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第三夜-5



 勝手知ったる警察署。朱将は堂々と職員用の駐車場にトラックを停め、寒空の下を足早に通り過ぎた。農作業を止めて久しく、余熱を失った身体に、真冬の冷気は冷た過ぎて、まるで鋭利な刃物に斬られるようだ。朱将は暖を期待して署内に入ったが、公僕の背負いし御役目ゆえに、暖房はあまり使われてなく、裏切られた悲しみに思わず溜め息が漏れた。

「こんちわ。」

「やあ、朱将くん、こんにちは。久しぶりだねぇ。」

「そっすね。」

「澤城さんなら、いつも通り、生活安全課にいると思うよ。」

「どうも。」

 受付の顔見知りと簡単な挨拶を交わし、奥へと進む。朱将のことを知らない新入りがいるのか、「先輩、あれ誰なんです? あんな簡単に通しちゃっていいんですか?」「いいんだよ、彼は特別だからね。いいかい? 彼は刀堂朱将くんと言って―――」などという会話が聞こえた。

 生活安全課、というプレートがかけられた安普請の扉を、ノックもせずに開け放つ。瞬間、敵意のような感情を含んだ注目が、一斉に朱将へと集中した。しかし、訪れたのが乱入者でなく来客であることを認めたのか、すぐに敵意は消散した。

「あー、朱将くんかー。」入口の一番近くにいた刑事の西浦が、間延びした口調で言った。「久しぶりー。」

「ども。・・・何かみんな、ピリピリしてねぇか?」歳が近いので、半分タメ口になる朱将。

「あ、わかるー? 実はねー、」と、西浦は動く椅子の上に乗ったまま朱将に近付いた。「新入りがさー、ちょっと調子乗っちゃってるんだよねー。知ってるかなー? 能力者組織が警察の麾下になったって話ー。あれがねー、」

 荒々しく開かれた扉から怒声が飛び込んできて、西浦の言葉を遮った。

「ったく、何が能力者だボケがぁっ!」

「あー、澤城さーん、あんまり大声で愚痴ると聞こえちゃいますよー。」

「聞こえるように言ってんだっ! ってーかてめぇは、そのふぬけた喋り、いい加減どうにかしやがれっ! ったく、どいつもこいつも・・・―――っと、」あらかた発散してから、そこで初めて、朱将の存在に気がついたらしい。戦友の登場で、澤城の表情があからさまに緩む。「朱将。来てたのか。」

「ついさっき。」

「早かったな。」

「わけありまして。」

「そうか、よし来い。」

 慣れたもので、必要最低限しか話さない2人。

 連れ立って外に出て、廊下の一角、自販機の横にある休憩スペースの、簡素なベンチに向かい合って座る。2人の所作が乱暴だったせいか、ベンチがあまりにも安物すぎた所為か、ギギィミシミシミシッ、と不吉な音が鳴った。

 澤城は煙草をくわえてそれに火を付けると、切り出した。

「大体の事情は良平から聞いたと思うが、西の連中がやられてな。やった奴らが不穏なことを吐いていったんだ。曰く―――」

「―――能力者組織が不良狩りを始める、と?」

「まぁ、ばっさり言うとそういうことだな。で、何か聞いてないか?」

朱将は首を横に振った。「いえ、まだ何も。西の連中がやられたのも、今日初めて聞いたぐらいなんで。」

「そうか・・・。」

「一応、俺の名前で情報流して警戒させるよう、良平に頼んどきました。」

 朱将の対応に、澤城は満足げに何度も頷いた。朱将の影響力が凄まじいことはよく分かっている。その彼が注意を喚起したなら、ある程度までは被害を抑えられるだろう。やっぱり、気心知れた相手というのは頼りになる。つい昨日、署に入ってきたばかりの新入りどもとのやり取りに、すでに疲れ切っていた澤城にとって、気を遣わなくていい会話は最高の癒しだった。

「それで、どうしてわざわざ俺を呼んだんすか?」

「ん? んー・・・」澤城は言葉を濁した。「・・・先に、お前が急いで来た“わけ”ってのを、聞かせてくれねぇか?」

 朱将は澤城を探るように見た。老獪な刑事は、思いっきり広げて座った足の、膝の上に頬杖を突き、何やら考えているように見える。

「・・・わかりました。」朱将は素直に従った。さて、どこからどう話そうか―――少しだけ考え、すぐに面倒くさくなり、単刀直入に事実と要求だけを告げる。澤城さんなら大丈夫だろう。「俺の弟の青尉が、去年の夏に能力者になりました。それで、理由は知りませんけど、『マッド=コンクェスト』とかっていう能力者組織に、やけに執拗に絡まれてます。昨日のテロにも巻き込まれました。」―――ここで一旦、言葉を切ってみたが、澤城が何も言わなかったので、そのまま続ける―――「今回、不良狩りを始めるっつったのは、その『マッド=コンクェスト』って奴らの配下組織なんすよね? 協力するんで協力して下さい。そいつらに関する情報があったら、ありったけ欲しいです。俺は、地元の連中も青尉も、どっちも」朱将は一瞬、躊躇して、「・・・守りたいんで。」

「・・・なるほどな。やっぱり、そうだったか。」

 そう言ってから、怪訝そうな顔をした朱将に気づいて、「いや、実はな、昨日のテロの動画をうちの課の奴が見てて、これ青尉くんじゃないか、って言ってたんだよ。やっぱ、そうだったのか。」

「もうそんなに広まってんですか?」

「あぁ、みたいだぞ。」

 朱将は思い切り舌を打った。本気で嫌そうにする朱将の様子に、澤城は苦笑して、灰を皿に落とした。

「よし、じゃあ、利害は一致しそうだな。」と、刑事らしからぬ表情でニヤリと笑う。「お互い、情報は共有しようじゃねぇか。そっちは不良のつながりで、こっちは警察の権限で、分かったことは逐一報告。いいな?」

 朱将は黙然と頷き、「ところで、そっちのメリットは何なんすか?」

「ん? あぁー・・・」澤城はだいぶ薄くなってきた頭を掻いた。「・・・ちょっとした意地だ。いくら能力者のこととはいえ、あとからのこのこやって来た新入りどもには任せたくねぇんだよ、地元の馬鹿なガキどものことはな。」

「新入り?」

「おう、知らねぇか? 県警の下に就いた能力者組織。その連中の中枢が、うちの署内に設置されたんだ。」

 吐き捨てるようにそう言って、顰め面になる澤城に、朱将も似たような表情を突き合わせた。

「・・・なぁ、それって、『stardust・factory』とかって奴らっすか?」

「おう、それだそれ。なんだ、知ってんじゃねぇか。」

「今ここにいます?」

「そこが奴らの部屋になったぞ。」

 と、澤城が指差した方を2人して見遣り―――その瞬間、まるで見計らったようにその扉が開いて、男が1人、少しかがんだ状態で出てきた。

「うわ・・・。」朱将は思わず嫌悪感あふれる呻き声を上げた―――山の中で半分腐りかけた猫の死骸を発見した時より思いっ切り。

「ん?」男―――山瀬がこちらを見る。「なっ・・・」朱将を見て驚いたように目を見開き、すぐに立ち直ると、作り物の微笑を口元だけに浮かべた。

「朱将くんじゃないか。どうした、恐喝罪で捕まったのか?」

「そんな風に見えんのか山瀬? だとしたらお前の目ん玉は節穴だな。」

 朱将は椅子に座ったまますぐ傍に立つ山瀬をねめ上げ、山瀬は生来の高身長から朱将を圧迫するように見下ろした。

 一触即発の雰囲気に、たじろいだのは澤城である。

「え、おい、なんだお前ら、知り合いか?!」

「知り合いというか・・・」朱将はこの関係を表すのに最適な言葉を探した。限りなく“敵”に近いが、かろうじて“敵”、ではない、たぶん。じゃあ何か? 俺はコイツをどう思っている? ―――見つけた、これだ。朱将は山瀬を睨んだまま言った。「・・・大っ嫌いな奴、っすね。」

「へぇ、言ってくれるな、朱将くん。」

「人の名前を気安く呼ばねぇでくれるか。」

「これは失礼、青尉くんのお兄さん。」

「よし分かった、もう一発、殴られたいんだな。」

「残念ながら、そっちの趣味は持ち合わせてないのでね。他を当たってくれないかい?」

「残念ながら、俺の知り合いにそっちの趣味の奴はいないんでね。」

「そうか、それは残念だったな。さぞかし、欲求不満だろう。」

「そうだな、今すぐ晴らしてぇよ。あぁ、ちょうどいいところに、いい感じのサンドバックがあんじゃねぇか、なぁ。」

「そのサンドバックに下手に触ると爆発するぞ。腕を捨てたいなら話は別だが。」

 そしてまた睨み合い。かたや鋼鉄のような無表情、かたや無理に口角を上げた微笑。刑事の憩いの場であるはずのスペースが、殺伐とした戦場に早変わり。異様な雰囲気に飲まれた歴戦の刑事は、やけに渇き出した喉を歳と気候の所為にして、唾を何度も飲み下した。

「青尉くんの具合はどうだ?」

「お前に言う必要はないだろ。」

「お望みとあれば、治癒系の能力者を貸してもいいが。」

「どうしてわざわざあんたらに借りを作らなきゃいけねぇんだよ。」

「それもそうだ。ところで、」不意に山瀬は矛先を変えた。「澤城さん、あなたが仰っていた、地元の不良グループの元締めとは、もしかして朱将くんのことですか?」

 唖然とやり取りを傍観していた澤城は、はたと我に返った。「っ、あ、あぁ、そうだ。」素直に頷いてしまってから、気を取り直して山瀬を睨む。「―――それがどうかしたか?」

「いえ・・・それなら、都合がいいな、と思いまして。」

「どういうことだ。」

 山瀬の言葉に朱将は立ち上がった。身長差は10センチほどもあるだろうか。しかし、朱将の方が体格が良いため、迫力負けはしていない。

「別に。ただ、―――」山瀬は笑みを深くした。蛇のような、悪魔のような、見る者にどこか不安を与える笑顔。「―――もし戦力が必要になったら、思う存分、国家権力を頼ってくれたまえ。能力者を相手にするなら、私も君の役に立てるだろうから、ね。」

「誰がお前らなんかを―――」

「弟くんを巻き込む気はないのだろう?」

 反発は一瞬で封じられた。

 山瀬は声を低くし、語気を強めた。「分かるよな。能力者に勝てるのは能力者だけだ。どんなに喧嘩が強くても、一般人が能力者に勝つことは不可能だ。いいか、お前が地元の不良連中を守りたいと思っているのなら、素直に能力者を頼れ。青尉くんを使う気が無いのだったら、次に頼れるのは私たちだけだ。そうだろう?」

「・・・。」

「安心しろ。我々はもはや日本警察の一部だ。市民の暮らしを守るために尽力するのは、義務であって、当然の行いだ。無論、見返りを求めるような真似は決してしない。」

「・・・半笑いで言われても、説得力ねぇよ。」

「当然だ、元から説得する気などない。」

 ささやかな抵抗も一蹴され、朱将は閉口した。それを見たのは澤城だけであっただろうが、彼の腿の横に垂れる拳に、太い血管が青々と浮かび上がっていた。

「説得なんかしなくても、選択肢は限られているからな。」

 仲間を守るために家族を利用するか、組織を利用するか―――組織を使えば、何かしらの要求をされるだろう。何も言われなくとも、“助けてもらった”という事実は負い目となり、今後の言動に影響することになる。

 言うことは言いきったのだろう。山瀬はくるりと踵を返して、自販機でおしるこを2本買うと、「それじゃあ、朱将くん、是非また会おう。青尉くんによろしく。」と一方的に告げ、非常に満足げな面持ちで部屋へ戻って行った。

 ばたん、と、扉の閉まる音が空虚に響く。

 おもむろに、朱将は元通りベンチに座った。軋む音は聞こえなかった。

 一見すると、鋼鉄の無表情に揺らぎは見えない。しかし、澤城は彼と長い付き合いであり、ベテランの刑事である。声をかけてはいけないことくらい、雰囲気で察せられた。黙って2本目の煙草を出し、火を付ける。

「・・・・・・やっぱ嫌いだ、アイツ。」

 朱将が絞り出すように呟いたのは、澤城がそれを完全に吸い終わる頃だった。

「初めて会った時から思ってたけど、どうしても合わねぇ。」

「お前にしちゃ珍しいな。人の好き嫌いは少ねぇ方だろ?」

「時々・・・数年に1人くらいの割合で、同じ空気を吸うことすら嫌だと思う奴に会う。」

「それが、アイツってわけか。」

 朱将は無言で首肯した。それから手を前で組み、力なく項垂れる。深く、深く、地の底へ沈んでいくように重い溜め息が、空気を揺らす。それに紛れ込ませた朱将の小さな弱音が、澤城の遠くなりつつある耳に微かに届いた。

 澤城のくゆらす紫煙が、ゆらゆらと天井に上っていく。それを見上げながら、澤城は過去を思い返した。「・・・図体はでかくなったが、中身はまるで変わっちゃいねぇなぁ。」

「・・・。」

「覚えてんだろ。お前が原因で、黄佐が大怪我した時のこと。」

 5年ほど前の話だ。とある連中をぶちのめした朱将がそいつらの恨みを買い、その報復が黄佐に飛び火したことがあった。

「あん時した話、覚えてるか?」尋ねながら答えを待たず、澤城は続けた。「責任なんてもんは誰にもねぇんだ。そんなもん、誰も背負うことぁできねぇし、本当の意味で背負ってる奴ぁいねぇ。誰も彼も、大人だろうが子供だろうが、みんな無責任なんだ。だからお前も、責任なんて考えんな。ありもしねぇ責任を勝手に感じて、重苦しくなってんじゃねぇよ。被害妄想みてぇな真似はやめろ。長男だからとか、元締めだからとか、そんなもんに縛られんな。農家を継いだのは責任感からか? 大切なもんを守りてぇのは責任があるからか? ―――責任がなかったら、何もしねぇのか?」澤城はニヤリと片頬を上げた。「違ぇだろ、なぁ、朱将? 責任なんて言葉は後付けの理由でしかねぇ。きっかけにはなり得ないんだよ。お前はやりたいと思ったことをやりゃいいんだ。というか、お前がそうしてこなかった時が、今までに一度でもあったか?」

「・・・・・・。」俯いたままの黒い頭が左右に揺れた。「・・・いや、ない。」

「だろ。分かったらくよくよすんな。どうしたらいいか何て、やりながら考えりゃあいいだろ。んで・・・」澤城はごわごわの黒髪を乱暴に掻き回してぐじゃぐじゃにした。「・・・たまには笑っとけ。」

 朱将が顔を上げた。普段通りの仏頂面に、拗ねたような色が混ざっている。

「何すかソレ。」

「笑う門には福来たるって言うだろ。」

「言いますけど。」

「人間なんて単純なもんでな、笑ってりゃどうにかなることの方が多いんだよ。」澤城は煙草を灰皿に押し付けた。「まー、黄佐、アイツはちょっと笑い過ぎなような気もするけどな。本来、笑わなくていい時にも笑ってやがる。お前がいつも仏頂面してんのと同じだよ。アイツにとっちゃあ、笑顔が無表情なんだろうな。」

「・・・そうなんでしょうね。」

「たまには泣けっつっとけ。」無愛想に言いながら、新しい煙草に火を付ける。

「うす。・・・3本目、吸い過ぎっすよ。」

「うるせぇな。てめぇは俺の嫁か。」

「気持ち悪ぃこと言わねぇでください。」澤城を軽く睨んでから、朱将は立ち上がった。「そろそろ帰ります。」

「そうか。」

「情報の件、よろしく頼みます。」

「こちらこそ。」澤城は煙を大きく吐き出した。「能力者どもに負けてたまるかっての。一般人の力、見せつけてやろうぜ、なぁ、農高の赤鬼さんよ。」

 からかうように昔のあだ名で呼んだ澤城に、朱将はゆっくりと―――目を細め、顎を引き、片側の頬だけを持ち上げ、尖った犬歯を見せつける、“笑顔”と呼ぶには余りにも攻撃的な、それでも紛うことなき―――笑みを向けた。

 澤城はその笑顔に気圧されて、顔を引き攣らせた―――確かに俺は笑えと言ったし、やりたいようにやれって焚きつけもした。あぁ、したよ、したともさ! でも、でもなぁ・・・。―――もしかしたら、余計なことをしてしまったのかもしれない、という疑念は、続く朱将の言葉で確信に変わった。

「ありがとうございます、澤城さん。おかげで―――」と、朱将は笑みを更に深くした。「―――久しぶりに、血が滾ってきた。」

 バキンッ

 その破裂音が、朱将が拳の骨を鳴らした音だと気付くのに、数秒かかった。

 一番暴れていた高校時代の感覚を完全に思い出した朱将を、今更止められる言葉などない。それでも澤城はどうにか、「あ、あんまり、突っ走んなよ、朱将・・・。」とだけ言ったのだった。


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