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第4話 ボクの剣のまま

 その日は、グレンが着いたときにはもう剣の音がしていた。


 門を抜けると、石敷きの庭でリーゼが一人、ゆっくりと型をなぞっている。


 重力魔法は使っていない。


 一人でやっていいと決めてある範囲だけだ。


「おはよう」


「ああ。早いな」


「目が覚めたから来た」


 最後の一振りを終え、剣を鞘へ戻す。


 休憩室へ入ると、机の上に見覚えのない布があった。


 畳まれた着替え。


 椅子の背にはタオル。


 棚には小さな茶缶まで増えている。


「……ずいぶん増えたな、お前の物」


「ああ。持って帰るの面倒だから。邪魔?」


「いや」


「じゃあいいじゃないか」


 リーゼはもう、水も予備の薪もどこにあるか知っている。戸棚を開け、勝手にカップを出した。


「キミも飲む?」


「ああ」


「じゃあ湯、沸かすよ」


 リーゼは茶を淹れ、壁際の木箱に腰を下ろした。グレンはいつもの椅子で記録をつける。


 翌日、リーゼが休憩室に入ると、机を挟んでグレンの席と向かい合う位置に、椅子が一脚増えていた。


「これ、どうしたの?」


「一脚しかなかっただろ」


 グレンはそれだけ言って、記録へ目を戻した。リーゼは少し笑い、新しい椅子に腰掛ける。


「お茶、淹れるよ」


「ああ」


 リーゼが淹れた茶を、二人でしばらく飲んだ。


「……そろそろやるか」


「うん」


 リーゼが立ち上がり、飲みかけのカップを机へ残した。グレンも並べて置く。


 カップは二つ、並んだまま待っていた。


 重力魔法を剣に使うこと自体は、難しくなかった。


 リーゼが柄を握り、刃へかかる重力を少し弱める。


 横薙ぎ。


 速い。


 しかし、振り終えた位置で剣先が僅かに泳いだ。


「速いけど、気持ち悪い」


「剣が軽すぎる?」


「うん。ずっとこの剣を使ってきたから、振ればどこまで持っていかれるか考えなくても分かるんだ。それが全部ずれる」


 速く振れることと、上手く振れることは別だった。


 リーゼは何度か試したあと、ふと剣を見る。


「別に、ずっと軽くしておく必要はないよね」


「そうだな」


 今度はいつもの重さのまま踏み込み、振り始めた瞬間だけ軽くする。刃が加速したところで、振り切るより先に元へ戻した。


「……あ」


「今の方がいいな」


「うん。もう一回」


 二度目。


 早すぎる。


 三度目。


 遅い。


 四度目。


 ほとんど普段と変わらない動きの途中だけ、刃が一段速くなる。


 リーゼの口元が上がった。


「これだ」


 次は逆に、振り下ろす途中で剣を重くした。


 今度は身体まで引かれた。


「危な」


「今のは駄目だね」


「剣だけ重くしたのか?」


「うん。当たる瞬間だけ重くできれば威力は上がる。でも、ボクの身体が受け止められない」


「強化魔法が前みたいに使えれば違うんだろうけどな」


「それは言っても仕方ないよ」


 あっさり返して構え直す。何度か失敗して、リーゼはその場へしゃがみ込んだ。


「全部に使おうとするから難しいのか」


「ん?」


「身体を軽くして、剣も軽くして、当たるときは重くして……って、ずっと魔法を使おうとしてた」


 立ち上がる。


「でも、いらないところは普通でいい」


 見慣れた構え。


 一歩。


 踏み込む瞬間だけ身体が軽くなり、間合いが伸びる。


 戻す。


 剣を振り始める瞬間だけ刃が軽くなり、加速する。


 また戻す。


 まだぎこちない。それでも、剣そのものを別物にしてしまうよりずっと自然だった。


「……これなら」


 リーゼが剣先を見る。


「ボクの剣のまま使える」


 必要な瞬間にだけ重力を変え、今まで積み上げてきた動きの間へ、新しいものを差し込んでいく。


「もう一回やる」


「ああ」


「今度は切り替えるところ見てて」


「分かった」


 その横顔は、ここへ来た最初の日とはまるで違っていた。


 今の自分にしか使えない剣を、作り始めていた。


⸻


 工房の奥では、何かを削る音がしていた。


 一定の間隔で、ざり、ざり、と。


 入口に立った女はしばらくそれを聞いていた。


 壁には乾燥させた革が吊るされ、棚には角や骨、牙が並んでいる。どれも魔物から取ったものらしい。


 奥の作業台では、白髪の男が大きな角を固定し、表面を削っていた。


「少しよろしいかしら」


「客なら表で待ってろ」


「こちらの角について伺いたいのですけれど」


「聞いてねえのか。表だ」


 男は顔も上げない。


 女は気にした様子もなく、作業台の反対側まで回った。


「これは死んでから硬度が上がったのですか?」


 やすりの音が止まり、男がようやく顔を上げた。


「……何だと?」


「こちらですわ」


 女は削られている角を指した。


「根元と先端で、魔力の残り方が違いますでしょう。生前からこの状態だったのか、それとも生命活動が止まったあとで変質したのか気になりまして」


 男はしばらく女の顔を見た。


「嬢ちゃん、何屋だ」


「研究を少々」


「少々でそんなとこ見る奴がいるか」


「では、たくさんしておりますわ」


「そういう話じゃねえ」


 男は角へ視線を戻した。


「死んでからだ」


「どの程度で?」


「魔物による」


「こちらは、変わり始めるまでと、完全に安定するまで、それぞれどの程度かかりますの?」


「半日もすりゃ変わり始める。安定するまでは三日だ」


「温度による差は?」


「ある」


「魔力濃度では?」


「ある」


「血を抜いた場合は?」


「ある」


「では――」


「待て」


 男が手を上げた。


「一個ずつ聞け」


「あら。申し訳ありません」


 女は素直に黙った。


 数秒後。


「では、血を――」


「数秒待っただけだろうが」


「待ちましたわ」


 男は深く息を吐いてから、口を開いた。


「血を抜くと硬くなるのは早い。ただし脆くなる種類もある」


「理由は?」


「知らん」


「知らない?」


「職人は使えりゃいいんだよ」


 女は一拍置いた。


「それは困りましたわね」


「何がだ」


「理由が分からないまま工程だけ残ると、条件が変わったときに再現できませんもの」


「百年やって再現できてるから工程になってんだよ」


「百年間、条件が同じだった保証は?」


 男の眉が動いた。


「……嬢ちゃん」


「はい」


「喧嘩売ってるか?」


「いいえ。疑問を述べておりますの」


「同じだ」


「違いますわ」


 近くで作業していた職人が手を止め、こちらを窺った。


 女は作業台の角を眺めたまま続ける。


「たとえば、これは生きている間にも同じ性質を持つのでしょうか」


「持たん」


「どうしてそう言い切れますの?」


「生きたまま削ったことがある」


 女が顔を上げた。


「まあ」


 男も顔を上げた。


「何だ」


「それは大変興味深いですわ」


「そうかよ」


「条件は?」


「二十年くらい前だ。討伐中に角だけ折った」


「個体はその後どうなりましたの? 採取までの時間は?」


「逃げた。採取はすぐだ」


「折断面は覚えていらっしゃいます? 記録は?」


「覚えてるが、記録はねえ」


「困りましたわ」


「だから何がだ」


「再現できないではありませんか」


 男が鼻を鳴らした。


「だったら生きてる奴で試せばいいだろ」


 女は一瞬黙った。


「……ええ」


「おい」


「その通りですわね」


「待て。今のはそういう意味じゃねえ」


「でしたら、実際に試した方が早いですわ」


「早くねえよ」


「生前と死後、同一部位で比べられますわ」


「聞け」


 女はもう考え込んでいた。


「同一個体で時間経過も追えば――」


「嬢ちゃん」


「血流を維持した状態と遮断した状態も――」


「おい」


「ただ、それでは損傷自体が結果へ影響しますわね」


 女の隣に、もう一人の女がいた。


 同じ金色の髪。


 同じ顔。


「でしたら、比較部位を増やすべきですわ」


「ですが左右差がございますでしょう?」


 さらにもう一人。


「同一部位を段階的に採取する方が――」


「それでは採取行為そのものが後続条件を変えますわ」


 男は黙って三人を見た。誰も気づいていなかった。


「そもそも生体と死体を二条件と考えるのが雑なのでは?」


「賛成ですわ。生命力の低下を連続値として扱うべきです」


「ならば対象数が足りませんわね」


「増やしましょう。捕まえてくればよろしいのでは?」


「まあ。合理的ですわ」


 男が作業台を叩いた。


「やめろ!」


 三人が同時に振り向いた。


「何でしょう?」


「何でしょう、じゃねえ!」


 男は三人を順番に指した。


「工房で勝手に増えるな!」


 三人は顔を見合わせた。


「……作業の邪魔でしたかしら」


「そこじゃねえ」


「困りましたわね」


 一人が言うと、もう一人が頷いた。


「では外で続きを?」


「それがよろしいですわね」


「待て待て待て!」


 三人が足を止める。


「生きた魔物捕まえに行く気か?」


「そのつもりですけれど」


「やめとけ」


「なぜ?」


「危ねえからだよ!」


 三人がまた顔を見合わせ、ややあって二人が消えた。


 残った女は少し考える。


「では、危険ではない個体から試しますわ」


「そういうことでもねえ」


「難しいですわね」


 女は首を傾げた。


「職人の方は実証を重んじるものと思っておりましたのに」


「限度があるんだよ」


「限度」


「そうだ」


 女はしばらく考え、作業台の脇の別の角へ目を留めた。


「ところで、こちらは先ほどのものと削り方が違いますわね」


「……分かるのか?」


「ええ」


 男もそちらを見る。


「こっちは水棲だ。熱入れると割れる」


「なぜですの?」


「だから知らねえって言ってんだろ」


「困りましたわ」


「……座れ」


「よろしいの?」


「説明してやる。その代わり、捕まえに行く話は忘れろ」


 女は少し考えた。


「それは別件として扱っても?」


「駄目だ」


「困りましたわね」


「何でだよ」


 女が椅子へ腰を下ろすと、男もやすりを置いた。


 そのまま二人は、日が傾くまで角について話し続けた。


⸻


 昼を少し過ぎた頃、リーゼの動きが鈍くなった。


 目立つ失敗をしたわけではない。休憩に入ってから、口数が減っていた。


「眠いのか?」


「……少し」


 グレンには見れば分かった。


 疲労と、朝から細かな制御を繰り返したことによる集中の低下。


「今日は一回寝ろ」


「寝るほどじゃないよ」


「眠いんだろ」


「眠いけど」


「なら寝ろ」


 リーゼがこちらを見る。


「ここで?」


「奥に寝台あるだろ」


 少し迷う。


「……キミは?」


「記録つけてる」


「帰らない?」


「お前が寝てる間に?」


「そうじゃなくて」


 言いかけて、やめた。


「……まあ、いいや」


 奥へ向かう。


「少しだけね」


「ああ」


「起こしてよ」


「分かった」


 グレンは机へ戻って記録をつけた。数行書いたところで奥から音がしなくなり、振り返ると、リーゼはもう眠っていた。


 呼吸も深い。


 大崩落から戻って以降、休息が安定していない。それが今日は、横になってすぐ眠った。


 疲れていたのか、ここが静かなせいか。


 グレンはそれ以上考えず、また紙へ目を戻した。


 かなり経ってから、リーゼが起きた。


「……今、何時?」


「結構寝たぞ」


 リーゼが窓を見ると、光の角度が変わっていた。


「嘘……起こしてって言ったのに」


「よく寝てたから」


「だからって」


 文句を言いながら一度肩を回し、止まる。


「……ちゃんと寝た感じがする」


「ならよかっただろ」


「最近、家だとここまで深く寝てなかったんだよね」


「じゃあ疲れてたんだろ」


「たぶんね」


 リーゼは休憩室を見回した。


「ここ、そんなに寝やすいかな」


「静かではあるな」


「それだけかな」


「知らん」


「キミ、本当にそういうところ雑だよね」


 リーゼが小さく笑った。


 その日から、休憩室の奥にある寝台は、誰も使わない設備ではなくなった。

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