22.咲いたよ
あれから数日。中庭に咲いた一輪の花は、いまもそのまま咲いている。
誰かが世話をしている。ということもないのだけれど、スケルトンやレイスたちは時折様子を見に来ているらしい。
城の住人たちにとって、やはり何か特別なものなのだろうか。
「……花、か」
何気なく眺めていて、ふと思い出した。そういえば、うちには植物をどうにかできる人材がいた。
※※※
「これは食べられます」
「これは?」
「薬になります」
「これは?」
「抜きます」
城の外。少しばかり森の方へ歩きながら、ハイジにそこらに生えている草について聞いてみた。
俺にはどれもただの草にしか見えない。いや、実際に草なのだけれど。
ハイジに言わせれば、食べられる草、薬になる草、家畜が食べる草、毒のある草、畑に生えていたら抜く草、と様々な分類があるらしい。
最後のは雑草だ。雑草などという草はない。と言われそうだけれど。
「村にいれば、これくらいは普通ですよ?」
「そんなもの?」
「そんなものです」
そう言って、ハイジはしゃがみ込む。頭巾の横から垂れた栗色のおさげが、地面に付きそうになった。
「これは若いうちなら食べられます。育ってしまうと硬くて美味しくないですけど」
「へぇ」
「茹でて、塩があればそれだけでも。あとはスープに入れたり」
「そうなのか」
俺が感心しているのが不思議なのか、ハイジがこちらを見る。
「領主さま、本当に何も知らないんですね」
「この世界では赤子も同然だからね」
「赤子は一人で森に入ったりしません」
「ごもっとも」
白は俺が知らないことでも、大抵のことは知っている。
クロエもクロエで、魔法や魔族のことなら随分と詳しい。
けれど。
「これは?」
「それは触らない方がいいですよ」
「毒?」
「いえ。手が痒くなります」
伸ばしかけた手を引っ込める。こういうことを白に聞いたことはなかった。
どの草を茹でれば食べられるとか、どれを家畜に食べさせるとか。
そういうことを白に聞こうと思ったことがなかった。生活、というものとの繋がりが薄いからだろうか。
実際にこの世界で生きているハイジは、俺たちとは違う目線で世界をみているのだという実感があった。
「ハイジって、こういうの詳しいんだな」
「だから、普通ですって」
「俺は知らないから。もっと教えてほしい」
「え?」
ハイジは少し目を丸くした。
考えてみれば、似たようなことをつい先日も言ったような気がする。
いまさらかもしれないけれど、これからは君のことをもっと教えてほしい。
そう言ったのは俺だ。それなら、ちゃんと聞いてみよう。
「……はい」
少し間を置いて。ハイジは、嬉しそうに笑った。
※※※
「それで、こっちは?」
「麦です」
「それは分かる」
城から少し離れた場所には、小さな畑がある。
村の畑とは比べるべくもない。城で使う野菜や香草なんかを育てている花壇程度のものだ。
その端に、まだ青い麦が生えていた。
「そういえば、ハイジの力ってどこまでできるんだ?」
「私にも、まだよく分かりません」
ハイジが自分の手を見る。
名付け。
俺がハイジという名前を付けたことで、彼女は草に触れれば花が咲き、麦に触れれば実る。そんな力を得ていた。
「試してもらってもいいかな?」
「……はい」
ハイジが青い麦の穂に手を触れる。何か呪文を唱える訳でもない。光り輝くような派手な演出もない。
ただ、彼女の指が触れたところから、青かった穂がゆっくりと色を変えていく。
緑から、黄金へ。
実った麦は重そうに頭を垂れた。
「これ、やっぱりすごい力だよね」
「……そうですね」
ハイジは実った穂を手に取り、指先で確かめている。
「こんなに簡単に麦が育つなら、村のみんなが知ったら驚くだろうな」
「領主さま」
「ん?」
「村では、言わないでくださいね」
思ったよりも強い口調だった。
「この力のこと?」
「はい」
ハイジは自分の手を見る。
「こんなの、普通じゃないですから。領主さまに名前を付けてもらってから、急にこんなことができるようになって……」
「ああ」
「村の人に見られたら、何を言われるか分かりません」
魔法のある世界だ。
クロエなんて空を飛ぶし、白だって俺の知らない魔法をいくつも使えるようになった。
けれど、それが人間にとっても当たり前である。という話ではないのだろう。
まして、昨日まで普通の村娘だったハイジが、触れただけで麦を実らせるようになった。
「……魔女、とか?」
「そういうことです」
少し困ったように、ハイジは笑った。
この力があれば、食べ物を増やすことができる。
畑で育ち、村で暮らしてきたハイジなら、その価値は俺なんかよりもよく分かっているはずだ。だからこそ、怖いのだろう。
「じゃあ、ここで使うのも嫌だった?」
「え?」
「いや。無理にやらせたなら悪かったなって」
「それは……」
ハイジが周囲を見る。
畑の向こうでは、スケルトンのゲンさんが何やら荷物を運んでいる。
そのさらに向こう。城壁を気にすることもなく、レイスが一人、ふわりと通り抜けていった。
「……ここは、いまさらですから」
「そう?」
「そうです」
ハイジは少しだけおかしそうに笑った。
「領主さまだって吸血鬼じゃないですか」
確かに。
草に触れて花を咲かせるくらいで、今さら驚くような城ではなかった。
※※※
城へ戻る途中。中庭を通れば、あの白い花が目に入った。
数日前と変わらず、一輪だけ。
ハイジも俺の視線を追って、花に気付いたようだった。
「この花、残したんですね」
「白が、そのままの方が綺麗だって」
「白さんらしいですね」
「そう?」
「なんとなく」
ハイジは花の近くにしゃがみ込んだ。触れないように、少し離れたところから眺めている。
さっきの話を思い出す。
村では見せたくない力。
けれど、この城では使っても構わないらしい。
いつの間にかハイジにとっても、この城は少しは気を抜ける場所になっていたのだろうか。
そうであれば、悪いことではないと思う。
「そういえば」
「はい?」
「ハイジなら、ここを花でいっぱいにしたりもできるのかな」
中庭を見渡す。
以前は荒れ放題だった場所。
今では随分と片付いて、土の見えている場所も多い。
「花畑、とか」
「……できると思いますよ」
ハイジが自分の手を見る。
今度は、その表情に怯えた様子はなかった。
「どんな花にします?」
「あ」
考えていなかった。そもそも、この世界にどんな花があるのかも知らない。
「……白に聞いてみるか」
そんなことを言えば、ハイジはくすりと笑った。
結局、白頼みだった。




