19.テルマエ
お湯がたっぷり使えるというのは素晴らしい。
この世界に来て、寝食のあと真っ先に整備したのが、浴場だった。
といっても、大きいバスタブがひとつ、でんと鎮座しているだけだけれども。
城には初めから浴室の設備があった。最初の探索で見つけたときにほっとしたものだ。
中世ファンタジー風呂問題。なんて真面目な顔をして言われるものだけれど、毎日の入浴、なんてものは、日本ですら最近に浸透したものに過ぎない。
湯を沸かすという作業はなかなか手間がかかるし、時間も、燃料になる薪の消費も馬鹿にならないものだけれど、そこはレイスのミタさんとスケルトンのゲンさんに感謝だ。
「あー、生き返る~」
と、熱い風呂に入った時の約束の言葉が出る訳だけれど、吸血鬼が言うと冗談にならない。
生き返るも何も初めから命がある訳ではない。
アンデッドのお約束と言えば回復魔法がダメージになるとか、蘇生で即死とかあるけれども。
クロエは普通に治癒魔法を使っていたし、心臓が動いている訳でもない、新陳代謝が謎のこの体。一体どうなっているのだか。
湯から手を出して眺めてみる。血が通っている訳ではない。
だけれど、人間の頃と同じような欲求はそんざいしているし、食事もすれば睡眠もとる。
別に食事や睡眠が必要な訳ではない。とは吸血鬼の先輩、クロエの言葉だけれど。
人間だったころの記憶や、習慣をそのまま続けているだけ。人間の模倣なのではないか。
「そういえば、クロエにも人間だった頃ってあるの?」
と、聞いてみれば、乙女の秘密。と流されてしまった。
吸血鬼というのは、他の魔族と同様に魔力溜まりの中から生まれることもあれば、人間から吸血鬼になる者もいるらしい。
ヴァンパイア・ロードだという俺も、やろうと思えば吸血鬼を増やせるとかなんとか。
血を吸って眷属を増やす。というのは元の世界で読んだ本でも吸血鬼のお約束だったけれども。
そういえばまだ、人の血を吸ったことはない。
自分の犬歯を触ってみれば、人の頃よりは確かに長いな。という印象。
魔力の吸収。という意味では効率が良い。とはクロエの談。あとはほとんど快楽目的。
人の血は吸っていませんが、吸血鬼の血は吸いました。おいしかったです。はい。
血の味、というのは血の味なのだけれど、なんというか、明らかに体が喜んでいるというか、本能的な悦楽を感じるというか。不思議と甘いようなそんな感じ。
時々、白の姿を見て血を吸ってみたい。という欲求を覚えてしまうのはきっと本能的なものなのだろう。
さらさらと流れる髪の隙間から見える、細く白い首。薄い肩、浮き出た鎖骨。華奢な彼女の肢体を思い浮かべそうになってお湯をすくって顔を洗った。いけない。
風呂は命の洗濯だ。なんて言うけれど、静かな場所で一人となると、余計なことを考えてしまうものだ。
過去の失敗とか……と、思ったけれど、考えてみれば思い出すような記憶がない。
この世界以前の記憶は、自分自身で忘却魔法を使って消してしまった。というは白から聞いたことだ。
ということは、過去の自分は魔法が使えたのか?
この前の失敗以来、しばらくクロエにみっちりと魔法の使い方を叩き込まれ、なんとか魔力の制御ができるようになってきたけれど、魔法が使えたのならそこの記憶は残しておいてほしかった。
過去の自分はいったい何を考えて記憶を消したものかと思うが、うっかりしたところは自分らしいとも思えた。
この前の魔法の暴発は、ただ自分の魔力を使っただけではなく、魔石を使ったことも関係していたらしい。
誰でもそんな威力になる訳ではないけれど、どうやら俺の魔力量というのはクロエから見ても規格外だそうで、それを魔石に込めたら魔力が臨界に達して大爆発。みたいな話。
空間丸ごと爆破する魔法。などというのは使い勝手が非常に悪い。城の中で使おうものなら自分もまとめて城が消滅するだろう。
魔石のような媒介を使って魔法を使うのは、本当は人間たちのように魔力の少ない種族向けの手法で、だからクロエは子供向けのやり方だと言っていたらしい。
ちなみに魔石は本来、使い捨てで使うようなものではないらしいです。はい。
「あれはもう対軍魔法だよ」
とはクロエの談。
勇者がいる世界だとは聞いていたけれど、人間の軍隊なんていたらまとめて吹っ飛ぶわけだ。
もちろん、対抗策もあるから、人間対魔族、なんて時も拠点ごと吹き飛ばし合うようなことにはそうそうならないらしい。
この城は守りの薄い城だとは思っていたけれど、その手の防衛手段はちゃんとあるらしい。知らんけど。密集しているのが不利になるのなら、城の守りの考え方も変わるのだろうか。
この世界の戦争はどうなっているのだろうか。いつか避けきれない話となる前に、調べておく必要はあるだろう。望むと望まざると、勇者という人種はやってくるだろうから。
いつもながら随分と長風呂をしてしまった。湯も冷めてきたころだし、そろそろ風呂を出よう。
当然、風呂に保温機能なんてないから、お湯は冷めていく一方だ。
実は魔法講座のおかげでいかようにもできるということは分かったのだけれど。
と、立ち上がろうとしたところで、扉の向こうに気配を感じた。
俺が風呂に入っている。というのはみんな知っていることだから、間違えて入るということはない。そういうことをするのはクロエだけだ。何度か一緒に風呂に入ったこともあるけれども。
ドアノブが回り、扉がゆっくりと開いていく気配。振り返ってみれば、扉の向こうには素足。
「もうお風呂出るから、ちょっと待ってて。クロ……ハイジ!?」
思いもしない人物がいた。




