へ消えていく。見張りも、上の騒ぎに駆り出されているのか。


 グレンは格子の扉へ手を掛けた。外から施錠されている。素手で破るには時間が要る。


 三度目の衝撃が来た。


 今度は、地下全体が一度大きく沈んだように感じた。


「――っ」


 格子を掴んで身体を支えた直後、頭上で石が擦れた。拳より大きな石片が落ち、さっきまで座っていた場所で砕ける。


 白い粉塵の向こうで、壁から天井へ亀裂が広がっていた。この格子のせいで、逃げ場がない。


 そのとき、牢の中央に一本の裂け目が走った。


 石壁でも床でもない。何もない空間から明るい光が漏れ、音もなく左右へ開いていく。


「……《門》?」


 開き切るのを待たず、銀髪の少女が飛び込んできた。頬にも服にも白い埃がついている。


「グレン!」


 ――話は、前日の午後まで遡る。


⸻


 アルヴェイン邸は、もう道の先に見えていた。


 中央の大きな棟から左右へ建物が伸び、その片側だけ、遠目にも石造りの古さが分かる。リーゼから大きな家だとは聞いていたが、実際に見ると想像していた以上だった。


「……あれか」


「うん。もうすぐだよ」


 隣を歩くリーゼの声には、いつもよりわずかに緊張が混じっていた。


「思ってたより大きいな」


「そう?」


「そこで育ったお前には分からないか」


「ボクにはあれが普通だったからね」


 リーゼは少し笑い、襟元へ伸ばしかけた手を止めた。


「見えてないよね?」


「見えてない」


「ならいい」


 短く答えて、手を下ろす。


 訪問の理由は、シックザールの研究への協力。それ自体は事実だ。《飼育》のことさえ話さずに済めばいい。


「姉さんには任せてあるし、普通にしていれば大丈夫さ」


「そうだな」


「そんなに構えなくてもいいよ。少し変わってはいるけど、悪い人たちじゃないから」


「『少し』?」


「……そこは会ってから判断してくれ」


 リーゼは涼しい顔でそう言って、門へ向かった。


 ほどなくして二人は玄関前へ着いた。


 リーゼが扉を叩く。


 少しして、内側から足音が近づいてきた。


 扉が開く。


 出迎えた使用人は、リーゼの顔を見るなり目を見開いた。


「リーゼお嬢様……?」


「久しぶり。急に帰ってきてすまないね」


「いえ、そのような――お帰りなさいませ」


 驚きはすぐに喜びへ変わった。


 使用人は深く頭を下げ、それからリーゼの隣にいるグレンへ視線を移した。


「こちらはグレン・ローデン。姉さんから聞いていると思うけど――」


 使用人の表情に、わずかな戸惑いが浮かんだ。


 リーゼの言葉が止まる。


「……聞いてない?」


「申し訳ございません。シックザールお嬢様からは、何も」


「何も?」


「はい。それどころか、シックザールお嬢様はまだお戻りになっておりません」


 リーゼが黙った。


 グレンも、つられて黙る。


 数秒して。


「……姉さん」


 リーゼが額へ手を当てた。


「先に帰るって言ってたよな」


「言ってたよ。……まったく」


 リーゼは息を吐き、額から手を下ろした。


 それから、すぐに使用人へ向き直る。


「ごめん。こちらの話だよ」


「では、こちらの方は……?」


「ああ。ボクの冒険者仲間だ。姉さんの研究にも協力してもらっていてね。それで今日は一緒に来てもらったんだ」


 グレンも軽く頭を下げる。


「グレン・ローデンです。突然すみません」


「とんでもございません。リーゼお嬢様のご友人でしたら」


 使用人はそう答えたものの、当然ながら予定された客を迎える態度ではない。


 リーゼが横目でグレンを見る。


「さて、どうしようか」


「ここまで来て帰るのも変だろ」


「そうだね」


 シックザールがいつ戻るのかも分からない。


 リーゼは少し考えたあと、使用人へ尋ねた。


「父さんたちはいる?」


「はい。旦那様も奥様もご在宅です」


「なら、ボクから話すよ。姉さんには後で一言言っておこう」


 最後だけ、少し声音が低くなった。


 使用人が扉を大きく開ける。


「どうぞ、お入りくださいませ」


「ありがとう」


 リーゼが先に敷居を跨いだ。


 グレンもそのあとに続く。


 玄関を抜けた先には広いホールがあり、正面には二階へ続く大きな階段が見えた。


 リーゼは慣れた足取りで進みながら、一度だけグレンを振り返った。


「予定とは少し違ったけど……まあ、何とかなるさ」


「本当か?」


「ボクの家だよ?」


 そう言って、リーゼはいつものように笑った。


⸻


「リーゼお姉様!」


 声がしたのは、リーゼがそう言った直後だった。


 廊下の奥から、銀髪の少女が駆けてきた。淡い色のドレスに幾重ものフリルが揺れ、顔立ちは一目でリーゼの妹と分かるほどよく似ている。


「フリル――」


「お姉様!」


 リーゼが名前を呼び終えるより早く、少女はその胸へ飛び込んだ。


「ご無事でしたのね! お手紙を読んで、わたくし本当に心配しておりましたのよ!」


「ああ。心配をかけたね」


「大怪我をなさったと聞きましたわ!」


「もう大丈夫だよ。傷もほとんど――」


「お部屋で休みましょう!」


「え?」


 フリルがリーゼの脇へ両手を差し入れた。


 そのまま、ひょいと持ち上げる。


「――え?」


 リーゼの足が床を離れた。


 それだけでは止まらない。


 フリルの腕がそのまま伸び、リーゼの身体が頭上まで持ち上がった。


「…………」


 グレンは見上げた。


 リーゼもまた、自分を持ち上げている妹を見下ろしている。


「フリル、何をしてるんだい?」


「お部屋へお連れしますわ!」


 フリルは姉を掲げたまま歩き出した。


「待って。ボクは歩けるよ」


「存じておりますわ!」


「じゃあ降ろしてくれるかな」


「嫌ですわ!」


 フリルは止まらない。


 頭上にリーゼを掲げたまま、廊下をどんどん進んでいく。


 グレンはその場に立ったまま、遠ざかっていく二人を見送った。


「フリル、一度止まってくれ!」


「大丈夫ですわ、お姉様!」


「何が大丈夫なんだい!」


 リーゼが身を捩った拍子に、襟元がずれた。


 鎖骨の下が覗く。


 グレンは反射的に自分の鎖骨を指差した。


 リーゼがこちらを見る。


 一瞬遅れて、その意味に気づいた。


「あ」


 リーゼは慌てて襟元を直す。


「どうかなさいましたの?」


「何でもないよ。それより、一度降ろしてくれないかな!」


「嫌ですわ!」


 そのまま二人は廊下の角へ消えた。


「…………」


 グレンはしばらく、角の向こうを見ていた。


 やがて、そばに残っていた使用人へ顔を向ける。


「……今のが、フリューリングさんですか?」


「はい。末のお嬢様でございます」


「そうですか……」


 もう一度、廊下を見る。


 当然、リーゼは戻ってこない。


「俺は、どうすればいいですか?」


「旦那様へお取り次ぎいたします。こちらでお待ちください」


 グレンは頷き、廊下の角をもう一度見た。


 ほどなく、使用人が戻ってきた。


 案内され、グレンは玄関ホールから東側の廊下へ進んだ。


 リーゼが連れていかれたのとは反対側だ。


 いくつか扉を過ぎたところで、使用人が足を止める。


「こちらです」


 扉が開かれた。


 中にいたのは、二人の男だった。


 一人は、椅子に腰掛けている。


 大柄なグレンより、さらに一回り大きい。座っていてなお肩の位置が高く、膝に置かれた腕まで太かった。


 髪はリーゼと同じ銀色。


 目尻や額には年齢相応の皺が刻まれており、黙っているだけでもかなりの威圧感がある。


 その隣に立つ男も背が高かった。


 こちらは金髪で、父親ほどではないにせよ身体つきはいい。年齢はグレンよりいくらか上だろう。


「グレン・ローデン様をお連れいたしました」


 使用人が告げる。


 銀髪の男が立ち上がった。


 グレンもつられて視線を上げる。


 やはり、自分より明らかに大きい。


「初めまして。グレン・ローデンです」


 頭を下げる。


 男が口を開いた。


「…………」


「……え?」


 グレンは顔を上げた。


 声はした。低い上に異様に小さく、数歩離れただけで言葉の形が崩れてしまう。


 すると、隣の金髪の男が勢いよく一歩前へ出た。


「父上は――!」


 声が部屋に響いた。


「『突然の来訪には驚いた! だが、我が娘リーゼが自ら連れてきた客人であれば、我らアルヴェイン家にとっても大切な客人だ! 遠慮はいらない、どうか自分の家と思ってくつろいでほしい! まずは座って、ゆっくり話そうではないか!』と仰っている!」


「……ありがとうございます」


 グレンはもう一度銀髪の男を見る。


 銀髪の男は何事もなかったように頷き、椅子へ戻る。


「こちらが父、ヴァルター・アルヴェインだ!」


 金髪の男が続ける。


「そして俺が長男、シュトゥルム・アルヴェイン! シュトルで構わない!」


「よろしくお願いします」


「ああ! こちらこそよろしく頼む!」


 グレンも勧められた椅子へ腰を下ろした。


 シュトゥルムだけはヴァルターの横に立ったままだ。


 ヴァルターがグレンを見る。


「…………」


 今度こそ、と耳を澄ませる。


 やはり聞き取れない。


 グレンが諦めてシュトゥルムへ視線を移すと、長兄は大きく頷いた。


「『さて! せっかくこうして出会えたのも何かの縁だ! ぜひ君のことを聞かせてほしい! リーゼとはどこで出会い、今はどういう間柄なのだろうか!』と父上は尋ねている!」


「……冒険者仲間です」


 出会いまで聞かれていたのだろうか。


「リーゼとは普段から一緒に依頼を受けています」


 ヴァルターの眉がわずかに動いた。


「…………」


 シュトゥルムも、はっと目を見開いた。


「そうか!」


 その声だけで十分大きい。


 直後、父親の方へ耳を傾ける。


「…………」


「『なるほど! では先日の大崩落――リーゼと共に遺跡から生還した仲間というのは、君だったのか!』と!」


「はい」


 そこで初めて、ヴァルターの表情が少し変わった。


 厳しい顔つきのまま、グレンを見る目だけが和らいだ。


「…………」


 短い声。


 シュトゥルムが大きく息を吸う。


「父上は――!」


 さらに声を張った。


「『あの知らせを受けてから、どれほど案じたことか! 崩落に呑まれ、生還すら絶望視されていた娘が、こうして再び我が家の扉をくぐることができた! 君もまた同じ場所で命を懸け、娘と共に帰ってきた者なのだろう! 父親として、心から礼を言わせてほしい!』と仰っている!」


「…………」


 今度こそ、グレンはヴァルターの口元を見た。


 もう閉じている。


 本当にそこまで言ったのだろうか。


 シュトゥルムは至って真剣だった。


「俺の方こそ、リーゼには助けられました」


 グレンはヴァルターへ向き直る。


「リーゼがいなかったら、俺も帰ってこられなかったと思います」


 ヴァルターはしばらくグレンを見たあと、ゆっくりと頷いた。


「…………」


「『ならば、どちらか一人が救ったのではない! 二人で支え合い、二人で死地を越えてきたということだ! それ以上に喜ばしいことがあるものか!』と父上は仰っている!」


 グレンはシュトゥルムを見た。


 次にヴァルターを見る。


「……そうですね」


 ひとまず、そういうことにしておいた。


 ヴァルターがまた何かを言う。


「…………」


「『ところで! 今日はリーゼと共に、我が家へ何をしに来たのだろうか! せっかくならば滞在中は何一つ不自由させるつもりはない! 必要なものがあれば何でも言ってほしい!』と!」


「今日は、シックザールさんの研究に協力するために来ました」


「シシィの研究だと!?」


 シュトゥルムが身を乗り出した。


「はい。本当はシックザールさんが先に戻って、俺が来ることを説明してくれることになっていたんですが……」


「何も聞いていないぞ! 何をしているんだ、あいつは!」


 シュトゥルムが頭を抱える。


 その横から、ヴァルターが何か言った。


「…………」


「父上! 俺も知らん! 数日前から一度も見ていない!」


「…………」


「いや、研究先までは聞いていない! そもそも出るときに何も言っていかなかっただろう!」


 小声と大声が交互に飛び交う。


 どうやら、この家ではこれで普通に会話が成立するらしい。


「…………」


「そうだな! 帰ってきたら本人を捕まえて聞こう!」


 シュトゥルムは大きく頷いた。


 ヴァルターがグレンへ向き直る。


「…………」


 シュトゥルムもすぐさまこちらを向く。


「父上は――!」


 再び通訳の声になる。


「『ともあれ、事情は分かった! シシィがどこをほっつき歩き、何を企んで君をここまで呼びつけたのかは、本人が帰ってからじっくり聞くとしよう! 君はすでに我が家の客人だ! 今さら予定が違ったから帰れなどとは言わん! 何日でも心ゆくまで滞在してくれ!』と仰っている!」


「ありがとうございます」


 グレンは頭を下げた。


 何日も滞在してほしいらしい。歓迎されていることは、十分に伝わった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。