↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/42

第5話 一歩

 数日後。


 午前の訓練が一段落したところで、リーゼが言った。


「一回、相手してよ。動かない相手ばかりだと分からないこともあるからね」


「重力魔法も使うのか?」


「使う」


 二人は庭へ出ると、距離を取って向かい合った。


 グレンには、リーゼがどこまで届くか分かっていた。何年も隣で戦ってきたのだ。


 一歩で届く距離。


 二歩必要になる距離。


 踏み込む前の重心。


 剣を返すときの癖。


 考えなくても身体が知っている。


「行くよ」


「ああ」


 リーゼが踏み込んだ。


 速い。


 斧の柄で受ける。二度目、剣が軽くなり切っ先が速くなる。それも受け止める。


 三度目は、身体を軽くしたまま横へ抜けようとして距離を取りすぎた。


「……今のはなし」


「実戦なら待ってくれないぞ」


「分かってるよ」


 四度目。


 五度目。


 試すたび、重力を変える位置が少しずつ変わっていく。それでもグレンには対応できた。


 魔法が加わっても、剣を振るのはリーゼだ。


 肩が動く。


 腰が回る。


 足が出る。


 何年も見てきた動きが残っている。


「もう一回」


「まだやるのか?」


「次で最後」


 今度は少し遠い。


 ここからなら二歩。


 一歩目を見て、それから受ければ間に合う。


 グレンはそう判断した。


 リーゼが地面を蹴る。


 一歩。


 その瞬間だけ、身体にかかる重力が弱まり、踏み込みが伸びる。


 予想していた位置より、半歩深い。


「――っ」


 二歩目が来ない。


 一歩で、もう剣の間合いに入っている。


 銀色の刃が迫り、グレンは反射的に斧を引き戻した。


 甲高い音。


 剣が柄を叩く。


 防いだ。


 けれど、受けるつもりだった位置ではない。


 ほんの一瞬だけ、身体が先に動いた。


 リーゼの目が、一瞬だけ笑った。


 次は分かる。


 剣を外し、間合いを潰す。今のリーゼでは、近距離でグレンの力を押し返せない。


 数合後、斧の柄がリーゼの肩へ軽く触れた。


「終わり」


「……負けた」


 勝った。それでも、あの一歩が頭から離れなかった。


 二歩かかると思っていた距離を、一歩で詰められた。何年もリーゼの動きを見てきた自分が、一瞬だけ外されたのだ。


 数日前まで、歩くだけで距離を誤っていた魔法が、もうリーゼ自身の剣の中に入り始めている。


 失ったものを埋めているだけではない。前にはなかったものが、確かに増えている。


 そして、それが単純に嬉しかった。


「リーゼ」


「ん?」


「今の一歩、かなり良かった」


 リーゼが少し目を丸くした。


「……ほんと?」


「ああ。軽くするタイミングもよかったし、戻すのも早かった。前みたいに途中で動きが切れてない」


「うん」


「俺は二歩来ると思ってた」


 リーゼの表情が変わる。


「……読めなかった?」


「ああ」


「本当に?」


「完全に外された」


 一拍置いて、口元が抑えきれないように上がった。


「そっか」


「今までで一番いい」


 リーゼは一度だけ顔を伏せた。


 嬉しいのが分かりやすすぎる。


 今の言葉で、リーゼの反応がはっきり強くなった。


「……じゃあさ」


「ん?」


 リーゼは剣を鞘へ戻しながら、何でもないことのように言った。


「今日は、撫でてもいいよ」


「なんで上からなんだよ」


「嫌なら別にいいけど」


 そう言いながら、離れてはいかない。


 グレンは少し笑い、リーゼの頭へ手を伸ばした。銀色の髪を、前よりゆっくり撫でる。


「……上手くなってる」


「そうか?」


「うん。才能あるかもね」


「何の才能だよ」


 リーゼが小さく笑った。グレンが二度ほど撫でると、さっきまで模擬戦をしていたとは思えないほど肩から力が抜けていった。


 グレンが手を離す。


「これでいいか?」


「……まあね」


 口元はほんの少し、上がったままだった。


「もう一回やろう。今ので分かったことがあるんだよ」


「最後って言っただろ。休んでからだ、疲れてる」


「……分かるんだったね、そういうの」


「ああ」


 少し不満そうにしたが、それも長くは続かなかった。


「じゃあ休む」


 横を通り過ぎかけて、足を止める。


「次は二回外すから」


「先に一回を安定させろ」


「見てなよ」


リーゼは休憩室へ向かった。


 その足取りは、負けた直後とは思えないほど軽い。


 まだ以前の強さには戻っていない。


 それでも。


 戻るだけでは終わらないのかもしれない。


 今度は、そう思えた。


 訓練を終える頃には、窓から差し込む光がだいぶ傾いていた。


 片づけを済ませ、リーゼは奥で着替える。


 姿が扉の向こうへ消えると、それまで頭の片隅にあった情報も消えた。


 居場所だけは変わらず分かる。壁を一枚挟んだ向こうにいる。


 グレンは机へ戻り、訓練の記録を開いた。


 ついさっきまで見えていた数字を、記憶が鮮明なうちに書き留めていく。


――――――――――――――――


【リーゼ・アルヴェイン】


【飼育状態】


充足度 76 / 高い

成長効率 高い


【身体状態】


健康 96 / 概ね良好。左肩と右脇腹にごく軽い違和感あり

活力 54 / 疲労あり

満腹 41 / 軽い空腹あり

休息 49 / やや休息不足


【欲求】


接触 63 / 主人との接触を強く求めている。上昇傾向が顕著

食事 46 / やや高い

睡眠 51 / やや高い

称賛 68 / 主人からの肯定を強く求めている。上昇傾向が顕著

発情 24 / やや高い

排泄 27 / 低い


【対主人】


信頼 98 / 主人を極めて強く信頼している

親愛 97 / 主人への親愛が極めて強い

忠誠 44 / 主人に自発的に従い、仕えようとする傾向がある。上昇傾向あり

依存 33 / 主人への依存はやや低い。上昇傾向が顕著


【基礎能力】


筋力 16 /資質D

耐久 22 /資質C

敏捷 39 /資質A

技巧 42 /資質A

感覚 34 /資質B

魔力 31 /資質B


【技能】


剣術   45 /資質A

体術   28 /資質B

登攀   21 /資質A

探索   19 /資質B

交渉   18 /資質B

隠密   16 /資質B

舞踊   14 /資質A

騎乗   13 /資質B

水泳   12 /資質B

野営   12 /資質C

応急手当 10 /資質C

短剣術   9 /資質B

投擲    8 /資質C

採取    7 /資質C

罠対処   6 /資質C

解体    5 /資質D

料理    5 /資質C

弓術    4 /資質C

槍術    2 /資質B

盾術    2 /資質C


……


【魔法】


空間魔法 55 /資質E

重力魔法 17 /資質S

強化魔法 12 /資質C

光魔法   8 /資質D

風魔法   6 /資質D

火炎魔法  5 /資質E

水魔法   4 /資質D

土魔法   2 /資質E

治癒魔法  1 /資質E

……


【固有スキル】


《案内(エスコート)》 熟練度74


――――――――――――――――


 重力魔法は十七。


 数字だけ見ればまだ高くはない。それでも、使い始めてからの日数を考えれば明らかに速かった。


 さっきの一歩も、偶然ではない。


 剣術も一つ上がっている。


 重力魔法ばかりを練習していたわけではなく、最後は剣へ組み込むところまでやっている。その分が出たのだろう。


 身体の傷も、もうほとんど残っていない。


 今日について言えば、問題は疲労の方だった。


 もう一戦させなかったのは正解だ。


 そこまで書いて、グレンの目が少し下へ移る。


 接触と称賛は、やはり高くなっている。


 リーゼに初めてステータスを見せた時と比べても、どちらもかなり上だ。


 この数日、実際に試してきたことを考えれば不思議ではない。


 褒めれば満たされる。


 触れれば満たされる。


 満たされれば、その後の訓練にもわずかだが影響が出る。


 ただ、それだけではないらしい。


 満たすほど、求める量そのものも増えている。


 その下にある数字へ、目が止まった。


 依存、三十三。


 前に大きく上がった時ほどではない。


 それでも、じわじわと上がっている。


「……まあ、そうなるか」


 この数日だけでも、訓練量を決め、休ませ、褒め、食事を作り、何度か触れた。


 本に書かれていたことを考えれば、まったく変化しない方がおかしい。


 今のところ、本人の様子がおかしくなったわけでもない。


 発情は今日は少し高めだったが、これは日による振れが大きい。昨日とはまた違うし、継続して上がっているわけでもない。


 気にするほどではなかった。


 むしろ目につくのは、充足度の高さだった。


 四十一だったものが、今は七十六。


 育成を始めてから、リーゼの状態は明らかに良くなっている。


 能力だけではない。


 《飼育》そのものに、少しずつ馴染んでいる。


 グレンは最後の数字を書き終え、記録を閉じた。


 ちょうどその時、奥の扉が開く。


 戻ってきたリーゼは、上着の襟元を指先で直し、グレンの前で少し身体を傾けた。


「見えてない?」


 グレンが鎖骨のあたりを確認する。


「大丈夫だ」


「よし」


 二人で外へ出た。町へ近づくにつれ人の姿が増え、少し先から焼いた肉の匂いが流れてくる。


「……いい匂い」


「腹減ったか」


「かなり」


 リーゼが匂いの出どころを探す。


「あそこかな。行こうよ」


 返事を待たずに歩き出したリーゼの背中を見ながら、グレンは少し笑った。


 今日はたぶん、何を食べても美味いと言うだろう。


 店へ向かいかけたリーゼの足が、不意に止まった。グレンも少し遅れて立ち止まり、その視線の先を追う。


 人混みの向こう、魚屋の前に金色の髪の女が立っていた。


 買い物をしているようには見えない。


 店主が腹を開くと腹へ、頭を落とすとその断面へ、顔をずいと寄せていく。


 店主が困ったように身体をずらすと、女も同じだけ横へ動いた。


「…………姉さん?」


 リーゼが呟いた。


「姉?」


 グレンが聞き返したところで、女がこちらを向いた。


「まあ」


 リーゼを見つけ、その表情がわずかに明るくなる。


 だが視線はすでに妹の顔から肩、腕、腰、脚へと滑っていた。


 女はそのままこちらへ歩いてくる。


「リーゼ。少し身体が変わりましたわね」


「会って最初にそれ?」


「以前より細く見えますけれど、単に痩せただけではなさそうですわ。立ち方も少し――」


「姉さん。まず、なんでここにいるの」


 そこで女は少し首を傾げた。


「……まあ。そうでしたわ」


 何かを思い出したらしい。


「あなたを訪ねて参りましたの。困りましたわ。ようやくお会いできました」


「ようやくって……いつから探してたの?」


「こちらへ来てからですわね」


「それ、いつ?」


 女はしばらく考えた。


「……いつでしたかしら」


 リーゼが目を閉じる。


「姉さん……」


「昨日は北の森におりましたわ」


「なんで?」


「珍しい魔物がおりましたの」


 リーゼが深く息を吐いた。


 グレンには事情が分からなかったが、リーゼには心当たりがあるらしい。


 女はそこで初めてグレンへ視線を移した。


 顔から肩、腕、腰の斧、手。


 一度眺め、それからまた顔へ戻る。


「……何か?」


「いいえ。思っていたより大きい方だと思いまして」


「姉さん」


「悪い意味ではございませんわ」


「そういう問題じゃないよ」


 女はしばらく不思議そうにしてから、思い出したように頭を下げる。


「申し遅れました。シックザール・アルヴェインと申します。リーゼの姉ですわ」


「グレン・ローデンです」


「存じております。リーゼから何度か」


「姉さん」


「はい?」


「今日は余計なこと言わないで」


「まだ何も申し上げておりませんけれど」


 リーゼはこめかみを押さえた。


「それで、ボクを探しに来た理由は?」


「お見舞いですわ」


 そこだけは迷いがなかった。


「大崩落に巻き込まれたと聞きましたもの。無事で何よりですわ」


「……ありがとう」


 リーゼの声が少しだけ柔らかくなる。


「ですが、少々気になることもございまして」


 その一言で、リーゼの表情が戻った。


「……何」


「空間魔法ですわ」


 シックザールの目が、魚屋の店先で見せていたものと同じになる。


「あなた、いつから使えるようになりましたの?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。