16.シンギングインザ
雨が降った。
しばらく晴れ続きだったこの廃城……もう廃城とは言えないだろうか。この城の周りだったけれど、一度降り始めた雨は、数日にかけて長く続いた。
それほど強い雨ではないけれど、外に出ると鬱陶しさを感じる程度。ぬかるんだ道を歩くのも気が引けて、引きこもりがちになる。
「いつもと変わらない気がするけれど」
とは、白の談。
そう言われるとそんな気もする。晴れていたところで外に出る理由もないし。
白は相変わらず、窓辺に座り、本を開いている。それが絵になるものだから、なんというか、ずるい。
しとしとと降る雨を背景に、伏せ気味の瞳は長いまつ毛に半ば隠され、白いガウンと白い髪が半ばその体躯を隠している。
まるでそのまま消えてしまいそうな姿。
小雨でも降ると寒くなるもので、城の暖炉には火がくべられていた。
これを見越してか、スケルトンのゲンさん達が薪をふんだんに用意してくれていたのはありがたい。
おかげさまでじめじめとした気候の中でも、部屋はからりと乾燥している。
「んー、暇~。ねぇあるじさま~。暇つぶし、しない~?」
しなだれかかってくるクロエは、雨が降り始めてからほとんどこの調子だ。元気すぎてこちらが困るくらい。別に負けてないが?
いたずら気に細められた瞳。城の中から出ない日でも、しっかりとした服に身を包んでいる。今日はフリルをアクセントにした黒いワンピースドレス。
背中から生えたこうもりの翼をぴろぴろと動かして見せる姿は、吸血鬼と言うより小悪魔。という言葉がぴったりだ。
その翼がどう生えているかを確かめることができたのだけれど、魔法で生やしているものらしく、出したりしまったり自由なものらしい。
いつも生やしている理由を聞いてみれば、
「かわいいでしょ?」
ということだった。引っ越しのために荷物をとってくると言っていたクロエだったけれど、そのほとんどは洋服の類だったし。
そして、部屋の隅の方で小さくなっているのがハイジ。
「私、何もしなくて良いんでしょうか……」
と、言いながら、お茶の入ったマグを手の中に抱えている。
相変わらずの赤いチュニックに前掛けの村娘スタイル。部屋の中ではほっかむり? を被ることもなく、栗色の髪を緩く三つ編みにしている。
「うー、雨の日は苦手なんですぅ」
という言葉のとおり、いつもより気だるげな雰囲気に湿気で髪が膨らんで見えた。
ハイジもようやく城の住人にも慣れてきたようで、どこかから悲鳴が聞こえてくることも減ってきたところ。
彼女は何もしていないというけれど、
「お茶? というのはよく分からないですけど、薬草を煎じることはありますよ?」
というハイジの情報のお陰で、城でもハーブティーを飲むことができるようになった。
いろいろと試しているのだけれど、リンデンの花を使ったのが落ち着く味がして気に入っている。
本人は縮こまっているけれど、これは大きな前進だ。主に快適な生活のための。
「白、リンデンって何?」
「西洋菩提樹。あるいはセイヨウシナノキ。もしかしたらリンデンバウムって聞き覚えがあるかも」
分かったような、分からないような。ともかく、色んな使い道のある木。花の蜜は蜂蜜のもとにもなるらしい。
他にもカモミールやイラクサ、ミントやフェンネル。現代で見たようなハーブティーはおおよそ揃っている。
「紅茶やコーヒーも飲みたいものだけれどなぁ」
とはいえ、ないものねだりをしてもしょうがない。カフェインが恋しくなるのは現代人の病だろうか。
真面目に読むでもなく、手に持っていた本を閉じる。この世界の神話のようだったけれど、いまいち内容が頭に入らなかった。
一日ベッドから出ない生活なんかにも憧れたものだけれど、それは雨の降った初日で十分に堪能していた。
「このままじゃキノコでも生えそうだ」
椅子から立ち上がって腰を捻る。張り付いていたクロエがあ~れ~とそのまま椅子にへばりついた。
雨が降ったということは、地下水槽にも水は貯まっただろうか。いまは村の井戸から汲んできた水を瓶に貯めたものでまかなっているけれど。
村に降りていくのも億劫なので、そろそろ貯蓄の方も心配になってくる。
「ちょっと貯水槽の様子を見てくるよ」
と、声をかけてみるけれど、クロエは快適な部屋から出る気も起きないようで、ハイジは首をひねっている。
「……それなら、私も気になる」
と、返したのは白だけ。少し意外にも感じたけれど、初めにシスタンの様子を見に行ったときも白と一緒だった。
「城も随分と賑やかになったような気がするね」
雨の日も変わらず、掃除や補修を続けるレイスやスケルトンに手を振りつつ、廊下を歩いていく。
「クロエも、ハイジも住むようになって」
あの二人の賑やかさは主にクロエ由来な気もするけれど。
白と二人だったころは、もっと静かに時間が進んでいたような気がする。
「そうだね。でも、それはほんの少し前の話だよ」
ふふ、と白が笑う。
確かに、懐かしむにはまだ早いことだ。精々が二週間程度か。その間に色んなことがあったような気もする。
「のんびり過ごしたいだけなんだけどな」
白と一緒に。と、言葉を続けようとして、自分でも首を捻る。それを言っていいものか。疑問に思った。
当たり前に隣にいる存在。それが当たり前、ではなくて、理由を考えなくてはいけないところへ来ている気がする。
二人きりの時間、というのをふと意識した。ふわり、と揺れる白い髪を目で追う。
「ふふ、そのためにもまずは近場からだね」
シスタンへ続く階段で不意に振り向いて微笑む白。ふと目が合って、考えが読まれるのではないか。と思った。
表情に出ていただろうか、白も少し、不思議そうに首を傾げようとする。ふと、その目が驚きに開かれた。
「あっ」
「危ない」
白が後ろ向きに踏み出した一歩が、石の階段で滑った。そうと分かる前に、俺は宙に出された手を引いていた。
思いがけず、距離がなくなる。
普段、そこにいるのが嘘のような幻想的な雰囲気の少女。
引き寄せた体は嘘みたいに軽く、細く。けれど、確かに温もりがあった。思わず、息を飲む。
胸元にある彼女の顔を見ることはかなわないけれど、しばらく、時間が止まったようだった。
「その、ごめん」
どれだけそうして固まっていたのか。何とか手を放して体を離そうとしたけれど、白はすがるようにして離してくれない。
触れた場所が熱をもつようで、それが頬に上ってくる気がした。
「……大丈夫? どこか捻ったり」
「違う……大丈夫」
ぱっと離れた白は、すぐに背中を向ける。その普段は真っ白な顔。後ろから覗く耳が赤く染まっているような気がした。
「ありがとう。嫌じゃ、なかった、よ」
白にしては歯切れの悪い言葉。それがごめん、と言ったことに対する回答だっただろうか。
お互いの心音が聞こえるのではないか。高鳴る胸の鼓動を意識して、恥ずかしくなる。まるで子供のようではないか。
貯水槽のことなど、どうでもよくなっていた。しっかり水は貯まっていたけれど。




