夕飯になる一杯
「汁物は、こぼれます」
宗久は届け出の絵を見て言った。
「食べればなくなる」とネネ。
「持ち帰るまでの話です」
焼き卵パンは紙で包めた。汁物には器と蓋が要る。温度も、量も、売れ残った時の扱いも決めなければならない。
「店で食べてもらう?」とリリア。
「座る場所がありません」と雨宮。
「立って飲む」
「会計待ちの横で?」
狭い店内へ、食べる客まで入れば通路が止まる。
ネネが鍋の絵を指した。
「持ってきた器に入れる」
「器を持っていない客は買えません」
「貸す」
「返すまで代金を預かる必要があります」
ロアンが銅貨を何枚か置いた。
「器代を先に取る。返したら戻す。食堂ではやる」
使った器を店で受け取り、洗い、また貸す。仕組みとしてはできる。だが、惣菜室の洗浄回数は増え、排水桶はすぐ赤線へ届く。
「最初から全部はやりません」と宗久。
「また七個?」とネネ。
「汁物は四杯です」
「少ない」
「持参した器だけ。店の外で受け取り、当日中に食べる。持ち帰り時間が長い人へは売りません」
「そこまで聞くの?」
「冷めた汁を翌朝飲まれたら、店では確かめられません」
材料は、白根菜と乾燥肉、塩。すべて一号店で扱っている。通常販売分から勝手に使わず、朝の検品で惣菜用を分けた。
白根菜の形が悪い物を使おうとして、宗久が止める。
「食べられる」とネネ。
「食べられます。ただ、安く仕入れる契約を先に作ります」
傷みではなく形だけの違いを、生産者と客へどう説明するか。今日の四杯は通常品で作る。
昼、リリアが二枚の札を店の外へ出した。
『焼き卵パン 八個』
『白根菜と乾燥肉の温かい汁 器を持つ方 四杯』
絵には、蓋つきの器と、家までの短い道が添えられた。
「短い道ってどこまで?」と客が聞く。
「鐘半分ほどで帰れる方です」と雨宮。
「走れば遠くまで行ける」
「歩いてください」
販売前、四人が器を持って並んだ。
一人目は深い木椀。二人目は蓋のない陶器。三人目は口の欠けた器。四人目は金属の水筒だった。
「全部に入れるの?」とベラ。
蓋のない器は、布で縛っても傾けばこぼれる。欠けた器は口を切る。水筒は中まで洗われているか見えない。
「今日は木椀だけです」と宗久。
「四杯売ると言った!」
二人目の男が声を上げる。
「器の条件を書いていませんでした。こちらの不足です」
「じゃあ入れろ」
「危ない器には入れられません」
謝り、次回使える器の見本を入口へ置くことにした。今日売れるのは一杯だけになる。
ネネは鍋を見た。
「三杯余る」
「店員の食事へ回します。販売数には入れません」
「もったいないね」とリリア。
「だから、次は器を先に確かめます」
最初の一杯を木椀へ注ぐ。
湯気と一緒に、乾燥肉の香りが上がった。白根菜は角が崩れるほど柔らかい。客は蓋を押さえ、胸元へ大事そうに抱えた。
「パンも一つ」
汁物だけで終わらず、焼き卵パンも売れた。
八個の卵パンは完売した。汁物は一杯。売れた数だけなら失敗だった。
閉店後、ネネが残りを皆へよそった。
宗久と雨宮は、惣菜室の受け渡し窓に並んで立った。客側ではなく、今日は店員側だ。
「味は?」とネネ。
「うまいです」と宗久。
「売れなかったけど」
「商品が悪いのではなく、売り方が足りませんでした」
雨宮が木椀の蓋を裏返す。
「同じ形の蓋つき器を、生活用品として扱えれば」
「買った日に、汁物も買える」とリリア。
器を売る。持参した器へ入れる。いずれは店内で食べる場所を作る。
惣菜一つから、生活用品と売場の次の課題がつながった。
宗久は開店からの記録を机へ広げた。
野菜だけだった台に、果物、肉、魚、卵、パン、乳、乾物、缶詰、調味料、菓子、石けん、布巾、火口布、革紐が加わった。そして今日、二つ目の惣菜が並んだ。
まだ足りない物の方が多い。
それでも、夕飯を一度の買い物でそろえる客が現れ始めていた。
「次は器を仕入れる?」と雨宮。
「その前に、四杯売る方法を決めます」
「慎重ですね」
「一杯しか売れなかったので」
雨宮は少し笑い、残った汁を飲んだ。
外では雨が上がっていた。
惣菜室の煙突から、最後の白い湯気が細く夜へ消えていった。




