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14.遠回りする

 脚は、勝手に動き出していた。

 離れていく白の背中をそのまま見送ることはできなかった。


「白!」


 自分でも驚くくらいに大きな声だった。白の肩はびくりと震え、脚を止める。

 伸ばした手は肩を掴むこともできなかったけれど。


 咄嗟に白の事を呼び止めたけれど、続く言葉が思いつくわけではなかった。

 先ほどの、白と並んでいた時とは違う温度の沈黙は心にのしかかるようだ。


 このままでは、白がまた離れていってしまう。


 どうしてそれを嫌だと思うのか?


 白は俺にとって何なのだろう。

 初めから、当り前に隣にいた存在。この世界を共に歩く相棒?

 好きか嫌いかなどという疑問は馬鹿げている。それはどういう意味の好きなのか?


 失いたくないと思うのは何故なのか。


 頭の中では解決のできない疑問が、言葉にならない衝動が渦巻いていた。


「白、俺は……」


 なぜ、覚えていないのか。

 白は俺が覚えているよりも前の、自分自身の事を知っているというのに。


「俺は多分、白の事が大事なんだ」


 最低の言葉だという自覚はあった。ただ彼女を引き留めるだけの。自分のことさえ断言できない。

 続く言葉の出ない中、こわばっていた白の肩の力が抜ける。ため息の雰囲気。


「大丈夫だよ」


 振り向いた白の顔はどこか静かで、差し込む陽の光に溶けてしまいそうだった。


「私は消えたりしないから」


 それは白の表情のように淡い響きなのに、強い芯のある言葉だった。


「……ごめん。俺の中でもまだ言葉が出てこなくて」

「いいよ。ごめんはいらない。待つことにはなれているから」


 そう、待つことには。と言って、何かを確かめるように白は胸元に手を握った。


「いまは、ごめんね。あなたにも、もう少し待ってもらいたいみたい」

「それこそ、ごめんはいらないよ」


 きっとお互いに、答えを急ぐときではないのだ。

 白のためらいがちの笑みを前にして、俺は同じように笑っていただろうか。


「えーっと、お茶でもどうかな?」


 我ながら下手なナンパのような言葉だったけれど。


「ふふっ……そうだね。昨日は少し、ハードな一日だったし」


 お茶をしようにも、お茶というものがなかったけれど。それは気持ちの問題。

 俺たちが直面しているのも、気持ちの問題ではあるのだけれど。なんて考えるだけの余裕はできていた。


 白と肩を並べて、薄めて温めた、スパイス入りの葡萄酒のマグを傾ける。

 蜂蜜をたっぷりと入れたそれは甘く、温かく、こわばった感情もすこし、解けていくように感じた。


 いつもと同じ距離。いつもと同じ関係。沈黙が苦にならない時間。

 湯気の向こうの白と目があえば、少し恥ずかしそうに微笑んだ。

 それだけが、今は変わったことだった。



※※※



 もしかしたら、わたしの主人と一号さんはとんでもない大馬鹿なのかもしれない。

 私はクロエ。他にも名前はあったけれど、いまはヴァンパイアのクロエ。


「好き。ってどういうことなのかな」


 表情の読めない、というか、本当にただ疑問に思っただけの顔で主人に白、と呼ばれている女の子が言った。

 少し悔しいけれど、白皙の肌はきめ細かく、小さな造形の顔はかわいらしさと美しさの狭間で絶妙なバランスに成り立っている。

 ただの人間でないことは確かだけれど、そんなに永くもないとはいえ、人よりしばらく生きているわたしの知識のなかにも、彼女の存在が如何なるものかは見当もつかない。

 主のものでなければ、私も欲しい。と思っていたのは間違いない。

 どう見ても主のお気に入り。いつだって傍に置いているし、心を許している様子は一目で見て取れた。


「はーァ?」


 そんな彼女の口から突拍子もない言葉が飛び出したものだから、わたしの口からも変な声が出た。


「クロエはあの人のこと、好きなんでしょ?」

「えーそりゃーもちろーん。あなたより先に~、頂いちゃったかな~?」


 あまりにもあんまりな言葉に数秒固まっていたけれど、これは順列を決めるいい機会かもしれない。

 まさか、まだそんな仲ではない。という訳がないけれど、揺さぶりをかけておく。

 どうせ主を戴くのなら、その一番はわたしが欲しい。


 好き、なんて言葉はまるで子供のようだけれど、あれだけ強くて顔も悪くない同属の魔族、欲しい。と思った。

 ただそれだけの話。

 ろくな魔法も使わずにわたしを滅ぼせるような存在なんて、そうそう居て貰っては困るし。


 欲も、感情も、打算だって全部同じ。

 クライム・ドラクロワと名乗った彼を味方につけておいて悪くない。

 この廃城で目覚めたばかりなんて言っているけれど、それならばなおさら。今の内から取り入っておけば彼は後々、強大な魔族になる。


「んふふ~。なかなかかわいかったな~」


 わたしはかわいい。自慢の金髪は手入れをかかさず、陽に焼けることのない肌は白く、足りない血色だって演出している。

 小柄な体は、それをどう映えさせるかを考えて服を選ぶし、自分の見せ方だって考えていた。

 わたしはわたしのことが好きだ。それが一番の武器。

 力だってそう。それはすべて、欲しいものを奪い取るためのもの。いつだって自分の武器を磨いてきた。

 まるで免疫のないような、わたしの主、クライムというヴァンパイア・ロード。

 彼の欲を奪うのはあまりにも簡単な話だった。


「そうなんだ」


 目の前の真っ白な少女は、表情まで真っ白だった。

 拍子抜け、というか、苛立ちすら感じる。

 わたしはわたしの武器を使って、彼女の怒りを引き出そうとしているのに。


「なーに? 正妻の余裕ってやつ? ムカつくんだけど~」


 大した苦労も見えず、自然に主の隣にいるような彼女に嫉妬している。わたしはそれを自覚していた。


「別に、私は彼とそんな関係じゃないのだけれど」

「はーァ?」


 そんな彼女の口から突拍子もない言葉が飛び出したものだから、わたしの口からも変な声が出た。


「だから、クロエの好きってどういうことなのかな、と思って」


 ようやく表情に変化が見えたと思ったら、少し目を伏せて頬を染めるようで。天然の愛らしさに恐れを覚えた。

 これではまるで、初めて恋というものを意識した少女のそれ。自分の感情に名前を付けようとするような……。


「ねぇ。それ、わたしに聞く……?」


 もしかしたら、わたしの主人と一号さんはとんでもない大馬鹿なのかもしれない。

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