第四夜-1
【第四夜】刀堂青尉の平凡な一日
病院へ行って来たその足で、青尉は学校に着いた。
時刻は昼休みの少し前。当然ながら閑散としている昇降口を抜けると、ふと溜め息が零れた。
医者には、もう1日2日休んでいた方がいいと言われた。
しかし、あまりにたくさん休んでしまうと、もう2度と学校へ来られなくなるような気がして・・・―――それで今、無理を押して登校している、の、だが、出来ることなら今すぐ帰りたい。今すぐ回れ右をして家に戻りたい。というか、教室に行きたくない。―――自分が『能力者である』という事実を、知られてしまっていたらどうしよう。それを隠し続けていたことに対して怒っていたらどうしよう。まず最初に何て言えばいい? 謝る? 素知らぬ顔で挨拶する? 何か言われたらどうしよう。それに、黄ぃ兄から『ネットの力は凄まじいからね、覚悟しとけよ。』と言われたけれど、実際どれほどなんだろう・・・。
不安は尽きない。恐怖は消えない。渦巻く闇が足元で大口を開けているような幻想が見える。一瞬でも気を抜くと、足を取られて引きずり込まれ、そのまま二度と上がって来られなくなるような・・・。青尉は、あまり人の目を気にするタイプではないのだが、今回ばかりは違った。自分はそれほど強い人間じゃなかったんだと、はっきり自覚して何となく落ち込む。
もう一度溜め息をついてから、青尉はまず、職員室に向かった。たとえ事前に連絡してあっても、遅刻をしたら遅刻届を書かなければならない。まったく、面倒なことである。
まだ教室では授業が行われている最中だ。この学校は非常におかしな造りをしているが、どこかの教室の前を通らないでも職員室に行けるルートがあることが、初めて有難いと思えた。
杜本先生とか居たら嫌だな―――彼が授業をやっていることを祈りつつ、「失礼します。」と、中へ。
ほとんど教員のいない職員室は、しんと静まり返っていて、どこか寂しげな雰囲気があった。
あれ、遅刻届ってどこにあるんだっけ? いつも遅刻ギリギリでありながら、事には至っていない青尉にとって、遅刻届は縁遠い存在である。職員室の中、ありそうなところをきょろきょろと見回す。
「青尉くん、遅刻届ならここだよ。」
声を掛けてくれたのは副校長である。穏やかで優しくて人気の先生だ。青尉も好ましく思っている。この学校に来る前は農高にいたらしく、朱将と面識があり、その関係で青尉のことも知ってくれているのだ。
青尉は副校長の机の方へ足早に行った。すぐ近くには杜本先生の机があるのだが、そこには誰もいなくて、少し安心する。
柔らかい笑顔を浮かべた副校長が、遅刻届を差し出しながら言う。「災難だったね。怪我の具合はどうだい?」
「まぁ、それなりに、酷いです。」
「そうみたいだね。なんだか懐かしいな。朱将くんもよく、大怪我したまま学校に来たもんだよ。」
「そうなんですか。」
「うん。あ、ペンはそこのやつ使っていいよ。」
「ども。」
鉛筆やらボールペンやらが無造作に入れられている箱から、適当な1本を取り、所定の位置に名前を書き込む。うわ、やっぱ片手だと書きづらいな。青尉は唇を尖らせた。もう一方の手が使えないから、ペンを持っている手で紙を押さえているのだが、その所為でペンを上手く動かせない。うっ、あぁくそ、ぐしゃぐしゃになった。
苦戦し唸り声を上げる青尉を見て、副校長は相好を崩した。本当に、よく似た兄弟である。副校長は引き出しを開けて、小さな文鎮を取り出した。
「はい。」
「あ、すんません。ありがとうございます。」
「いえいえ。」
文鎮のおかげでかなり書きやすくなったのだろう。「理由? あー、ええっと・・・」などと呟きながら空欄を埋めていく青尉を、副校長はしげしげと見つめた。青白い顔面。頭に巻かれた包帯。わざとか無意識か、書くペースがやけに遅いのはどうしてだろう・・・―――
「―――大丈夫かい?」
「え?」唐突な質問に、青尉は顔を上げた。「あ、はい、どうにか書けます。でもやっぱ、片腕って不便ですね。」
「いや、そうじゃなくて。」
副校長の言わんとしていることが理解できず、青尉は首を傾げた。
「いろいろとあったみたいだから。無理してるんじゃないかと思ってね。」―――動画を見たが、酷い映像だった。副校長は気遣わしげに眉尻を下げる。「もうしばらく休むとばかり思っていたから・・・無理をしちゃ駄目だよ。」
「あー、あぁ、はい・・・。」
詳しく語ろうとしないで俯いた青尉。
しかし、副校長は気にした様子も無く「まぁでも、青尉くんなら大丈夫かな。」と、笑った。
「頼もしいお兄さん達もいるし、理解ある友達もいる。うん、むしろ僕が保証しよう。何があっても、青尉くんなら大丈夫だよ。」
「・・・。」
言葉がじわりと染み込み、青尉は、自分の悩みがすべて見透かされているような感覚に陥った。
「心を強く持とうとする必要はないよ。堂々と自分らしくして、後は、ほんの少しの勇気があれば、それで充分だ。頑張ってね。」
「・・・はい。」
小さく笑って頷いた青尉が、微かにだが顔色を良くしているのを見て取って、副校長は安心した。心は案外簡単に折れるものだ。身体が弱っている時なら、余計に折れやすい。その支えになれるのであれば、教師として、大人として、これほど幸せなことはないだろう。
―――何を背負っているのかは知らないけど、どうかこの小さな背中が、屈してしまうことがありませんように。―――来た時とは違い、まっすぐ前を見て職員室を出ていく青尉を見送りながら、副校長はひそかに祈った。
「失礼しました。」
3時間目の終了、昼休みの始まりを知らせるチャイムが鳴った。
☆1
黄ぃ兄の言う通りだな・・・―――青尉はメディアの力を嫌になるほど思い知った。
昼休みに入り、廊下に人が溢れかえる。四方八方から不躾な視線が痛いと思ってしまうほど突き刺さってくる。すべての人々が自分に注目して、すべての会話は自分のことを話しているように思ってしまう。もちろん、おおかた被害妄想だろう。しかしそれを分かっていても、堪えるのは難しい。あまりの注目に思わず青尉は俯きそうになるが―――俯いたら余計に悪目立ちするよ、堂々としてな―――堂々と自分らしくして、ほんの少しの勇気を―――黄佐と副校長から貰ったアドバイスを思い出し、意識して頭を支えた。
「―――っ、刀堂!」
不意に声を掛けてきたのは、担任の神島先生だ。青尉は声の方を振り向き、軽く会釈した。
「おはようございます、神島先生。」
「あぁ、おはよう。大丈夫か?」
「何がですか?」わざとではなく本気で、何のことを言われているのだろうかと青尉は首を傾げた。
「何がってお前・・・その怪我! 折れてんだろ? それに、その・・・」神島先生はふいに口ごもった。「・・・ずいぶんと、蹴られていたようだったから。」
青尉は意識せず半目になって言った。
「・・・先生も、動画、見たんすね。」
「え? あっ、いや、だって・・・イヤッフーのトップの、話題の動画に特集されてたから・・・つい・・・。」
青尉は大きな溜め息を投下した。―――“イヤッフー”で特集されてるのか・・・拡散の速さはその所為だな。ったく、最悪だ。
神島先生は気まずさを払拭するように咳払いを1つして、話題をもとに戻した。
「それで、調子は?」
「骨折は利き手じゃないので特に問題はありません。部活がしばらく出来ないのは悲しいところですけど。蹴られたところも痣になってる程度なんで、日常生活に支障はありませんよ。」
神島先生は、戦闘には? と聞こうとして、思い止まった。聞くまでもないことだった。代わりに話し出す。
「良かったな、その程度で済んで。お前が相手したあの赤メッシュ・・・西陣っていうやつ、空手の元・有段者らしいぞ。全国大会にもちょくちょく出てたとかなんとか。」
「やっぱり。だと思いました。」
「予想してたのか?」
「素人にしては打撃が重かったので、何かしらやってたんだろうな、と。」
「へぇ・・・。」
お前だって素人だろうが。何でわかるんだよ。俺より経験豊富じゃんか・・・―――神島先生は言いたいことを封じ込め、少し落ち込んだ。なんだか最近、落ち込まされることばかりあるような気がする。特に刀堂家に関することで。
微妙な表情で黙り込んだ神島先生を無視して、青尉は踵を返す。
「それじゃ、失礼します。」
「あ、待て、刀堂。」
立ち去ろうとした青尉を引き留めると、青尉は心底嫌そうな顔で振り向いて「何ですか?」と尋ねた。何の用かは聞かずとも分かっていた。図らずも目が尖ってしまう。
神島先生は青尉の目にちょっと怯みかけて、そんな自分を笑って誤魔化した。
「分かってるだろうけど、放課後―――」
「職員室ですね?」
「ご名答!」
青尉は再び溜め息をついた。
「分かってましたよ・・・。」




