閉まらない蓋
「椀だけなら、今日売れるだろ」
昨日の男は、開店前から待っていた。
「値段と使い方が決まっていません」と宗久。
「見れば分かる」
「蓋の留め方が三種類あります」
「閉まるやつをくれ」
簡単な話に聞こえる。だが、固く締まる器は開けにくい。開けやすい器は布紐が要る。
男に三つを試してもらう。
ねじ蓋は閉められたが、開ける時に椀ごと回した。中に汁があればこぼれる。
「こっちは?」
溝つきの器へ、ベラが布巾の端材で作った輪を掛ける。男は片手で外し、また掛けた。
「これでいい」
「熱い時は、輪も熱を持つ可能性があります」
「まだ売らないのか」
「温かい水で試してからです」
男は深く息を吐いた。それでも帰らず、卵と塩を籠へ入れた。
午前中、布工房の職人が端材を持ってきた。
細い布、厚い布、毛羽の多い布。長さもそろっていない。
「捨てる物だから、好きに持っていけ」と職人。
「代金を払います」と宗久。
「ごみだぞ」
「商品につけます」
ただでもらった物を器代へ含めれば、職人には何も残らない。布巾が売れるほど端材が出るなら、継続して仕入れる契約にする。
細い布は濡れると伸びた。毛羽の多い布は、器の縁へ糸が残った。厚い布を二重に縫った輪だけが、温かい水でも形を保った。
「これを十二本」と雨宮。
「十二?」と職人。
「最初は器六個分。洗い替えを含めて二本ずつです」
「百本なら安くする」
「十二本でお願いします」
器屋のオルバは、溝つき椀を六個だけ売る話に顔をしかめた。
「窯元へ頼むなら五十だ」
「店にある物から、蓋が合う六個を選びます」
「残りはどうする」
「食卓用として、今までどおり売ってください」
オルバと一緒に二十個を確かめた。蓋を入れ替えず、一組ずつ印を合わせる。溝の深さ、欠け、がたつき。
七個が条件に合った。
値段は、食卓用の木椀より高かった。
「選び分ける手間まで取る」とオルバ。
「不合格の器を買わない分ですか」
「違う。お前と蓋を二十回も開けた分だ」
宗久は値切らなかった。次から同じ基準で選んでもらえるなら、検品の仕事にも代金が要る。
ただし、毎回二十個から七個しか選べないなら続かない。蓋と椀を同じ印で仕上げ、溝の幅を指一本にそろえられるか相談した。
「窯元へ言ってみる。だが、そろえたら手作りじゃなくなると怒るぞ」
「形が少し違っても構いません。蓋が留まれば」
全部を同じ見た目にする必要はない。安全に関わる部分だけをそろえる。
「六個では?」
「一個は予備です」
「客へ売らないのか」
「見本にします」
店へ戻り、生活用品棚へ五個だけ並べた。一個は惣菜窓の見本。一個は落下試験に使う。
販売価格を決める。
器の仕入れ、布輪二本、紙帯。検品した七個へ、買い付けにかかった時間をすべて乗せると、町の木椀よりかなり高い。
「汁一杯より高い」とリリア。
「何度も使えます」と雨宮。
「最初の日に払うのは一緒だよ」
器と汁を同時に買う客には負担が大きい。そこで器を買った当日だけ汁物を少し安くする案が出た。
「値引き分を器へ上乗せしたら同じ」とロアン。
「上乗せはしません」と宗久。
初回だけ、宣伝費として店が負担する。札には通常の器代と汁物代を別々に書き、安く見せるために一つの値段へまとめなかった。
腰の高さから、空の器を木板へ落とす。
乾いた音がして、縁に細いひびが入った。
「壊れた」とリリア。
「木なのに?」とトト。
「木でも壊れます」
落とした物まで丈夫とは書けない。札には『蓋を布輪で留め、傾けずに持つ』と絵で示した。
午後、昨日の男が戻ってきた。
「今度は買えるか」
「買えます。ただし、汁物は夕方です」
「椀だけでいい。妻に持たせる」
男は一個を買い、蓋と本体の印を何度も合わせた。
その後、汁物を買う予定のない女性も一個買った。
「薬草を煮た物を運びたい」
惣菜用に仕入れた器が、生活用品として先に二個売れた。
閉店前、最初の男が戻ってきた。
手には、買ったばかりの器がある。
「蓋が閉まらない」
蓋の印と、椀の印が合っていなかった。




