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2.ある日森の中

 熊さんだー。かわいいー。


 という気持ちにはならなかった。実際、もふもふとした毛皮や、賢そうなふるまいはかわいらしく見えるものだが。

 実際に会ったことはないけれど、野生の熊は人に対して危険な存在で、とても力で敵うようなものではないということは知っている。


 今ここにいる熊は、人の身長を軽々と超えるほどの大きさだった。目算、五メートルはありそう。

 実際の熊の大きさは詳しくないが、こんなに大きくなるものだろうか。黒々とした毛皮は硬そうで、鋭く長い爪の生えた腕は、周囲の木々の幹と比べても太い。爛々と光る眼と、剥きだされた牙は如何にも好戦的な表情に見える。


 生前? の感覚からすると恐怖を覚えてもよさそうだが、何故か恐れるような気持ちはなく、その姿を眺めていた。現実味のない状況に、感覚が麻痺しているのだろうか。


 ぼんやりと見ていられるのにも理由がある。その熊の前には数人の男女が立っていた。ちょうど、熊と俺の間。

 剣や斧、弓や杖を持った姿は、いかにもファンタジー世界に出てきそうな冒険者パーティーというやつだ。

 正直、すこしわくわくとした気持ちがある。自分自身がヴァンパイア・ロードなんて大層な存在らしいのもそうだけれど、剣と魔法のファンタジー世界。心躍らない理由があるだろうか?


「いや、ない」


 一人で反語を完結させていると、冒険者パーティーの方に動きがあった。

 杖を持った影が一度光ったかと思うと、炎がその場に湧きあがり、熊に対して襲い掛かったのだ。魔法!

 人生で初めて見た魔法だったが、遠く離れたここまで熱が届きそうなほど派手なものだった。

 これを生身で喰らえばどうにもならない。そう思わせるだけの衝撃があったが、その後に轟いた獣の咆哮ほどではなかった。

 びりびりと身体が震えるような大音声。

 先ほどの炎では熊を仕留めることはできなかったらしい。

 細々と矢が浴びせかけられているが、さきほどの魔法でどうにもならなかった相手に効いているようにも思えない。


 さて、どうしたものだろうか。


 元人間のよしみとしては、もちろん冒険者側を応援したいところだが、自分自身がヴァンパイアだというのなら少し話が変わってくる。

 人間に対して敵対する種族で、討伐対象だ! などと言われたらファーストコンタクトからいきなり大変な目に会いそうだ。

 かといって、どう見てもあの熊さんに話は通じないだろう。

 さきほど廃城の中で見たスケルトンやらレイスやら動く鎧たちはどうにもフレンドリーな雰囲気を出していたが、熊からはその気配を感じない。

 もしかしたら廃城の民は生きてないサークルの仲間だったからということだろうか。


 自分には関係のないことだ、と先を進んでも良いのだけれど、と考えていると、ついに熊の側がしかける。


 巨体を活かした横殴りの拳。重そうな体に反して、一歩の踏み込みが鋭く、矢と魔法の間合いが一気に詰められた。辛くも避けた前衛の一人だったが、その攻撃のあおりを受けてよろける。

 もう一人、剣を持った方が熊に切りかかるが、有効打になっていないのは傍から見ても分かる。

 冒険者の方は剣の切っ先を熊に向けたまま大きく退いた。再びにらみ合いが始まる。 

 その後もぶつかっては引いて、魔法を撃って、を繰り返しているがどうやら冒険者の側が不利な状況だった。


 出来の悪いターン性バトルのような駆け引きは少し意外で、熊の方も相手の出方を探っているような様子を見せている。獣といえば真っすぐに向かってくる、それこそ猪突猛進というイメージだったが、改めた方が良いか。 

 そうこうしているうちに下がってきた冒険者たちの一人、弓使いと目が合う。気付かれた。

 こうなれば腹を決めるしかないだろう。話が通じるとすれば人の方。すまない熊よ。

 えーっと、こういう時は何ていえば良いのか。ごきげんよう? お機嫌麗しゅう? ああ、そうだ。


「……義によって助太刀いたす」


 そう言った瞬間に空気が固まったのがわかった。明らかに滑った瞬間のいたたまれない感覚。

 頼む、何か言ってくれ。


「ギ……?」


 そうだよね。義ってなんだろうね。なんか武士の心構え的なサムシングなんだけど俺も検索エンジンを使わないと細かいこと分からないかな!

 頭の中で白が説明を始めようとする想像を振り払いつつ、何言ってんだこいつ、って顔をする冒険者たちの前に立つ。


「あんた何者だ!? そいつはヤバい相手だぞ!」


 何度かの衝突でいつの間にか怪我をしていたのか、片手を押さえた戦士が問いかけてくる。


「あんたの手には……」

「ウィル!」


 鋭い声でその言葉を断ち切ったのは、後ろに立つ魔法使いの女性。フードを深くかぶっているので女性というのは確かではないけれど。


 常日頃、戦いに身を置いているであろう彼らが敵わないような相手。見た事も無いような猛獣。

 しかし不思議と、恐れるようなものではないという確信がある。


 目の前に立った邪魔者に対して、巨大な熊が仕掛けてくる。


 まずは、間合いを図るような左のジャブ。

 空間が歪むような錯覚を覚えるほどの巨大な質量が迫る。これを避けて左へ一歩踏み込む。

 腕の長さだけで言えば、熊の方が圧倒的に有利だ。


 そしてこれが本命だろう。左のジャブから溜められた力を込めた右ストレート。

 これを右肩を入れて掻い潜る。熊の脇腹ががら空きだ。


 動きが全て大振り。その一つ一つがはっきりと見えた。時間で言えば、おそらく刹那。


 剣の柄を握る。刃を返し、胸に引き付けるような抜きつけ。


 イメージするのは幕末に多くの命を屠ってきたという薩摩の太刀。

 脚を地面に踏ん張り、逆袈裟に切り上げた刀を、二の太刀をかけるため蜻蛉に構えたところで、その必要はないと知った。


 振りぬけた事がおかしいのだ。


 確かに手応えはあった。あまりにも軽く、まるで豆腐でも切ったのか。というような具合だったけれど。

 刀のうちの切っ先三寸、つまり適正距離などではない。物打ち、つまり中央で捉えた剣。

 それが振りぬけたということは……。


 ずる、と熊の体が滑った。ちょうど体を斜めに横断する切れ目に沿って。


――自分の体が、相手の動きが、まさにイメージした通りに動くというのは、面白いものだ。

 きっとスポーツや武道の達人ならば、こんな境地に至るのだろう。

 そんな一種の爽快感。その結果がこれだ――。


 そんな自罰じみた独白は、まだ自分が、文明的な人間であるというということを確かめたい気持ちでもあるのか。

 実際にはぐしゃり、と元の形を失った肉塊が崩れ落ちるのを見たところで、そこには暗い感慨などなかった。

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