第3話 ちゃんと見ててよ
訓練を始めてから、さらに何日かが経った。
その日、リーゼが試していたのは、途中で重力の向きを切り替える操作だった。
木片を宙へ放り、落下が始まったところへ横向きの力を加える。
昨日は、向きを変えた瞬間に出力まで崩れていた。
「いくよ」
「ああ」
リーゼが木片を放った。
落ちる。
途中で軌道が折れた。
横へ。
勢いは乱れない。そのまま斜めに進み、地面に置いた目印のすぐそばへ落ち、小さな音を立てた。
「……」
リーゼが木片を見る。
次に、自分の手を見る。
「できた」
グレンは手元の記録へ目を落とした。昨日まで苦戦していた部分が、改善している。
書き込んでから顔を上げると、リーゼがまだこちらを見ていた。
「どうした、リーゼ?」
「…………それだけ?」
グレンはそこでようやく気づいた。リーゼも自分で口にしてから気づいたらしく、少し視線を逸らす。
「いや……今の、結構よかったと思うんだけど」
「ああ。よかったぞ」
「……うん」
返事はしたが、反応は思ったほどではなかった。
グレンは少し考える。
「昨日まで、方向を変えた瞬間に出力がぶれてただろ」
リーゼが顔を上げる。
「うん」
「今のは最後までほとんど変わってない。軌道も狙ったところから大してずれてないし、あれだけ苦労してたところがもうできてる」
「……」
「かなりよかったと思う」
今度は、はっきりと反応が違った。
リーゼの表情が変わった。数値が上がり、それを追うように口元がほどける。
「……何、その顔。今ので何か上がった?」
「……まあ」
「どれくらい?」
「そこまで聞くな」
リーゼが笑った。
同じ褒めるでも、違う。
ただ「よかった」と言うのと、何がよかったのかを伝えるのとでは、リーゼの反応が明らかに違っていた。
⸻
その違いを知ってしまうと、今度は気にせずにはいられなかった。
次の訓練では、リーゼが小石に働く重力を細かく切り替え、決めた範囲から出さずに操作を終えた。精度はよく、切り替えも前回より滑らかだった。
「今の操作は非常に安定していて――」
途中でリーゼの眉がわずかに動き、グレンも言葉を止めた。
「……何だよ。何かあるなら言え」
「……今のは仕事みたいだった。報告書を読み上げられてるみたい」
「文句多いな」
「だって、褒めれば何でもいいわけじゃないんだろ?」
「それは……そうみたいだけど」
「だったら今のは違うよ」
「じゃあどう言えばいいんだよ」
「それをボクに聞くの?」
「お前の話だろ」
「そうだけど」
リーゼも困ったように笑った。
グレンは腕を組む。
前回は、具体的に言えばいいのだと思った。訓練結果を正確に列挙すればいいというものでもないらしく、同じ内容でも言い方で反応が違う。
《飼育》が判定しているからといって、リーゼが言葉を受け取る部分まで別物になったわけではない。
グレンが何を見ていたのか。
どう思ったのか。
それが自分へ向けられた言葉として伝わって、初めて満たされる。
「……面倒だな」
「聞こえてるよ」
「お前じゃなくて、《飼育》が」
「本当に?」
「……半分くらい」
「グレン」
「分かったよ」
リーゼが笑う。
グレンはもう一度、さっきの操作を思い返した。
数字ではなく、実際に見ていたものを。
「切り替えるとき、前は一回止まってただろ」
「うん」
「今のはそれがなかった。普通に繋がってた」
リーゼが少しだけ目を細める。
「かなり上手くなってる」
「……うん」
リーゼの顔を見れば分かった。今度は、悪くなかった。
《飼育》を使えば、何が不足しているかも、褒めたことでどれだけ満たされたかも分かる。
それでも言葉そのものは、自分で見つけるしかない。
目の前にいる相手を見て。
何をしていたのかを見て。
その上で、言葉を選ぶ。
「次、もう一回やるよ」
「ああ」
「今度はもっと上手くやるから、ちゃんと見ててよ」
リーゼはそう言って、もう次の小石を拾っていた。
その日の訓練を終える頃には、もう日が傾き始めていた。
グレンは道具を片づける途中でリーゼを見た。疲労はそれなりに溜まっていて、それ以上に腹が減っている。
「飯にするか」
「もうそんな時間? 帰る前に何か食べようか」
「結構やったからな。ここで作る」
「キミが?」
「簡単なものなら」
干し肉と野菜を鍋へ入れ、煮る。旅の途中でも作るような、ありふれた食事だった。
しばらくして、リーゼの手が止まった。
「……これ、なんか変だな」
「まずかったか?」
「逆だよ」
もう一口。
「普通に美味しい」
「普通かよ」
「そういう意味じゃなくて。前にも食べたことあるだろ、こういうの。なのに、なんで今日はこんなに満足するんだろう」
グレンには答えが分かっていた。食事とは別に、《飼育》による充足も上がっている。
「……俺が用意したからじゃないか」
「やっぱり?」
「本にもあっただろ。誰が与えるかでも変わるって」
リーゼは皿を見る。
「……なんか嫌だな」
「嫌なのか?」
「味が急に良くなったわけじゃないんだろ?」
「そこはもう少し言い方あるだろ」
「美味しいって言ったじゃないか」
文句を言いながら、匙は止まらなかった。
「おかわりある?」
「ああ」
「もらう」
グレンは差し出された皿を受け取り、鍋の残りをよそった。
訓練だけではない。
褒めることも。
触れることも。
食事を用意することも。
《飼育》にとっては、全部が同じところへ繋がっている。
実際にやってみると、妙に生活じみていた。
⸻
最初に聞こえてきたのは、女の声だった。
「死後の変化だけで説明するには、こちらの個体との差が大きすぎますわ」
「同意します。ですが、生前からこの状態だったと考えるのも不自然です」
「では、討伐時の損傷ではなくて?」
「傷の位置が合いませんもの」
荷車を引いていた男が、手綱を握ったまま振り返った。
後ろには、今日討伐した魔物が積まれている。
大型が二体。中型が三体。
それから、女が三人いた。
「…………は?」
三人とも、同じ金色の髪をしていた。
同じ服を着て、同じ顔をしている。
一人は荷台の端に腰掛け、もう一人は魔物の脚を覗き込み、最後の一人は腕を組んでいた。
「待て待て待て」
男が慌てて荷車を止めると、後ろを歩いていた仲間がぶつかりそうになった。
「どうした?」
「人が乗ってる。三人」
「は? 何言ってんだお前」
二人で荷台を覗き込む。
三人の女は、こちらを見もしなかった。
「そもそも、比較する部位を間違えているのではなくて?」
腕を組んでいた女が言った。
「と、おっしゃいますと?」
「右脚ではなく左脚を見るべきですわ。この個体、右側から倒されていますでしょう」
「ああ」
残る二人が同時に魔物の反対側へ視線を移した。
一人が身を屈める。
「……こちらにはありませんわね」
「でしたら、やはり外傷の影響と考えるのが妥当かしら」
「ですが、それでは二体目の説明がつきません」
「そちらは倒れた向きが逆ですもの」
「なるほど」
三人が揃って黙り、少ししてそのうちの一人が頷いた。
「では、ひとまずその線でよろしいかと」
「異論ありませんわ」
「わたくしも」
話がまとまったらしい。
「いや、まとまったじゃねえよ」
男の声に、ようやく三人がこちらを向いた。
「まあ」
「誰だ、あんたら」
三人が顔を見合わせた。一人が言った。
「わたくしは一人ですわ」
「三人いるだろ」
「今は三人ですわね」
「何が違うんだよ」
女は少し考えた。説明する必要があるかどうか、判断しているようだった。
「《議論》ですわ」
その一言とともに両脇にいた二人の姿が消え、あとには金髪の女が一人だけ残った。
男たちはしばらく黙った。
「……いつから乗ってた?」
「そちらの魔物が気になりまして」
答えになっていない。
「勝手に乗るなよ」
「まあ」
女はそこで初めて、少し申し訳なさそうな顔をした。
「それは失礼いたしましたわ」
女は素直に荷車から降りた。これで終わりかと思ったところで、荷台を振り返る。
「ところで、こちらはどちらで討伐なさったの?」
「北の森だけど」
「北……」
女は考え込んだ。
「でしたら、少し見て参りましょうか。生きているものを」
男は眉を寄せた。
「一人で行く気か?」
「ええ」
「いや、あの辺まだ魔物が――」
言い終わる前に、女はもう北へ向かって歩き始めていた。
しばらくして、隣の仲間が口を開いた。
「……知り合いか?」
「知らねえよ」
二人は顔を見合わせる。
女は数十歩進んだところで、立ち止まった。
「…………」
本来、今日は何をするつもりだっただろう。
しばらく考える。
「困りましたわ」
思い出せなかった。
そのまま北へ歩いていった。




