第2話 断罪まであと7日
かなり長くなってしまいました
朝食を終えたフランシスカは、紅茶に一度も口をつけなかった。
侍女のマリアは心配そうに見つめる。
「お嬢様、お加減が優れませんか?」
「いいえ少し急ぐ用事ができただけよ」
そう言うと、窓から差し込む朝日に目を細めた。
──断罪まで、あと7日。
残された時間は驚くほど短い。
しかし、焦る必要はない。
未来を知っている者にとって、1週間は長い。
何より、最初にやるべきことは決まっている。
フランシスカは机へ行き、ペンを走らせる。
宛先は王妃。内容はわずか二行。
──────────
王家の未来について、至急ご相談したき儀がございます。
婚約の見直しをお願いしたく存じます。
──────────
余計なことは書かない。
読むのは王妃。
この二行だけで十分興味を引ける。
封蝋を押し、マリアへ渡す。
「マリア、これを最優先で王妃へお願いできる?」
「承知しました」
マリアがお辞儀をしてから退室しようとした瞬間、フランシスカは振り返って言う。
「それと、執事のアルフレッドを呼んで」
「承知いたしました」
マリアが退室して数分。
初老の執事が静かに一礼する。
「お呼びでしょうか、お嬢様」
フランシスカはソファへ腰掛けたまま、彼の顔をじっと見つめた。
前回の人生。
この男は断罪の2日前、公爵家の帳簿を敵へ流した。
証拠を作り、父を失脚させた張本人。
理由は単純。
借金だった。
病弱な息子の治療費。妻の薬代。娘の嫁入り支度。
そして賭博。
弱みを握られ、王太子派へ寝返った。
(……裏切り者、だけど今はまだ違う)
今この時点では、誰にも脅されていない。
つまり──選択肢はある。
「アルフレッド」
「はい」
「借金はいくら?」
「…………」
空気が凍った。
執事の顔色が、見る間に青ざめる。
「な、何のお話でしょう……」
「隠さなくていいわ」
フランシスカは金融機関の名前と返済期限、それから借入額を言う。
アルフレッドは目を見開いた。
「どうして……」
「調べたの」
もちろん嘘だった。
調べたのではなく前世の記憶で知っていた。
「ご家族のことも……息子さんの治療。奥様の薬代。娘さんの結婚。全部必要なのでしょう?」
執事の肩が震える。
やがて観念したように膝をついた。
「……申し訳ございません」
「謝ることはないわ」
「え……?」
「あなたは、まだ何もしていないもの」
その言葉に、執事は目を見開いた。
フランシスカはアルフレッドに優しく微笑んだ。
「アルフレッド、あなたを助けたいの。借金は私が全額肩代わりするわ」
「お、お嬢様!?」
「その代わり」
彼女は一本だけ指を立てた。
「これから7日間、私だけに忠誠を誓いなさい」
執事は言葉を失う。
たった7日。
しかし、その7日こそが運命を分ける。
「断れば?」
静かな問い、フランシスカは迷いなく答えた。
「借金は今日中に取り立てられる。あなたの家族は路頭に迷うわ……でも従えば」
一枚の小切手を差し出す。
「全部終わったあとも、公爵家の執事でいられるわ」
長い沈黙。
やがてアルフレッドは深々と頭を下げた。
「この命。フランシスカ様へお預けいたします」
その瞬間、盤面が一つ動いた。
(これで一人)
彼女は心の中で駒を並べる。
まだ先は長い。
「早速だけどアルフレッド、馬車を出してくれる?」
「どちらへ?」
フランシスカは即答した。
「王城よ。王妃陛下へ面会を申し込むの」
執事が目を丸くする。
「ですが、本日は謁見の予定など……」
「予定は作るものよ」
フランシスカは立ち上がり、窓の外を見た。
王妃はこの国で最も冷静な人物、感情では動かない。
だが、王家の利益には誰よりも敏感だ。
そしてゲームでは描かれなかっただけで、彼女はずっと主人公令嬢の素行に疑問を抱いていた。
(王妃陛下は敵じゃない。味方になってもらう)
執事お辞儀をして退室すると、部屋には静寂だけが残った。
フランシスカは鏡に映る自分を見る。
藤色の艶やかな美しい髪、整った顔立ちに、水色の瞳。
誰もが見惚れる細く、曲線を描いた美しい体型。
礼儀作法も、勉学も、政務も、剣術だって誰にも劣ることはなかった。
こんなに完璧な女を婚約者にしといて放っておく馬鹿な男がいるもんだとため息をつく。
断罪まであと7日。
ふっと自嘲気味に笑う。
「……いや、そっちがその気ならやってやろうじゃない。国の行く末を守るのが貴族の務めだもの」
◇
午後。
王城へ向かう馬車の中。
フランシスカは窓の外を流れる街並みを静かに眺めていた。
露店では子どもたちが笑い、商人が威勢よく客を呼び込んでいる平和な光景。だが、この平穏は長く続かない。
(王太子とシャーリーの婚約が成立すれば、公爵派は反発する。貴族派と王家の対立は激化し、数年後には内乱寸前)
ゲームでは語られなかった設定。
しかし、何度も資料集を読み込んだから知っている。
恋愛ゲームの裏側で、この国は静かに崩壊へ向かっていた。
「お嬢様」
向かいに座るアルフレッドが口を開く。
「本当に王妃陛下がお会いくださるでしょうか?」
「会うわ」
フランシスカは迷わず答えた。
「断る理由がないもの」
王城へ着くと、王妃付き侍女に案内され、王妃の私室へ通される。
重厚な扉が閉まる。
部屋には王妃ただ一人、窓辺で紅茶を楽しんでいた。
「久しぶりね、フランシスカ嬢」
王妃ヘレナ。
四十代半ばとは思えぬ美貌。
穏やかな笑みを浮かべながらも、その瞳だけは獲物を見定める鷹のように鋭い。
「ご機嫌麗しゅうございます、王妃陛下。」
フランシスカは優雅に一礼する。
「座りなさい」
促されるまま椅子へ腰掛ける。
沈黙。
紅茶の香りだけが部屋を満たしていた。
先に口を開いたのは王妃だった。
「手紙読んだわ。婚約の見直し、ずいぶん大胆なお願いね」
「はい」
「理由を聞いても?」
フランシスカは一瞬だけ目を伏せ、そして静かに答えた。
「王家のためです」
王妃の眉がわずかに動いた。
「……続きを」
「この婚約は、双方に利益をもたらしません。王太子殿下は私を嫌っており、私も殿下の価値観に賛同できません。このまま婚姻しても、不和は避けられませんわ」
王妃は黙って聞いている。
「そして」
フランシスカは一呼吸置いた。
「近頃、殿下は一人の令嬢へ入れ込んでおります」
「ええ……知っています」
「ですが問題は恋愛ではありません」
王妃の瞳が細くなる。
「王太子殿下は公私の区別を失いつつあります。授業を抜け、政務を後回しにし、婚約者がいるにもかかわらず、他の令嬢へ過度に肩入れする。貴族社会では、それだけで王家の威信を損ねます」
部屋が静まり返る。
「私は婚約を続けたいのではありません。円満に解消したいのです。誰も傷付けず、王家の名誉を守ったまま……その方が、この国のためになります」
王妃は紅茶を置いた。
「……面白いことを言うわね。保身ではないの?」
「違います」
「では復讐?」
「いいえ」
「恨みは?」
フランシスカは静かに首を振る。
「ございません」
嘘ではない。
復讐よりも優先順位が高いものがある。
生き残ること、そして家族を守ること。
「私は、公爵家の娘です。王家へ忠誠を誓う貴族として、最善を申し上げております」
王妃はしばらく黙っていた。
やがて、不意に口元を緩める。
「……影」
その一言で、部屋の隅の空気が揺れた。
黒装束の男が音もなく膝をつく。
フランシスカは表情一つ変えない。
(やっぱり、いた)
「報告を」
王妃が命じる。
「公爵令嬢フランシスカ・カルメネール
ここ1年、問題行動は一切ございません。
使用人への暴言暴力なし。領民からの苦情なし。
慈善事業への寄付多数。学園成績、首席。
礼法、品位ともに模範的」
影は続ける。
「平民、シャーリー・ローズ。
授業の無断欠席14回。
男子生徒との私的接触多数。
王太子殿下の政務を妨害した記録3件。
貴族令嬢との口論12件。以上です」
部屋が静まり返る。
王妃はゆっくり息を吐いた。
「……やはり」
その一言には、諦めにも似た響きがあった。
「知っていたのですね」
フランシスカが静かに問う。
王妃は苦く笑う。
「ええ、でもね……母として息子が一時の感情に身を任せてるのだと、いつか目を覚ましてくれるだろうと、信じたかったの」
その横顔は、一人の母親だった。
フランシスカは胸が少し痛んだ。
ゲームでは描かれなかった王妃の苦悩。
だが現実には、確かに存在していたのだ。
王妃は立ち上がり、窓の外に広がる王都を見つめながら、小さく呟いた。
「……潮時ね」
その言葉に、フランシスカは顔を上げる。
王妃は振り返り、まっすぐ彼女を見た。
「フランシスカ嬢」
「はい」
「この件、私から陛下へお話ししましょう。婚約の見直しも含めて」
「ありがとうございます」
フランシスカが深く頭を下げる。
しかし王妃はまだ続けた。
「ただし、一つ条件があります」
「条件……ですか?」
王妃は静かに微笑んだ。
「あなたがここまで動く理由。それだけは、まだ聞いていません」
その問いに、フランシスカは一瞬だけ言葉を失った。
彼女は目を閉じ、ゆっくりと息を吐く。
「……悪い夢を見たのです」
静かに、そう答えた。
「私も、公爵家も、この国も……すべてを失う夢を。だから、その夢を現実にしたくないのです」
王妃はしばらく彼女を見つめていた、やがて小さく微笑む。
「そう。なら、その悪夢は終わらせましょう」
その瞬間、フランシスカは確信した。
──第一関門、突破。
同じ頃、学園では。
王太子レナードが、不機嫌そうに眉をひそめていた。
「……フランシスカは?」
「本日は欠席でございます」
「何?」
「王城へ向かわれたと」
レナードは鼻で笑う。
「今さら泣きつきに行ったか」
その言葉に、シャーリーもくすりと笑う。
「きっと婚約を続けてほしいんですよ」
その王城で自分たちの未来が、大きく書き換えられ始めていることを、2人は知る由もなかった。
◇
「……失礼いたします」
王妃ヘレナが執務室へ入ると、国王アウグストは山積みになった書類から顔を上げた。
「珍しいな。こんな時間に君が来るとは」
「少し、お話があります」
その声音だけで、国王は察した。
軽い話ではない。
側近と文官へ視線を向ける。
「席を外してくれ」
「はっ」
扉が閉まり、広い執務室には二人だけが残った。
「それで?」
王妃は一通の封書を机へ置く。
「今日、フランシスカ・カルメネールが私を訪ねてきました」
国王は驚かなかった。
「ほう」
「婚約の見直しを申し出ました」
その一言で、国王の手が止まる。
「……そうか」
「驚かれませんのね」
「いや」
国王は苦笑した。
「やはり来たか、と思っただけだ」
王妃は静かに息を吐く。
「あなたも気付いていたのです。」
「もちろんだ」
国王は机の引き出しから、一冊の革張りの冊子を取り出した。
表紙には何も書かれていない。
王妃は見覚えがあった。
「影の報告書……」
「毎週届いておる」
国王はそのページをめくる。
『王太子殿下、午前の政務を欠席』
『平民の令嬢シャーリー・ローズと庭園を散策』
『午後の会議、15分遅刻』
『婚約者フランシスカ嬢への配慮なし』
さらにページをめくる。
『建国記念祝賀祭の夜会にて、フランシスカ嬢を断罪し、新たにシャーリー嬢を婚約者に立てる計画を遂行中』
「そんな…では彼女はそれに勘づいて……」
「おそらくな」
王妃は何も言えなかった。
国王は静かに本を閉じる。
「私は王だ、そして父でもある。だから……」
少しだけ寂しそうに笑う。
「父として、信じたかった。いつかレナードは目を覚ますと。恋に浮かれているだけだと」
「ええ、私もです」
夫婦の間に重い沈黙が流れる。
その静寂を破ったのは国王だった。
「しかし、もう限界だ」
その声音には王としての威厳が宿っていた。
「婚約は王家と公爵家の契約。子どものままごとでも、感情で壊してよいものでもない」
王妃は頷く。
「フランシスカ嬢も同じことを申しておりました」
「ほう?」
「彼女は一度もレナードを責めず、王家の威信だけを案じていました」
国王は目を細める。
「……噂とは違う娘だ」
「噂を流した者がいるのでしょう」
「そうだろうな」
国王は窓の外を見る。王都は今日も穏やかだった。
「影」
その一言。
天井近くの梁から、一人の男が音もなく降り立つ。
「報告を」
「はっ……本日、フランシスカ嬢、公爵家執事アルフレッドの借財を肩代わり。家族の生活を保障し、公爵家への忠誠を再確認させました」
「他には?」
「午前中に王都商会ギルド会頭との面会申請。王妃との謁見後に、教会孤児院への寄付。司法卿との面会申請。以上」
国王が眉を上げる。
「忙しい娘だな」
「断罪を恐れて右往左往している様子は?」
「ございません、むしろ」
影は一瞬だけ言葉を選ぶ。
「……戦の準備をしているように見えます」
その表現に、国王は思わず笑った。
「ははっ!なるほどな面白い娘だ」
王妃はそんな夫を見つめる。
「笑い事ではありません」
「ああ、違う」
国王は首を振った。
「私は嬉しいのだ」
「え?」
「公爵家はまだ、この国を見捨てていない」
その言葉に、王妃は息を呑む。
確かにそうだった。
フランシスカほどの立場なら、黙って国外へ嫁ぐことも、家ごと他国へ亡命することも可能だった。
それなのに、彼女は王家を守ろうとしている。
「だから、応えねばならぬ」
国王は立ち上がった。
王として。
机の上へ羊皮紙を広げ、さらさらとペンを走らせた。
『王太子レナードと公爵令嬢フランシスカとの婚約について、再検討を命ずる。両家当主は2日後、王城へ出頭せよ』
王印が押される。
それだけで国の命令となった。
「これで終わりではありません」
王妃が静かに言う。
「ああ」
国王も頷いた。
「レナード自身を調べ直す。王太子として相応しいかも含めて」
その時だった、影が再び口を開く。
「陛下、もう一件」
「申せ」
「隣国より、王弟殿下が帰国されます」
国王の目が見開かれる。
「……ヴァルデマールが?」
「はい、3日後王都へ到着予定」
王妃が驚いたように夫を見る。
「予定より一年も早いではありませんか」
「ああ。」
国王は腕を組み、静かに笑う。
「まったく。面白い時期に帰ってくる」
まだ誰も知らない。
この帰国が、王国の未来だけではなく。
一人の公爵令嬢の運命を、大きく変えることになるとは。
国王も王妃も一人の親として自分の息子を信じたかったけど、もう手遅れ。
影さんはとっても優秀な方です。
本作品はカクヨム、アルファポリスにて同時投稿をしております。
気が向いたらいいね、ブクマ、よろしくお願いいたします。




