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第5話 ご主人様

 翌日の午後。


 昨日ローデン家から持ち帰った本は、グレンの部屋の机の中央に置かれていた。


 もともと広い机ではない。一冊置いただけで半分近くが塞がれ、普段そこに積んである依頼書や地図は端へ追いやられている。書庫では周囲にも古い本が並んでいたせいか、ここへ持ってくると余計に大きく見えた。


 昨日は、帰ってから開かなかった。


 リーゼも続きを読もうとは言わなかったし、グレンも勧めなかった。


 一晩経って、今日になってから、リーゼの方からグレンの部屋を訪ねてきた。


 向かいの椅子に座り、しばらく本を眺めていたリーゼが口を開く。


「昨日から考えてたんだけどさ」


 グレンが顔を上げる。


「地下で、キミにはボクの体調とか欲求まで分かるって聞いただろ。あの時は、そこまで気にする余裕もなかった」


 リーゼは本の表紙へ指を置いた。


「でも昨日、あれだけ細かい記録を見たら、ちょっと気になってね。今のキミに、ボクの何が見えてるのか。一回ちゃんと知っておきたいんだ」


 一度、グレンを見る。


「できれば、見えてるものを全部」


 グレンはすぐには返事をしなかった。


「全部となると、たぶん想像してるより多いぞ」


「それでもいいよ。キミには分かってるのに、ボクだけ知らないままの方が落ち着かない」


 リーゼは机の端に置かれた紙へ目をやった。


「書けるなら、書いてくれない?」


 グレンは少し考えてから、紙とペンを引き寄せた。


「分かった。ただ、全部がいつでも同じように分かるわけじゃない」


 まず、居場所だけは姿が見えていなくても分かる。


 リーゼのことを意識すれば、どの方向にいて、どのくらい離れているのかが自然に頭へ入ってくる。地図が見えるわけでも、何をしているのかが分かるわけでもない。ただ、そこにいることを知っている。


 そして、姿が視界に入れば、それとは別の情報が加わる。


「お前を見てる間は、体調も、能力も、欲求も分かってる。いちいち調べてるわけじゃない。数字まで含めて、最初から頭の片隅にある感じだ」


 リーゼの眉がわずかに動いた。


「……ずっと?」


「ああ。見えてる間は」


「思ってたより容赦ないね」


 苦笑しながらも、続きを促す。


 普段から分かっている項目とは別に、意識を向ければさらに細かく見ることもできる。こちらは勝手に入ってくるわけではなく、自分から確認しなければならない。


「じゃあ、まずは勝手に分かるところまででいい。それを全部見せて」


 グレンはペンを取った。


 向かいに座るリーゼを改めて観察する必要はない。


 すでに頭の中にある情報を、順番に紙へ移していく。


 一枚目が埋まり、二枚目へ移る。


 最初はペン先を追っていたリーゼも、途中からは黙って待っていた。


 やがてグレンが書き終え、二枚の紙を揃えて差し出す。


「今はこう見えてる」


 リーゼが受け取った。


――――――――――――――――


【リーゼ・アルヴェイン】


【飼育状態】


充足度 41 / やや低い

成長効率 やや低下


【身体状態】


健康 87 / 左肩と右脇腹に軽い痛み、左足首にわずかな違和感あり

活力 68 / 軽い疲労あり

満腹 52 / 概ね良好

休息 57 / やや休息不足


【欲求】


接触 47 / 主人との接触を求めている。上昇傾向が顕著

食事 34 / 軽度

睡眠 43 / やや高い

称賛 52 / 主人からの肯定を求めている。上昇傾向が顕著

発情 7 / ほぼなし

排泄 24 / 低い


【対主人】


信頼 97 / 主人を極めて強く信頼している

親愛 96 / 主人への親愛が極めて強い

忠誠 38 / 主人に自発的に従い、仕えようとする傾向は弱い

依存 19 / 主人への依存は低い。上昇傾向あり


【基礎能力】


筋力 16 /資質D

耐久 22 /資質C

敏捷 39 /資質A

技巧 42 /資質A

感覚 34 /資質B

魔力 31 /資質B


【技能】


剣術   44 /資質A

体術   28 /資質B

登攀   21 /資質A

探索   19 /資質B

交渉   18 /資質B

隠密   16 /資質B

舞踊   14 /資質A

騎乗   13 /資質B

水泳   12 /資質B

野営   12 /資質C

応急手当 10 /資質C

短剣術   9 /資質B

投擲    8 /資質C

採取    7 /資質C

罠対処   6 /資質C

解体    5 /資質D

料理    5 /資質C

弓術    4 /資質C

槍術    2 /資質B

盾術    2 /資質C


……


【魔法】


空間魔法 55 /資質E

強化魔法 12 /資質C

光魔法   8 /資質D

風魔法   6 /資質D

火炎魔法  5 /資質E

水魔法   4 /資質D

土魔法   2 /資質E

治癒魔法  1 /資質E

……


【固有スキル】


《案内(エスコート)》 熟練度74


――――――――――――――――


 リーゼは上から順に読んでいった。


 健康の欄では左肩を一度回してみる。休息57には、ほんの少し眉を寄せた。


 剣術44。


 強化魔法12。


 空間魔法55。


 そこでは一度だけ目が止まり、すぐに先へ進んだ。


 やがて【欲求】へ入る。


 接触47。


 その横の文章を読んで、リーゼの指が止まった。


 主人との接触を求めている。


 上昇傾向が顕著。


 少し下には、称賛52。


 主人からの肯定を求めている。


 こちらも同じく、上昇傾向が顕著。


 リーゼはしばらく二つを見比べた。


「……随分とはっきり書くんだね」


「俺が書き足したわけじゃないぞ」


「分かってるよ」


 返しながらも、顔は上げない。


「これも、キミにはずっと分かってた?」


「ああ」


「触れられたがってるとか、褒められたがってるとか?」


「そうなるな」


 紙の端を押さえていた指が、少しだけ丸まった。


「……嫌な能力だな」


 口元には苦笑が浮かんでいた。


 リーゼはそのまま、少し急ぐように視線を下へ移した。


 そして止まる。


 発情7。


 そのすぐ下にある項目には一瞬だけ目をやり、何も見なかったことにして視線を戻した。


「…………」


 先ほどとは違う沈黙だった。


「ねえ」


「何だ」


「これ、本当に必要?」


「俺に言われても困る」


「そうだろうけどさ」


 紙を指先で軽く叩く。


「欲求って聞いた時は、空腹とか眠気とか、せいぜいそういうものを想像してたんだけどね」


 もう一度、発情の文字を見る。


「なんだよ、発情って。ボクを犬か何かだと思ってるのか、このスキルは」


 顔をしかめ、そのまま先へ進もうとする。


「……悪い」


 グレンが言う。


 リーゼはすぐに手を上げた。


「いや。キミが謝るのは違う。好きで見てるわけじゃないんだから」


 そう言ってから、紙へ視線を戻す。


「それで、さっき言ってた細かい方。そっちはどこまで分かる?」


「欲求ごとに、もう少し中身が分かれる。接触なら、そばにいたいのか、実際に触れたいのか、とかな」


 リーゼの目が少し細くなる。


「……発情も?」


「たぶんな。ただ、そこまでは俺も曖昧だ」


「見たことないの?」


「ない」


 返事はすぐだった。


 リーゼの肩から、わずかに力が抜ける。


「……そっか。なら、いい」


 もう一度だけ発情7の文字を見て、紙を持ち直した。


 次は【対主人】。


 信頼97。


 親愛96。


 親愛の数字で、視線が止まる。


 リーゼはしばらくそこを見てから、何でもないことのように口を開いた。


「……ちなみに、この親愛って、信頼とはどう違うんだ?」


「俺も正確な基準までは分からないけど、親しさとか好意の強さじゃないか。普段見えてるだけじゃ、その中身までは分からない」


「ふうん」


 リーゼはもう一度、親愛96の数字を見る。


「それにしても、高いね」


「高いな」


「……本人を前にして素直に頷くなよ」


 リーゼは苦笑して、その先へ視線を移した。


 忠誠38。


 さらに依存19。


 そこまで眺めてから、少しだけ口元を緩める。


「信頼も親愛も高い。撫でてほしいし、褒めてもらいたがる。そのくせ仕える気はあんまりない」


 指先で項目を順に辿る。


「なかなか手の焼けるワンちゃんみたいだね。ご主人様も大変――」


 声が止まった。


 部屋の外から、通りを走る荷車の音が聞こえた。


 リーゼは紙からゆっくり顔を上げる。


 グレンも黙っている。


「……いや。今のは忘れて」


 グレンがわずかに視線を逸らした。


「……黙るのもやめてよ」


「何て言えばいいんだよ」


「知らないよ」


 リーゼも目を逸らした。


 二人の間には、書き終えた二枚の紙と、まだ開かれていない大きな本が置かれている。


 少しの間、どちらもそれに手を伸ばさなかった。


 やがて、その視線が隣の本へ移った。


 一人分だけでも、これだけのことが分かる。


 昨日読んだ本には、それが何人分も、何年分も積み重なっていた。


 リーゼは分厚い革表紙へ手を置いた。


「……改めて読むと、昨日とは見え方が変わりそうだね」


「ああ」


「今度こそ、続きを読もうか」

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