18.ガラスの
ハイジです。
いつの間にか、そんな名前で呼ばれるようになっていました。ハイジです。
朝、目が覚めると、見慣れない天井が私を迎えます。
びっくりすほどふわふわの寝台。いまだに慣れません。村で使っていたわら詰めの硬い寝床とは比べることもできません。
村長の家系に生まれた私は、不自由なく暮らしていたと思います。
村の人たちは良い人ばかりで、ちょっとした問題があったとしても、小さな村ではすぐにみんなの知ることになって、助け合いながら乗り越えてきました。
力を合わせればなんとかなる。時には冒険者さんや商人さん、外の力を借りることはあっても、村のみんなで考えれば、どんなことも乗り越えられる。そうやって育って来たのです。
それを変えたのは、今、私のいるこの城。そこに現れた新しい領主さま。
とても私たちにどうにかできるようなものではありません。
村の近くに現れた大きな魔物。狩人さんたちが遠巻きに追い払おうと手を尽くしましたが、お一人は酷いけがを負ってなんとか帰ってきたとき、怪我をしたのは私でもないのに血の気が引いていくのを感じたのを覚えています。
小さな村です。みんな家族みたいなもの。紐の結び方や、山の歩き方、危険な野草や、獣たちの足跡の追いかけ方。そんなことを教えてくれた狩人のお兄さん。かわいい野兎の一件は思い出すといまでも複雑な気分になりますけれども。ええ。美味しかったです。
お兄さんは手を尽くしたのですが、残念ながら、帰らぬ人になってしまいました。
頼りになる村の狩人さんたちは、いつも魔物から村を守ってくれました。
そんな彼らのあんなにも焦った姿。というのは初めて見ました。
村の力ではどうしようもない。と、すぐに冒険者さんたちが呼ばれ、彼らの到着までは村中が不安に押しつぶされるような日々が続いたものです。
狩人さん達にもどうにもできないような魔物、それがいま村に入ってきたらどうすればいいのか。どうにもできません。なんとか逃げることはできたとして、村から出てしまえば私たちは生きていく術も知りません。
なんとか近隣の村や街まで出るしかないのか、と、私の家、村の寄り合いではそんな話ばかり出ていたように思います。
幸い、冒険者さんたちは日を置かず村にやってきてくれました。
冒険者の人たちはときどき村に訪れることもありましたが、このときほど頼もしく見えたことはありません。
魔物退治の専門家。立派な武器や防具、ミステリアスなローブ。日常で見ることはないような、戦うための姿。
こどもたちのあこがれの姿。絵本の騎士様とは違いますが、さすらいの武芸者たち。
恥ずかしながら、小さい頃は私も、村のみんなと冒険者さんごっこなどしたものです。
村長の孫娘という立場の私は、おじいちゃん……村長と冒険者さんたちの話を横から聞く機会がありました。それも勉強。ということです。
冒険者さんたちと村長の話。それは芳しいものではありませんでした。
テンペストベア、と名前の分かった魔物ではありましたが、冒険者さんたちでも容易い相手ではないとのこと。
「正直なところを言うと、俺たちよりもランクの高いパーティを呼んだ方がいいかもしれねぇな」
というのが、冒険者さんの言葉。
おじいちゃんには村の皆には言わないように、と口止めされました。
冒険者さんたちはそんなことを言いながらも、誠実に対応してくれたように思います。
もっと自由な存在なのかと思っていたのですが、村が困っているのだと聞いて、なんとかしよう。と手を尽くしてくれる姿は少し意外なものでした。
せめてもの、ということで村総出で盛大に送り出した彼らは、覚悟を決めた姿で出ていきました。かっこいい。
さて、そんな次第で魔物狩りにいった彼らでしたが、帰ってきたときは一人増えていたわけです。
艶やかな黒髪、すべすべの白い肌。お洋服だって見た事も無いきらきらとしたもので、それは、とてもこの村に訪れるような身分ではない、高貴な人だと思ったものです。
もうその先は私のこれまでの、そして思い描いていた将来とは全く別の世界です。
狩人さんも、冒険者さんたちも手に負えない。と言っていた魔物。それをいとも簡単に倒しちゃったというのだからびっくりです。
突然やってきたそのお方。私達の新しい領主さま。
まだ突然、ドラゴンがやってきた。と言われた方が納得ができたかもしれません。
その驚きは私だけのものではないみたいで、冒険者さんたちもすっかり縮こまって何やら内緒話を始めたかと思えば、挨拶もそこそこ、早々に村を出ていくなんて言い始める始末。
「ついにこの時が来たか」
と、何やら感慨深そうに言うおじいちゃんだけはいつも通りでしたけれど、この時ばかりは少し、その何でも知ってるみたいな顔にいら立ちを覚えたものです。
聞いて見れば、その新しい領主さまはヴァンパイア・ロードなんて呼ばれる魔族だということ。
王国ではなく、魔族領にある村ですから、当然、魔族の方が治める土地に入るのはあり得るとは思っていたものですが、長い間、そのような領主さまというのは現れませんでした。
王国からも、いまは空座ですが魔王の都からも離れたこの場所は、誰も進んで治めようということもなく、双方からの緩い関係で成り立っていたのです。
それこそ、時折訪れるのは道中の冒険者さんや商人さん、近場の村との交易くらい。
そこに現れた領主さま。あの人がいれば、今回のような魔物だって、あるいは人間や魔族の脅威だって、どうにでもなる。でも逆に、彼の不興を買えば、こんな村は容易く滅びてしまうでしょう。
村の寄り合い、話し合いは大波乱でした。
ヴァンパイア・ロードといえば、かつては魔王の候補ともなったような強力な魔族。
生き血をすすり、永遠の命を持つというヴァンパイア。時には国の一つを滅ぼすことだってあるとか。
「私がいきます」
と言ったのは、悲劇のヒロインを演じていただけではありませんでした。
新しい領主さまはヴァンパイア。乙女の生き血を好むとか。かつてこの地を治めていた吸血鬼の領主は若い娘をいけにえに求めたとか。それを話半分にしたところで、若い娘を送って嫌がることはないだろう。なんて話が出てきたころ。
普段、仲良くして来た村人たちがそんなことを言うのを聞いていたくなかった。というのもあるかもしれません。
私だって年頃の娘。いつか王子様が、なんて夢見ることもありましたけれど、実際には村の若い衆か、他の村に嫁ぐことになるのだろうな。という気持ちはありました。縁談など自分で決められるような立場でもないし。精々いい旦那様だといいな。と思う次第。実際、そろそろ行き遅れなんて言われそうな具合。私の母は同じ歳の頃にはもう結婚していたし。などなど。乙女に悩みごとは多いのです。
そこに現れたのがあの新しい領主さま。私なんかが、とは思いましたけれど、平凡な生を送ってきた私には、ちょっと胸躍る気持ちもありました。
村のみんなは、盛大に見送ってくれました。
収穫のあとのお祭りでしか見ないようなごちそうが並び、蜂蜜酒や、秘蔵の葡萄酒なんかも出して。幼馴染の女の子たちなんか、泣いて手を握ってきたものです。
そんな風にして訪れた領主さまの城。
見上げるような城門にどうしたものかと思っていたら骸骨が出て来たのは驚いたものでしたけれど、それよりも驚いたのは、領主さまの近くに控える女の子の姿。
あっ、私なんていらないんだ。
一目見てそう思いました。ふわふわの白い髪。透き通るように白い肌。上質なお洋服は汚れひとつなく。彼女こそ、領主さまにぴったりの、物語から出て来た天の御使い。
私なんて相手にされていない。という気持ちは、領主さまの態度にも感じました。
思っていたよりもずっと気さくな方ではあったのですけれど、それはそれで複雑な心境。
すこし高ぶっていた気持ちに冷水をぶちまけられたような。悲劇のヒロインから敗軍の将になったような。
村に帰って質問攻めにあいつつ、なんとか村と領主さまの関係を繋いでくれと期待は増すばかり。
それでどこまでいったの? なんて聞かれた日には穴を掘って埋まっていようか。なんて。
そんなことを思い出したのは、領主さまの力を直接見たから。光ったと思ったら聞いた事も無いような大きな音、風と揺れ。雷に打たれたようで、死んだかと思いました。
「あっ、ごめんなさい。いま起きますね」
ふわふわと、部屋にやってきたのは青白く半透明の魔物さん。レイス、と言うらしい。
掃除用具と着替えの服を持ってきてくれて。お城の、領主さまの召使いさんみたい。
私も手伝えることないかな。と問いかけてみたのだけれど、いらない。ということか、ゆるゆると身体を揺らされました。そもそもちゃんとお話できているのかわかりません。
「私はいったい何をすれば……」
炊事、洗濯、お掃除に水汲み。農作業や牛の世話。村では朝起きればやることがたくさんあったものです。それが今では日が昇っても起きなくても誰も文句を言わないし、何をせずともお世話をしてもらえる。
まるでお姫様みたいな扱い。きっと私は恵まれているのです。
だけれど、何も返すこともできないし、誰もそれを気にしていないような。
生贄、村と領主さまとの関係をたもつためにも、差し出されて来た私。
村から望まれていたことは分かっています。私だって村長の孫娘。
幼馴染の中では、器量が劣っているとは思っていません。乙女の意地です。おばあちゃんもかわいいって言ってくれるし。
体を差し出す覚悟で来てみれば、私なんかがまったく相手にならないようなお姫様がいつのまにか二人に増えて。乙女の意地もズタズタです。
いったい私は何故ここにいるのでしょうか……? ハイジです。




