第9話 断罪の幕開け
建国記念祝賀会まで、あと2時間。
カルメネール公爵家。
屋敷中が慌ただしく動き回っていた。
侍女たちは最後の身支度を整え、執事たちは馬車の準備に追われている。
今夜は建国記念祝賀会。
王侯貴族が一堂に会する、一年で最も華やかな夜。
そして、フランシスカ・カルメネールが「断罪」されるはずの日でもあった。
「お嬢様」
マリアがドレスの裾を丁寧に整える。
藤色ではなく、深い藍色のドレス。
夜空をそのまま映したようなその色は、公爵家の気高さと、フランシスカの凛とした美しさを際立たせていた。
「……とても、お綺麗です」
「ありがとう、マリア」
鏡越しに微笑む。
その笑みは穏やかだったが、胸の鼓動だけは隠せない。
(怖くないわけじゃない)
手は少しだけ冷たい。
心臓は早鐘のように鳴っている。
(だけど、前世とは違う。私は、もう一人じゃない)
「お嬢様」
アルフレッドが一礼する。
「お時間でございます」
「……ええ」
フランシスカは静かに立ち上がった。
本来であれば、婚約者である王太子レナードが、公爵家まで迎えに来る手筈となっている。
だが、時計の針は約束の刻を過ぎても、王家の馬車が到着する気配はなかった。
マリアが悔しそうに唇を噛む。
「やはり……」
アルフレッドも小さく目を伏せる。
「予想通り、でございましたね」
フランシスカは苦笑した。
「ええ、最初から期待はしていなかったもの」
その声音には、不思議なほど棘がない。
悲しみを通り越し、どこか吹っ切れたような穏やかさがあった。
「それでは、こちらから登城いたしましょう」
そう言って歩き出そうとした、その時だった。
屋敷の外から、馬車の止まる音が聞こえた。
「……?」
使用人たちが顔を見合わせる。
ほどなくして執事が駆け込んできた。
「お、お嬢様!王家の馬車が到着しております!」
「レナード殿下が……?」
マリアが驚きの声を漏らす。
しかし執事は首を横に振った。
「いえ、ヴァルデマール殿下でございます」
「……え?」
思わずフランシスカの瞳が大きく見開かれた。
玄関ホールへ向かうと、そこには一人の青年が静かに立っていた。
王弟、ヴァルデマール。
彼は穏やかな笑みを浮かべ、一礼する。
「突然の訪問、お許しください」
「ヴァルデマール殿下……」
「公爵閣下と公爵夫人には、すでにお許しをいただいております」
そう言って後ろへ目を向けると、公爵夫妻が穏やかに頷いていた。
「フランシスカ」
父が優しく言う。
「今日はヴァルデマール殿下にエスコートをお願いした」
「ですが……」
「本来ならレナードが来る約束だった」
ヴァルデマールは困ったように微笑む。
「しかし、約束の時刻を過ぎても現れないのであれば、貴女を待たせ続けるわけにはまいりません」
その一言に、フランシスカは胸が少しだけ熱くなる。
そこへマリアが、ふと目を丸くした。
「あの……殿下、その礼服……」
ヴァルデマールは照れくさそうに視線を落とす。
「お気付きになりましたか」
彼が身に纏っていたのは、深い藍色の礼装。
夜空のような色彩は、フランシスカのドレスと見事に調和していた。
「今日の装いを、公爵夫人から少しだけ伺いました。せっかくご一緒するのなら、隣に立った時、少しでもお似合いに見えた方が良いかと思いまして」
フランシスカは息を呑む。
そこまで考えてくれていたのだ。
前世でも、ゲームの中でも、そんな気遣いを向けられたことは、一度もなかった。
「……ありがとうございます」
頬がほんのりと赤く染まる。
ヴァルデマールはその表情を見て、一瞬だけ見惚れた。
(……綺麗だ)
藍色のドレスに包まれた彼女は、まるで夜空に咲く一輪の花のようだった。
だが、その想いは胸の内にしまい込み、彼は紳士らしく右手を差し出す。
「では、参りましょうか」
「はい」
フランシスカはその手へ、自分の手をそっと重ねた。
「よろしくお願いいたします、ヴァルデマール殿下」
「こちらこそ、こんな素敵な女性をエスコートする権利を頂き光栄です」
「まあ、ご冗談を」
二人が並んで歩き出す姿を見送りながら、マリアは目元を押さえた。
「アルフレッド……」
「ええ」
アルフレッドも柔らかく微笑む。
「ようやく、お嬢様を大切にしてくださる方が、お迎えに来てくださいましたね」
馬車の扉が閉まり、ゆっくりと王城へ向けて走り出す。
その頃──
王城ではまだ、自分が勝者だと信じて疑わないレナードが、断罪劇の幕が上がるのを待っていた。
彼はまだ知らない。
今夜、自分が失うものの大きさを。
◇
王城、大広間。
天井を彩る巨大なシャンデリアが、数え切れないほどの光を降り注いでいた。
建国記念祝賀会。
色鮮やかなドレス。
煌びやかな軍服。
笑い声。
音楽。
ワインの香り。
誰もが宴を楽しんでいた。
その時だった。
「カルメネール公爵令嬢、フランシスカ・カルメネール様──」
一拍置いて、衛兵が高らかに続ける。
「ならびに、ヴァルデマール・フォン・アルフォード王弟殿下、ご到着!」
大広間の空気が、一瞬で静まり返った。
誰もが一斉に入口へ視線を向ける。
そこに現れたのは、一組の男女。
深い藍色のドレスを纏ったフランシスカ。
そして、その隣には同じく深い藍色の礼装に身を包んだヴァルデマール。
夜空を映したような二人の装いは、まるで最初から示し合わせていたかのように美しく調和していた。
ヴァルデマールは穏やかな笑みを浮かべ、自然な所作でフランシスカをエスコートしている。
その姿は誰の目にも絵になる光景だった。
令嬢たちが思わず息を呑む。
「……綺麗」
「お似合い……」
「まるで舞台の主役みたい」
そんな囁きが、あちこちから漏れ聞こえた。
その光景を見たレナードは、一瞬言葉を失った。
(……フランシスカ)
目を奪われた。
いつからだろう。
彼女がこんなにも堂々と歩くようになったのは。
昔は、自分を見つけるたび嬉しそうに笑っていた。
少し照れながら、自分の隣へ駆け寄ってきた。
なのに今は一度もこちらを見ない。
その視線は真っ直ぐ前だけを見据えている。
胸の奥がざわつく。
そしてその隣、ヴァルデマール。
二人は藍色で装いを揃えていた。
偶然ではない、明らかに意図された色合わせ。
レナードの眉がぴくりと動く。
(……何故だ)
何故、叔父上が。
何故、フランシスカと。
何故、そんなにも自然に。
得体の知れない苛立ちが胸の内で膨れ上がる。
気付けば、拳を強く握り締めていた。
「殿下?」
隣にいたシャーリーが心配そうに袖を引く。
「……ああ」
レナードは我に返るように首を振った。
(違う、今日で婚約は破棄し、終わるんだ)
そうだ、それでいいはずだ、それなのに。
どうして胸の奥が、こんなにもざわつくのだろう。
◇
一方。
ヴァルデマールは、エスコートするフランシスカへ静かに視線を向ける。
堂々と歩いている。
背筋は真っ直ぐ。
表情も崩さない。
だが腕に添えられた細い指先だけが、わずかに震えていた。
(……怖いのだな)
当然だ、まだ17歳。
これから、自らを断罪しようとする者たちの前へ歩いていくのだから。
それでも彼女は歩みを止めない。
決して俯かない。
その姿だけでも胸が締め付けられるというのに──
ヴァルデマールは、ふと正面へ視線を向けた。
我が甥であるレナードと目が合う。
その瞳に宿っていたのは。
迷い。
苛立ち。
そして、所有物を奪われそうになった者だけが見せる、醜い焦燥。
(……そういうことか)
ヴァルデマールは静かに理解した。
彼はフランシスカを見ているのではない。
“失う”ことを惜しんでいるだけだ。
その瞬間、ヴァルデマールの中で、一つの決意が固まった。
(この子はもう二度と、あの男の隣へ戻してはならない)
そっと腕に力を込める。
「……大丈夫ですか」
小さく囁く。
フランシスカは少しだけ驚き、ヴァルデマールを見上げた。
そして、小さく微笑む。
「……はい」
その笑顔は少しだけ強がっていた。
だからこそヴァルデマールは静かに心の中で誓う。
(安心してください。今夜だけではありません。これから先も、私はあなたを守ります)
その決意を胸に秘めたまま、二人は堂々と大広間の中央へ歩みを進めた。
フランシスカとヴァルデマールが指定された位置に着いた直後。
「国王陛下、王妃陛下、ご入場!」
衛兵の声が高らかに響き渡る。
その場にいた全員が一斉に頭を垂れる。
王座へ向かう国王と王妃。
そして、王国の運命を変える”断罪劇”の幕が、静かに上がろうとしていた。
玉座に着いた国王の合図とともに祝賀会は本格的に幕を開けた。
華やかな音楽が流れ、笑い声とグラスの触れ合う音が大広間を満たしていく。
貴族たちは談笑し、王族へ挨拶に向かう者、旧交を温める者、優雅にダンスを踊る者──誰もが建国記念の祝いに酔いしれていた。
そんな賑わいがしばらく続いた頃。
楽団が最後の音を奏で終え、会場を包んでいた音楽がふっと途切れる。
一瞬の静寂。
その隙を待っていたかのように、一人の声が高らかに響いた。
「国王陛下!」
レナードだった。
彼は玉座の前まで進み出る。
「本日は、皆様の前で明らかにしなければならないことがあります!」
ざわり。
貴族たちが息を呑む。
国王は静かに頷いた。
「申してみよ」
レナードは振り返る。
真っ直ぐ。
フランシスカを指差した。
「公爵令嬢フランシスカ・カルメネール!貴様は長年に渡り、シャーリー・ローズへ嫌がらせを繰り返してきた!暴言、脅迫、暴行!さらには王家を利用し、自らの罪を隠蔽しようとした!」
会場が騒然となる。
前世と同じ展開。
全く同じ台詞。
(始まった)
フランシスカは静かに息を吸う。
「よって私は!」
レナードの声が高らかに響く。
「貴様との婚約を、この場をもって破棄する!そして!その罪を、ここで裁く!」
シャーリーが前へ出る。
少し怯えた表情で。
「フランシスカ様……私は、どうしても仲良くなりたかっただけなんです……」
涙ぐむ姿に、会場の何人かが同情の眼差しを向ける。
まるでゲームのイベントそのもの。
ヴァルデマールはその光景を見つめる。
(ここからか)
兄王が「面白い」と言った理由。
義姉が「見届けて」と言った理由。
全ては。
ここから始まる。
レナードは高らかに宣言した。
「証人を呼べ!」
その声が大広間へ響く。
最初の証人が姿を現す。
王立学園教師。
ローベルト・エインズ。
フランシスカは静かに彼を見る。
ローベルトもまた、フランシスカを見た。
その瞳に宿るのは——
恐怖でも、迷いでもない。
決意だった。
ドキドキ断罪劇の始まり!
ヴァルデマールはフランシスカに最大限、礼を尽くそうしていますね!それがレナードとの差ですね!
本作品はカクヨム、アルファポリスにて同時投稿をしております。
気が向いたらいいね、ブクマ、よろしくお願いいたします。




