第三夜-6
☆刀堂家の食卓
ハイヒールの靴がある。
男物のでかいスニーカーかサンダルか地下足袋しかない無骨な玄関に、その黒いピンヒールの靴は異様な存在感を放っていた。
最初は、黄佐が女を連れ込んだのか―――或いは、女に押し掛けられたのか、と思った朱将だったが、すぐに違うと分かった。
リビングから、聞いたことのある声がする。その声は黄佐の金髪について、息継ぎもせずに長々と捲くし立てていて、そんなことが出来る女性は朱将の知る限り1人しかいない。
2つの事実が導き出す状況を悟り、朱将は溜め息を堪え、いつも通りに「ただいま」と言ってしまった数秒前の自分を呪った。
「あー! おかえり朱兄!」天の助けよと、疲れ切った顔を輝かせた黄佐がリビングから出てきた。「ごめんね、状況は分かってるだろうけど、そういうわけでまだ夕飯の支度できてないんだ。今からやってくるから後はよろしくね!」
「待ちなさい黄佐! 逃げるつもり?! ―――って、あら、朱将。おかえりなさい。」
「・・・ただいま、母さん。」
「あんたまた大きくなったわねー。もうこれ以上伸びなくてもいいじゃない。ちなみに今、身長いくつ?」
「・・・180後半くらい。」
「でかいっ! 邪魔なくらいにでかいわね! 黄佐に少し分けてあげたらどう? 足して2で割ればちょうど良くなりそうだわ。服ちゃんとある? ていうかちゃんと買ってる? 作業着しか着ないからどうでもいいとか言うんじゃないわよ。あんたまだ若いんだから、身なりに気を遣わないと嫁さん貰えないわよ。もともと農家は貰い損なう可能性が高いんだから、少しは自覚なさい。ほんと、そういうところも黄佐と足して2で割りたいわね。あ、でも、あの子から女の紹介受けちゃ駄目よ。聞いた限りでは、ろくな女と付き合ってなさそうだから。たぶんあんたじゃ相手にもしてもらえないわ。自力でどうにか、って言っても、畑に出会いは生ってないからね・・・。そうだ、農協に勤めてる事務の女の子とかどう? 可愛い子いる?」
「んなもんいちいち見てねぇよ。」
「見なさいよ、ったく・・・。これだからあんたは、」―――ループしそうになった説教をぶった切って、母の携帯電話が鳴った。「あら、何かしら。」と、携帯を取って、電話に出た母の声が急変する。トーンが一気に跳ね上がり、よそ行き用の声へ、あっという間の変貌だった。
「はいもしもし〜? あ、河本さぁん。どうかしました〜? ・・・え? 至急訂正してほしいところ、ですって? あらヤダ、私の脚本にミスがあったんですの? ―――そ〜う、そちらのミス〜、なるほどねぇ〜。えぇ、分かりましたわ、今すぐそちらへ行きます。えぇ、えぇ、あら、大丈夫ですわぁ、タクシーだなんて、そんな余計な気を遣わなくても。それでは、またあとで、ごきげんよう。」
電話の向こうではまだ何か言っていたようだったが、母は容赦なくぶち切った。そして慣れた仕草で舌を打つ。「ちっ、使えねぇな・・・。」
朱将は唾を飲み込んだ。―――母さんと比べたら、怖いものなんて何もねぇな・・・。
「はぁ、まったく。」溜め息をついて母は玄関を下りた。「それじゃあね朱将、元気にやりなさいよ。」
「あぁ、うん。」
「青尉のことはよろしくね。こっちでも色々探ってみるから。何か分かったら連絡する。―――いいわね? これ以上あの子に、怪我させんじゃないわよ。」
朱将を睨むように真顔で言った母に、朱将は似たような面持ちで深く頷いた。
「言われなくても、そのつもりだ。」
「よろしい。でも、あんたも気を付けなさいよ。稼ぎ頭なんだから。」
「わかってる。」
「よし、じゃあね。」
そうして、嵐は去っていった・・・。
なんだか疲れが倍増したような心持ちで、朱将はようやく家に上がった。手を洗い、着替え、台所へ行く。
「あれ、朱兄、母さんは?」
「帰った。仕事で呼び出し食らったみたいだ。」
「なぁんだ、折角、お魚4人分焼いたのに。」と、あまり残念じゃなさそうに黄佐は言った。
「まぁいいや、青尉も食べるかどうか分かんないし、残った分は明日の朝飯に誰かが食べるでしょ。」
「そうだな。」
朱将はいつも通りに相槌を打ったつもりだった。しかし、
「・・・朱兄、何かあった?」
「―――――」
黄佐は見逃さなかった。本当に目敏い奴である。やっぱり、兄弟の中で黄佐が一番、母の血を色濃く受け継いでいるようだ・・・まぁ、喋り方からしてそうなんだけど。
朱将は観念して―――もともと黄佐に隠すつもりはなかったが―――先ほどの警察署での一件を、洗いざらい吐き出した。
「―――と、言うわけで、近々でけぇ喧嘩があるかもしれない。」
「ふぅん、なるほどねー・・・。そっか、『stardust・factory』が・・・。」
味噌汁の鍋をかき回しながら、背中越しに黄佐が言った。
「このことは、青尉には言うなよ。」と、朱将。
黄佐が振り返った。
「どうして?」
「青尉のことだ。知ったら、怪我を押してでも首突っ込みたがるだろ、絶対に。」
「あぁー・・・そうだろうねぇ・・・。」
「あの怪我じゃあ、ろくに戦えねぇよ。無駄に怪我を増やすだけだ。それに、今回は青尉が標的じゃない。わざわざ、危険に晒されに行く必要はない。」
「そうだね、賛成する。―――でも、隠すつもりなら、完璧に隠さないとヤバいよ。あと、朱兄は絶対に怪我しちゃ駄目だからね。」
不可解そうに眉をひそめた朱将へ、黄佐は笑って言った。
「それこそ、青尉のことだ。俺たちに隠し事されてた―――能力者に朱兄が怪我させられた―――って知ったら、どうなると思う?」
「・・・・・。」少し考えて、朱将は答えた。「・・・どっちか、だな。」
「そう、キレるか、自棄になるか。どちらにせよ、いい結果にはならないよ。」
「・・・だな。わかった、気を付ける。」
「うん。」
「・・・・・・黄佐。」
「うん?」
笑顔のまま首を傾げた黄佐に、朱将は冷酷に指摘した。
「味噌汁、煮え立ってるぞ。」
「え、うわぁっ、ちょ、朱兄、そういうことは早く言ってよ!」
もー、と口を尖らせながら、こぼれた味噌汁を拭く黄佐。
朱将は黙ったまま、笑ってその様子を見ていた。




