第6話 《飼育》ですの?
「前から少し練習してたんだよ」
「聞いておりませんわ」
「姉さんに何でも話してるわけじゃないよ」
リーゼは何でもないことのように返した。誰かに空間魔法について聞かれたときにどう答えるかは、グレンとも決めてある。
「なるほど」
「では、胸元に何を隠していらっしゃるの?」
リーゼの呼吸が止まった。
ほんの一瞬だった。
「……何?」
「胸元ですわ」
どうして。
胸元には触れていない。
庇ってもいない。
見えるはずもない。
「……何もないよ」
「見せていただけます?」
「嫌だよ」
シックザールは少し首を傾げた。
「そうですか」
それ以上は何も言わなかった。
リーゼも姉から目を離さない。
次の瞬間、影が動いた。
「――っ!」
シックザールの足元から伸びた闇に、リーゼはほとんど同時に反応した。
後ろへ跳び、胸元へ走った一本を腕で遮り、横から回ったもう一本を払う。
それでも足りない。
細い闇が腕の内側へ滑り込んだ。一本が腕を外へ押し退け、もう一本が襟元へ潜り込む。
布が引かれた。
鎖骨の下が、一瞬だけ露わになる。
「姉さん!」
リーゼは闇を振りほどいて大きく距離を取った。片手で胸元を押さえ、もう片方はすでに剣の柄にかかっている。
グレンが割って入り、背中の斧へ手をかける。
闇はもう消えていた。それでも二人とも構えを解かなかった。
魚屋の主人が包丁を止めている。
シックザールは追わない。
新たな闇も出さない。
ただ、先ほどと変わらない顔でリーゼを見ている。
「……《飼育》ですのね?」
その言葉が落ちた瞬間、グレンの視線が周囲へ走った。
「姉さん」
リーゼが声を落とす。
「ここでその話はしないで」
「……そうですわね」
「場所を変えるぞ」
三人はその場を離れた。人通りのほとんどない路地まで来ると、リーゼが足を止める。
「……姉さん、証まで知ってるんだ」
「ええ。少し調べたことがございますもの」
「それで」
シックザールがリーゼを見る。
「あなた、自分で受け入れたの?」
「……そうだよ」
「無理やりではなく?」
「違う」
「何が起きるのかも知った上で?」
「全部聞いた。解除できないことも、命令に逆らえなくなることも。その上でボクが決めたんだ」
シックザールは黙ってリーゼを見る。
「……困りましたわね」
「何が」
「今のお答えですわ」
「ボクが決めたって言ってるだろ」
「ええ。ですが、そう答えるよう命じられていないことを、わたくしには確かめられませんもの」
リーゼが言葉に詰まる。
「じゃあ、どうすれば信じるんだよ」
「どう答えていただいても、証明にはなりませんわね」
「姉さん」
「仕方ございませんでしょう? すでに飼育が成立しているのですから」
しばらく、考え込む。
「まあ、ひとまず信じることにいたしますわ」
「……ひとまず?」
「少なくとも、今のあなたは昔から知っているリーゼと、それほど変わっては見えませんもの」
「それで判断するの?」
「判断材料の一つにはなりますわ」
そして今度は、グレンを見る。
「グレンさんが、リーゼの主人ですの?」
「ああ」
「では、空間魔法の件も《飼育》と関係が?」
「ああ。崩落で地上へ戻る道がなくなった。《門》を使うしかなかったから、《飼育》でリーゼに空間魔法を習得させた」
「まあ」
シックザールの目がわずかに見開かれる。
「それは、どのようにして?」
グレンは答えなかった。《飼育》で何ができるのか。それをどこまで知られていいのか、まだ判断できない。
シックザールは急かすこともなく、ただ待っていた。
その様子を見ていたリーゼが、小さく息を吐いた。
「……ごめん、グレン。もう話すしかないと思う」
グレンはゆっくりと、シックザールへ視線を戻した。
「……能力を移すことができる」
「移す?」
「今まで身につけたものを、別の能力に回せる。それを使った」
それ以上は言わなかった。シックザールは数秒、黙っていた。
「まあ。それは素敵ですわね」
シックザールは目を丸くしてから、少し考える。
「けれど――移せるということは、見られるということかしら」
グレンの眉がわずかに動いた。
「何をだ?」
「能力ですわ」
シックザールが言った。
「何をどこへ移すのか決めるのでしょう? でしたら、少なくとも対象が何を持っているのか分からなければ成立しませんものね」
リーゼがわずかに顔をしかめた。
「違いまして?」
「……分かる」
シックザールの目が少し細くなる。
「どの程度まで?」
「能力の種類と、身につけた程度くらいだ」
「能力、とおっしゃるのは?」
「何だ?」
「剣を扱う技量も、魔法も?」
「ああ」
「それらは同じように扱える?」
「《飼育》の上ではな」
シックザールは短く考える。
「では、移すというのは、その能力そのものを別のものへ変えるのですか?」
「そういう感じじゃない」
「では、何を?」
グレンは答えに少し迷った。
「……そこまで細かく説明するのは難しい。今まで身につけた分を使って、別の能力を身につけ直す、くらいに考えてくれ」
「なるほど」
シックザールはそこで一度リーゼを見る。
以前より細くなった身体。
立ち方。
剣士としての変化。
「それは、いつでもできますの?」
「いや」
「何度でも?」
グレンは答えなかった。
シックザールもすぐには次を聞かず、しばらくリーゼを見ていた。
「……そうではなさそうですわね」
リーゼの眉が寄る。
「何が」
「何度でも自由に移せるのでしたら、あなたはもう少し違う状態になっていると思いまして」
リーゼは何も答えなかった。
「少なくとも、気軽にやり直せるものではなさそうですわ」
言い終えてから、グレンへ視線を移す。
「では、移す先は?」
「何だ?」
「何にでも同じように移せますの?」
グレンはすぐには答えなかった。シックザールは続ける。
「空間魔法を選んだ理由は分かりました。《門》が必要だったのでしょう?」
「ああ」
「でしたら、誰に何を習得させても、同じような結果になりますの?」
「いや」
グレンが答える。
「向き不向きはある」
シックザールの目がわずかに細くなった。
「では、それも分かりますの?」
もうリーゼを見ていない。
グレンだけを見ている。
「その人間が、何に向いていて、何に向いていないのか」
グレンはしばらく黙った。
「……資質なら分かる」
「習得していないものでも?」
「ああ」
そこで、シックザールの目から値踏みの色が消えた。
「では」
少しだけ身を乗り出す。
「わたくしの資質も、見られますの?」
「いや」
グレンはすぐに答えた。
「《飼育》してない相手は無理だ」
ここまで続いていた質問が、初めて止まった。
数秒ほど、目を伏せて黙考する。
「……姉さん?」
リーゼが警戒するように呼ぶ。
「はい?」
「今、何考えてるの」
「色々ですわ」
「その色々を言って」
シックザールは少し考えたあと、素直にグレンへ向き直った。
「では、わたくしも飼っていただけます?」




