13.二人の距離の
麦にふれれば黄金に実り、草に触れれば花が咲く。果実の色は蘇り、野菜はしゃっきり食感へ。
「どうすればいいんですかー!」
ハイジの身に起きた変化。とはそういうことだったらしい。
やらかした。特に何も考えず、勝手にハイジと呼んでいた村長の娘だったけれど、名づけの呪法の対象になってしまったらしい。
それで出てくる力、というのが植物の元気を取り戻す。というのが流石人間。生産的。元人間として誇らしいよ。
「まぁまぁ落ち着いてくれ。悪い力ではないだろう?」
しかしまぁ、いきなり人外めいた力に目覚めたとなると、恐しさが先立つものだろう。
現に目の前のハイジは半泣きで取り乱した様子だった。
「何、何したんですか領主さま!?」
「えーっとね」
まぁ、こんな不可思議現象の原因となるのは、明らかに俺だろう。ということで駆け込んできたらしい。
洗いざらい、正直に話した。
「どどどどうしたら良いんですか」
「まぁ、悪いものではないはずだから。何かあったらまた来てくれ」
多分。悪いものではないはず。どうにか落ち着いた彼女を見送った。やれやれ。
すっかりやらかしてしまった。他に名前を付けたようなものはなかったよね?
「それじゃ、あるじさま。わたしはお引越しの荷物まとめてくるねー!」
「え、この城に住むつもり?」
また蝙蝠の翼を生やしたクロエが頭上を飛んでいく。こちらの声も聞こえていない様子。
嵐のようにやってきて、嵐のように去っていく。本当に嵐のような少女だ。城がうるさくなりそう。
嵐の後の静けさ。というところか。ハイジとクロエを見送ってしまえば、また城は静かになる。
「ゲンさん、もう一部屋準備しておいて。ミタさんにもよろしく」
スケルトンのゲンさんに声をかけて、また書庫へと戻ってきた。少し落ち着きたい気分。
「おかえり」
「ただいま、白」
白といつものやりとりをして、長椅子に腰掛ける。自然とため息が出た。
「昨日から、ちょっとハードだったね」
「そうだね。お疲れ様」
ようやく白と二人、城もいつもの静けさに戻った。
書架から取り出した大きな本を胸に抱えた白だったが、他の椅子に座るでもなく長椅子の横に腰掛けた。
肩が触れそうな位置。さも当然。といった顔でそのまま本を開く。
「あの……白さん。ちょっと近くないですか」
「そうかな」
白い肌、つんとした小さい鼻。長いまつげの一本一本を数えられそうな距離。
白いワンピース。カーディガンから覗く肩は驚くくらいに華奢だ。
彼女から甘い香りすら漂ってくるような気がして、なんとなく目を天井に向けた。
しばらく沈黙が続く。部屋に舞う埃がきらきらと光る中で、白のページをめくるおとだけが書庫に響いた。
「ところで」
沈黙を破ったのは白。
「あの子のこと、随分と気に入ったんだね」
ぎくり。
「あの子って言うのはクロエのこと?」
「そう」
浮気をとがめられたような気持ちになる。いや、白とはまだそんな関係ではない。はず。
「白に対して、黒。って名前を付けたでしょう?」
「ばれたか」
白の声は少し、笑みを含んでいた。
クロエは知る由もないだろうけれど。
白と正反対の彼女に対して、最初に思い浮かべたのは黒。
しかしその名づけで気に入ったと思われるということに、白の信頼があるようで、少しむず痒いような気持ちになる。
白のことが気に入っていなければ、黒で気に入っているとは言わないだろう。
「白には悪かったかな?」
「別に気にしてないよ。気に入ったんだな。って思っただけ」
腕にぬくもりを感じる。白が肩を寄せて来たんだ。と遅れて気づいた。息を飲む。
それだけ言って、白はまた黙ってしまう。
「白さん、やっぱりちょっと近くないですか」
「そうかな」
さらり、さらり。本のページが進む音。
もう表情は見えなかった。白の艶やかでふわふわとした髪が、時折揺れるのを見るだけ。
触れ合った肩の体温は、心地よいというには少し熱のあるように感じた。
「怒ってる?」
「そんなことないよ。別にあなたがクロエと仲良くしていても」
と、そこまで言って白は弾かれたように顔を上げた。
俺も驚いたけれど、それよりも驚いた表情をしているのは白の方だった。
「えっ……」
と小さく開かれた桜色の唇から声が漏れる。
伏し目がちなことの多い瞳が開かれると、星空を散りばめたような瞳が大きく見えた。
いつもは白い頬が、ほんのりと染まっている。
今、自分の言ったことが信じられない。その表情はそう語っているように見えた。
思っていたよりも劇的な白の反応に、聞いた俺の方が動揺している。これではまるで。
「もしかして、嫉妬したり……?」
「違う。あなたがあの子と仲良くしてても良い。でも」
でも、の続きが出ない。
ページをめくる音さえ聞こえなくなった書庫の静けさは、沈黙をより強く感じさせた。
本を置いた白は、すっと立ち上がった。長い白銀色の髪が、その表情を隠してしまう。
「そう……かな」
思ったよりもずっと小さな背中。触れれば壊れてしまいそうな。その向こう側から聞かせるでもない、独り言のような言葉が聞こえた。
「白」
そのまま、白は書庫を出ていく。
追いかけるべきなのか。遠ざかる背中に伸ばした手はまたあてどなく空をさまよった。




