24.勝手に
「そういえば、行商人さんが来てましたよ」
朝食を終えて、さて今日は何をしようかと考えていたところだった。
何をしようか、と言っても、別に仕事があるわけではない。
領主らしい仕事なら探せばいくらでもあるのかもしれないけれど、幸いなことに、いまのところ村から何かを頼まれているわけでもない。
平和である。
とても良いことだ。
「行商人?」
「はい。ときどき村に来るんです」
村から戻ってきたハイジが、買ってきたらしい小さな包みを机の上に置く。
「塩とか、針とか。村では作れないものを持ってきてくれるんですよ」
「へえ」
そういえば、考えたことがなかった。
村には畑があって、家畜がいて、森から薪を取ってくる。パンを焼くための麦もあれば、チーズを作るための乳もある。
けれど、当然ながら、あの村だけですべてが完結しているわけではない。
塩だって採れないだろうし、鉄を作っているところも見たことがない。
「珍しいものもありますよ」
「珍しいもの?」
「食べ物とか」
「行こう」
「え?」
「村に」
領地の視察である。食べ物につられたわけではない。
たぶん。
村の広場には、一台の荷馬車が停まっていた。
露店というほど立派なものではない。荷台に積まれていた箱や袋を地面に下ろして、その周りに村人が集まっている。
布、糸、針。小さな金物。
塩らしい白い粒の入った袋に、干した果物。いくつかの香辛料らしいものもある。
雑貨屋。というよりは、移動するホームセンターだろうか。
いや、ホームセンターに干し果物は売っていたかな。
「ハイジちゃん、さっき頼まれたのは……」
荷物を整理していた男がこちらを見た。日に焼けた、中年くらいの男だ。
旅慣れているのか、服も靴も使い込まれている。けれど、村の人たちと比べれば少しだけ身なりがいい。
「そちらは?」
「あ、領主さまです」
「…………」
男が固まった。
「どうも」
「りょ、領主さま?」
「はい」
なぜハイジが答える。
男の視線が俺の頭から足元まで動いた。それから、もう一度顔に戻ってくる。
「ヴァンパイア・ロードの……?」
「たぶんそれだ」
「たぶん?」
仕方がない。自分でもまだあまり馴染みがないのだ。
ヴァンパイア・ロードという肩書きにも、領主という肩書きにも。
「今日は何か?」
「珍しい食べ物があるって聞いて」
「食べ物、ですか」
少しだけ男の肩から力が抜けた。何を想像していたのだろう。
ヴァンパイアから食べ物と聞いて、変な方向に想像していないよね?
「こちらは南の方で採れる香辛料でして。肉料理なんかに使います。それと、これは乾燥させた果物ですね。あとは……」
商売人というものは頼もしい。客だと分かれば、相手が人外でも商品の説明をしてくれるらしい。
いくつか見せてもらう。知っているようなものもあれば、まったく知らないものもあった。白に聞けばすぐに分かるだろうけれど。
赤黒い木の実を乾燥させたものは、噛むと舌が痺れるように辛い。胡椒だろうか?
気に入ったので買うことにした。
「領主さま、料理するんですか?」
「俺はしないよ」
「……では、なぜそんなに真剣に?」
「食べるから」
「なるほど」
何かおかしいだろうか。ハイジが笑っている。
しばらく荷物を眺めていると、商人の視線が俺の腰元で止まった。
「領主さまは、東の品をお使いになるので?」
「東?」
「ええ。その剣です」
言われて、腰に提げた刀を見る。
刀。
この世界で目を覚ましたときから持っていた、やたらと手に馴染む武器である。
コテツ、と名前を付けたそれは、何か用か? という具合にぎょろりとした目を開いてこちらを見た。
用はないから大人しくしていなさい。ほら、行商人が若干引いてる。
「これ?」
「……はい。まったく同じものではありませんが、似たような曲刀を持った商人を見たことがあります」
「へえ」
思わず刀の柄に手を置く。
「東国の商人だったと思います。もっと細身で、こんな……」
男が手で反りを描いてみせた。
反りのある剣は何も刀に限ったものではないだろうけれど、そこが分からない商人でもないだろう。
「この目も?」
「いえ」
「だよね」
そこまで同じだったら、むしろ困る。
「東国っていうのがあるんだ」
「ええ。ずっと東ですよ。私も行ったことはありません。大きな街まで行けば、向こうの品を扱っている商人もいますけどね」
東。細身の曲刀。
なんだか、急に聞き覚えのある響きになってきた。
「食べ物は?」
「はい?」
「東国の食べ物」
「そりゃあ、いろいろあるでしょうけど」
「白くて、小さい粒の穀物とか」
商人が首を傾げるので、手で大きさを示してみる。
「水で煮るというか、炊いて食べるやつ」
「ああ」
反応があった。
「ありますか?」
「ありますね」
あった。
「米?」
「コメ?」
名前までは違った。まあ、それはそうだろう。認識の問題なのか、林檎とか牛とかは大体意味で伝わるけれど、全部が全部そうではないらしい。
思えば、使っている言語は違うはずなのに、自分の中では日本語として認識している。
相手が知らない概念なんかだと、通じないことがあるのだけれど、何かこの辺りもこの世界のルールがあるのかもしれない。
「この辺りじゃあまり食べませんけどね。東の方では麦の代わりに食べるところもあるそうですよ。私も街で一度見たくらいですが」
「売ってない?」
「今日は持ってきてませんねえ」
「そっか」
残念。
けれど、ある。
米が、この世界にある。それだけでかなり大きな発見だった。
「じゃあ、醤油は?」
「ショウユ?」
「黒っぽくて、しょっぱい調味料。豆から作る」
「豆から?」
「発酵させて」
「腐らせるんですか?」
「腐らせるわけじゃ……」
発酵と腐敗の違いを説明しろと言われると、急に自信がなくなる。
「とにかく、そういうの」
「さあ……」
商人が困ったように顎を掻く。
「東の方じゃ、豆を使った調味料はいくつかあるとは聞きますけどね」
「あるの?」
「いや、ショウユというものかは知りませんよ」
危ない。期待しすぎた。
「次に街へ行ったとき、見ておきましょうか?」
「いいのか?」
「ええ。どういうものか、もう少し詳しく教えていただければ」
「黒くて、しょっぱくて、豆から作る」
「……それだけで?」
「それ以上は分からない」
「…………」
急に醤油を説明しろ。と言われると、自分の知識の曖昧さを突きつけられるようだ。
ヘルプ、白、助けて。
「まあ、聞いてみますよ」
「お願いします」
こうして、俺は異世界で初めて行商人に醤油を発注した。いや、発注と言えるのかは怪しいか。
物を買うだけの金については、以前の魔物を狩った時に貰った銀貨で十分だということ。
これからも何か欲しくなったときのために、お金を稼ぐ手段でも考えておこうか。
ハイジ曰く、別に村が立て替えても――と、いうことだったけれど。自分で払える分は自分でもっておきたい。
いや、もしかしたら頼ることもあるかもしれないけれどね。
東の国というのは、商人の口ぶりからするとはるか遠い場所のようだし。相応に対価は必要だろう。
※※※
城に戻ってから、買ってきた香辛料をハイジに渡すと、夕食にはさっそく、それを使った肉料理が出てきた。
いつもレイスのみんなが家事をしてくれるのだけれど、いつのまにやらそれに混ざってハイジも手伝うようになっていた。
最近では、レイスたちの声のないコミュニケーションにも慣れてきたようだ。
「おお」
ハイジの作った肉料理。思っていたより香りが強い。少し辛いけれど、悪くない。
「どうです?」
「美味しい」
「よかったです」
ハイジが安心したように笑う。
向かいでは、白も小さく切った肉を口に運んでいた。
「白は?」
「少し辛い。でも、嫌いじゃないよ」
「白っち、それくらいで辛いの~?」
「クロエは入れすぎだと思う」
「え~?」
見ると、クロエの皿には赤黒い粒が大量に追加されている。吸血鬼は辛味に強いのだろうか。
吸血鬼と言えばニンニクが苦手――なんて言うように、香辛料に弱い。ということはないのだろうか。
俺も吸血鬼だけど。たぶん、クロエ個人の問題だと思う。
「そういえば白」
「なに?」
「東国って知ってる?」
「東国?」
本を読んでいたときと同じように、白が少し考える。
「東方の国々のことなら、本で読んだことがあるよ」
「米ってある?」
「あると思う」
やっぱり。
「醤油は?」
「醤油なら知っているよ」
「あるの?」
「この世界に?」
「うん」
「それは知らない」
「…………」
知っているのに知らなかった。
「醤油は、大豆と小麦を――」
「作り方じゃなくて」
「そう?」
白が首を傾げる。
知識というのは、いつも欲しい形で手に入るわけではないらしい。
「領主さま、そんなにそのコメっていうのが食べたいんですか?」
ハイジに聞かれて、少し考える。
「食べたい、というか」
パンが嫌いなわけではない。この世界の食事だって思っていたよりも美味しい。
チーズも、肉も、野菜も。別に困ってはいなかった。
「あるって分かったら、食べたくなった」
「そんなものですか」
「そんなもの」
「おいしければなんでもよくな~い?」
「そういう問題じゃないんだよ」
「ふ~ん」
「パンじゃ駄目なんですか?」
「ハイジまで」
米がなければ、パンでも食べればいいじゃない。
白が小さく笑った。
次にあの行商人が来るのは、しばらく先らしい。
米。
醤油。
……気長に待つことにしよう。




