第6話 断罪まであと3日
なんか長くなっちゃいました……
王都の正門前。
朝靄の中、一台の豪奢な馬車がゆっくりと石畳を進んでいた。
王家の紋章。
それを先頭に、隣国の騎士団が護衛につく。
沿道では人々が歓声を上げていた。
「王弟殿下がお帰りになられたぞ!」
「ヴァルデマール殿下だ!」
「8年ぶりだ!」
馬車の窓が開く。
柔らかな金髪を後ろへ流した青年が、小さく微笑みながら民衆へ手を振った。
ヴァルデマール・フォン・アルフォード。
26歳。現国王アウグスト・フォン・アルフォードの実弟。
王位継承権を自ら放棄し、隣国へ留学。
外交官として数々の実績を挙げた”王国一の知将”と呼ばれる人物だった。
「懐かしいな」
王都を眺めながら、小さく呟く。
その瞳には、王位への執着はない。
ただ、故郷へ帰ってきた安堵だけがあった。
◇
王城。
「兄上、お久しぶりです」
「帰ったか、ヴァル」
国王アウグストは立ち上がり、弟を力強く抱き締めた。
「長旅だったろう」
「ええ。ですが、ようやく帰って来られました」
二人は笑みを交わす。
王妃ヘレナも優雅に微笑み、一礼した。
「お帰りなさいませ、ヴァルデマール」
「義姉上もお変わりないようで安心しました」
王妃ヘレナは優雅に微笑む。
「ええ、おかげさまで」
久しぶりの再会。
3人はしばらく穏やかな時間を過ごした。
旅の話。
隣国の情勢。
王都の変化。
笑い声が執務室へ響く。
やがて、国王が紅茶を一口飲み、ふっと表情を引き締める。
「ヴァル」
「はい」
「今日、一人の令嬢をここへ呼んでいる」
「令嬢、ですか?」
「そうだ」
国王は意味ありげに微笑んだ。
「面白い娘だ」
ヴァルデマールは肩を竦める。
「兄上。その言い方では、何やら厄介な人物のように聞こえます」
「その認識も、あながち間違いではない」
「え?」
王妃が口元へ扇子を添え、くすりと笑う。
「世間では『悪役令嬢』と呼ばれている方ですもの」
「……悪役令嬢?」
ヴァルデマールは思わず眉をひそめた。
「帰国早々、そのような方をご紹介いただくとは思いませんでした」
「安心しろ」
国王は静かに引き出しを開け、一冊の革張りの冊子を机へ置く。
「噂ではなく、こちらを読め」
表紙には王家の紋章。
その下には小さく刻まれている。
──影の報告。
ヴァルデマールの表情が僅かに変わった。
「影の……」
王家直属の密偵。
彼らの報告書には推測も憶測もない。
ただ、確認された事実だけが淡々と記される。
だからこそ、その重みは誰よりも知っている。
ヴァルデマールは静かに冊子を開いた。
最初のページ。
『公爵令嬢フランシスカ・カルメネール
領地経営、良好。
孤児院への匿名支援、継続。
使用人への待遇、良。
教師家族への医療支援。
商会への投資、各地の産業振興を確認。
王妃へ婚約見直しを自ら申し出る。』
「……」
ヴァルデマールは無言でページをめくる。
続いて現れたのは、別の名前だった。
『王太子レナード・フォン・アルフォード
政務欠席、多数。
平民令嬢との私的外出を頻繁に確認。
婚約者への配慮なし。
学園規律違反。
下位貴族子女への威圧的言動を確認。
建国記念祝賀祭夜会において、公爵令嬢フランシスカ・カルメネールを断罪する計画あり。協力者を募るも、賛同者は少数。』
部屋が静まり返る。
ヴァルデマールはゆっくりと冊子を閉じた。
「兄上……」
「何だ」
「……悪役とは、一体どちらのことですか?」
国王は腕を組み、真顔で頷く。
「私も知りたい」
「義姉上は?」
王妃も苦笑を浮かべる。
「私も最初は噂を信じておりました。ですが、実際に会ってみれば印象はまるで違いました。
むしろ、どうしてあの子が悪役令嬢などと呼ばれているのか、不思議で仕方ありません」
ヴァルデマールは再び冊子へ目を落とした。
どこをどう見ても、フランシスカ嬢が悪役令嬢ではない。むしろ悪役なのは、我が甥であるレナードだ。
どちらが王族で、どちらが王族を支える公爵令嬢なのか。
報告書だけを読めば、一目瞭然だった。
国王は椅子にもたれ、小さく息を吐く。
「だからこそ、お前自身の目で見て判断してほしい。まもなく本人が参る。その時、お前は何を見る?」
ヴァルデマールは静かに微笑んだ。
「噂ではなく、人を」
その返答に、国王は満足そうに頷いた。
「うむ。それでこそ、私の弟だ」
◇
王城へ案内されたフランシスカは、いつもの謁見の間ではなく、国王の執務室へと通された。
重厚な扉が静かに閉じられる。
室内には国王アウグスト、王妃ヘレナ、そして見慣れない一人の青年がいた。
柔らかな金髪に、新緑色の瞳。
穏やかな笑みを浮かべているものの、その眼差しには人を見極める鋭さが宿っている。
フランシスカは思考を巡らせる。
前世の記憶で設定資料集に一文だけ国王に弟が一人いるとだけ書いてあったのを思い出す。
(……予定外ね)
胸の内だけでそう呟き、フランシスカは表情一つ変えずに歩みを進めた。
玉座の前で優雅に一礼し、美しいカーテシーを披露する。
「公爵子女、フランシスカ・カルメネール参上いたしました」
「面を上げよ」
国王の言葉に従い、静かに顔を上げる。
その瞬間、王弟殿下と目が合った。
ほんの一瞬。
互いに視線が交差する。
だが二人とも、それ以上の感情を表へ出すことはなかった。
「紹介しよう」
国王が穏やかに口を開く。
「私の弟、ヴァルデマール・フォン・アルフォードだ」
フランシスカは改めて一礼する。
「初めてお目にかかります、王弟殿下」
「こちらこそ」
ヴァルデマールも微笑みながら軽く礼を返した。
「噂は伺っております」
その一言に、フランシスカは僅かに微笑む。
「良い噂であれば嬉しいのですが」
「さて、それはどうでしょう」
柔らかな応酬。
しかし互いに、その胸の内を読ませることはない。
国王が咳払いを一つした。
「本題へ入ろう」
執務机の上へ、一通の書類が置かれる。
厚手の羊皮紙。
王家の紋章と公爵家の紋章が並び、その下には大きく題名が記されていた。
──婚約見直し誓約書。
ヴァルデマールの視線が自然とそこへ向く。
「カルメネール公爵令嬢」
国王は静かに言った。
「これは以前、お前が王妃へ申し出た件について作成したものだ。婚約を直ちに解消するものではない。
だが、今後の状況次第では婚約解消を正式に執り行うことを、双方が認めるための誓約書である」
フランシスカは静かに頷いた。
「承知しております」
「効力が発生するのは、私が必要と判断した時のみ。それまでは婚約者であり続ける。そして、この件は極秘事項とする」
「異存はございません」
一切の迷いがない返答だった。
国王は少しだけ目を細める。
「……悔いはないか」
執務室が静まり返る。
王妃もヴァルデマールも、フランシスカを見つめていた。
フランシスカは書類へ視線を落とす。
10年。
幼い頃から婚約者として歩んできた日々。
王妃から学んだ礼儀。
国王から教わった政務。
王太子妃となるため積み重ねてきた年月。
それらすべてが、この一枚の紙の向こう側にある。
それでも。
「ございません」
その答えに迷いはなかった。
「私は、この国の公爵令嬢です。婚約は私情ではなく、王国のために結ばれたもの。ならば、その婚約もまた、王国のために見直されるべき時がございます」
王妃が静かに微笑む。
国王もまた、小さく息を吐いた。
「……そうか」
フランシスカは羽根ペンを手に取る。
さらり、と迷いなく自らの名を書き記した。
『フランシスカ・カルメネール』
美しく整った文字が羊皮紙へ刻まれる。
ペンを置く音だけが部屋へ響いた。
国王はその署名を静かに見つめる。
そして自らも羽根ペンを取り上げた。
「この誓約書は、私が預かる」
王家の印璽が押される。
続いて国王自ら署名を書く。
『アウグスト・フォン・アルフォード』
最後の一筆を書き終えると、静かに羊皮紙を閉じた。
「これより先、この書類を開く日は──私が決める。それまでは誰にも知られてはならぬ」
「承知いたしました」
フランシスカは深く一礼する。
その姿を、ヴァルデマールは黙って見つめていた。
(……噂とは、まるで違う)
婚約を失うかもしれないという場で。
涙も見せず、怒りも見せず、まして王家へ取り入ろうともしない。
ただ、王国の利益だけを見据えて署名をした。
(17歳の娘とは思えない)
視線が合う。
ほんの一瞬だけ。
フランシスカもまた、その新緑色の瞳を見返した。
(この方は……)
前世のゲームには一切出てない人物。
未来の知識にも存在しない。
盤面へ新たに置かれた駒。
(……予定を組み直さなくては)
二人は互いに何も言葉を交わさない。
それでも、それぞれの胸には同じ感情が芽生えていた。
──この人物は、見過ごしてはならない。
ただ、互いを”読むべき相手”として認識した、その瞬間だった。
◇
重厚な扉が静かに閉じられる。
フランシスカが退出した執務室には、しばし静寂が流れた。
国王アウグストは閉じられた扉を見つめたまま、小さく息をつく。
「……どう思った」
問い掛けられたヴァルデマールは、すぐには答えなかった。
先ほどまで執務室にいた少女の姿を思い返す。
婚約見直しの誓約書。
普通の17歳の令嬢であれば、動揺しても不思議ではない。
涙を流しても。
王家へ縋っても。
あるいは婚約の継続を願っても。
誰も責めはしないだろう。
しかし、フランシスカは違った。
一切の迷いもなく署名をした。
それも、諦めた人間の表情ではない。
覚悟を決めた者の目だった。
「兄上」
ヴァルデマールは静かに口を開く。
「彼女は、本当に17歳ですか?」
国王は思わず笑みを漏らす。
「やはり、お前もそう思うか」
「ええ」
ヴァルデマールは苦笑した。
「あれは幾つもの修羅場を潜り抜けた政務官の目です。少なくとも、婚約を失うかもしれない令嬢の目ではありません」
王妃も静かに頷いた。
「初めて会った時、私も同じことを思いました」
王妃はティーカップをそっと置く。
「あの子は、誰かを責めないのです。息子に裏切られてなお、王家を恨まず、国を優先している。それが、あの子の恐ろしいところでもあります」
ヴァルデマールは静かに目を伏せた。
(恐ろしい……か)
違う。
彼には別の印象があった。
(あれは……)
何かを知っている目だった。
署名をする前、自分と視線が交わった、あの一瞬。
ほんのわずかに、彼女は息を止めた。
驚きとも違う。
警戒とも違う。
まるで、盤上に置かれていなかった駒を見つけた棋士のように。
一手先ではない。
もっと先を見据え、盤面を書き換える者の目。
(私を見て……予定を組み替えた)
そんな錯覚すら覚えた。
もちろん、確証などない。
それでも胸の奥で、小さな違和感だけが消えなかった。
「兄上」
「何だ」
「彼女は、いつからあのようになったのです」
国王は苦く笑う。
「分からぬ。幼い頃は、王太子妃となるために誰よりも努力する、ごく普通の令嬢だったはずだ」
ヴァルデマールはその言葉を静かに反芻する。
「政務を学び。商会を動かし。教師や貴族、教会にまで信頼を築き。婚約が破談になった後まで見据えて準備を進めている」
国王は机の上に置かれた誓約書へ目を落とした。
「私には、あの子が一手先ではなく、十手先を読んでいるように見える」
ヴァルデマールは小さく笑った。
「それは面白い」
「何がだ」
「兄上」
新緑の瞳が静かに細められる。
「外交というものは、相手が読みやすければ容易いものです。ですが、自分の想定を超えてくる相手ほど、話をしていて愉快なものはありません」
王妃がくすりと笑う。
「興味がおありなのですね」
「ええ」
ヴァルデマールは隠すことなく頷いた。
「悪役令嬢などという噂には、もう興味はありません。ですが──」
窓の外へ目を向ける。
青空の向こうで、一台の馬車がゆっくりと王城を後にしていた。
「フランシスカ・カルメネール。彼女という人間には、少々興味が湧きました」
その声は穏やかだった。
恋でも憧れでもない。
ただ、一人の外交官として。
そして、一人の知略家として。
自分の知らない盤面を描く相手を見つけた者だけが抱く、小さな好奇心だった。
◇
「……は?」
王太子レナードは、生徒会室で一枚の報告書を見つめていた。
「ローベルト教師と連絡が取れない?」
「はい」
側近のディランが困惑した表情で頭を下げる。
「三度使者を送りましたが、お会いできず……」
「馬鹿な」
レナードは机を叩く。
「あの男は協力すると言っていただろう!」
「そのはずなのですが……」
シャーリーが不安そうに口を開く。
「先生、何かあったんでしょうか?」
「……いや」
レナードは首を振る。
「心配ない、断罪の日には来る。来なければ困る」
そう来るしかない。
王太子の命令なのだから。
そう自分へ言い聞かせるように。
◇
その頃。
王都・ベルフォード商会。
「……断る」
商会長グレゴールは、王太子派の使者へ静かに言った。
「な、何を仰います!断罪の日、証言していただくだけで結構なのです!『公爵家は近年経営が悪化している』と……」
グレゴールは書類を閉じる。
「嘘は言えん」
「ですが!証言料も用意しております!」
「帰れ」
一言だった。
使者は青ざめる。
「王太子殿下のお頼みですよ!」
「だから断る。商人は信用を売って生きている。一度嘘を売れば、二度と信用は買えん」
使者は何も言えなくなった。
(なぜだ……昨日まで協力的だったはずなのに)
◇
その日の夕刻。
王立学園。
「……最近」
カイルがぽつりと呟いた。
「何だ?」
レナードが振り向く。
「学園の空気が変わりました」
「空気?」
「令嬢方です。以前はシャーリー嬢へ集まっていましたが……」
レナードは教室を見回した。
確かに誰もシャーリーへ話しかけない。
挨拶はする、笑顔も向ける。
しかし以前のように輪へ招く者はいなかった。
「気のせいだろ」
レナードはそう言い切った。
「皆、フランシスカを恐れているから距離を置いているだけだ」
カイルは何も言わなかった。
(違う)
恐れているのではない。
シャーリー嬢を見限ったのだ。
しかし、その言葉は飲み込む。
今はまだ、証拠がない。
◇
シャーリーは廊下で一人立ち尽くしていた。
「……あれ?」
いつもなら誰かが話しかけてくる。
今日は誰も来ない。
侯爵令嬢たちは笑顔で会釈だけして通り過ぎる。
伯爵令嬢も、子爵令嬢も。
みんな優しい、だけど誰も足を止めない。
「どうして……?」
胸が少しだけ痛んだ。
(私、何かした……?)
その時、廊下の向こうからフランシスカが歩いてくる。
シャーリーは思わず身構えた。
また嫌味を言われる、そう思った。
しかし。
「ごきげんよう、シャーリー様」
それだけ。
穏やかに微笑み、一礼し、そのまま通り過ぎていく。
何も言わず、責めるとこも、笑う事もしない。
「…………え?」
シャーリーは振り返る。
フランシスカの背中は真っ直ぐだった。
「なんで……?」
分からなかった。
悪役令嬢なら私をいじめればいいのに。
どうして何もしないの?
その疑問だけが、小さな棘のように胸へ残った。
ついに王弟殿下の登場!
王位継承権は放棄していても人気はまだあるようです。
本作品はカクヨム、アルファポリスにて同時投稿をしております。
気が向いたらいいね、ブクマ、よろしくお願いいたします。




