穴のない排水
「床へ穴は開けません」
宗久が言うと、久瀬は図面を折った。
「本社へ返すか」
「惣菜室は使います。排水だけ変えます」
店の下には古い水路がある。どこを通るか正確には分からない。穴を開け、汚れた水が飲み水へ混ざれば、惣菜どころではなくなる。
ロアンが組合から職人を二人連れてきた。
一人が床を叩き、音を聞く。
「この辺りは空洞だ」
「水路ですか」
「昔の貯蔵穴かもしれん」
分からないものへ流すことはできない。
雨宮が、外の調理台で使った二つの桶を持ってきた。きれいな水の桶と、使った水の桶だ。
「室内でも、これを大きくすればいいのでは」
「毎回運ぶの?」とリリア。
「毎回です」
水を捨てる場所まで運び、組合の確認を受ける。排水管より手間はかかる。だが床を壊さず、汚れた量も分かる。
職人は首を振った。
「桶が倒れたら、床一面に流れる」
「蓋をつけます」とガルド。
「満杯を誰が見張る」
「満杯まで使わない」と雨宮。
桶の半分に赤い線を引く。線へ届いたら交換する。洗浄一回で、どこまで水が上がるか試した。
井戸から運んだ水は、ただではない。汲む者がいて、運ぶ者がいる。使う桶が二倍になれば、朝の準備も増える。
「卵パン七個で、洗う水はどれくらい?」と雨宮。
ネネは柄杓を三杯入れた。
「これで足りる」
「昨日は五杯使いました」とベラ。
「昨日は店長が見てたから、きれいにした」
「今日も見ています」
ネネが二杯を足す。
少ない水で済ませるために洗浄を甘くしては、排水桶を分ける意味がない。通常時の量ではなく、必ず使う量で試すことにした。
ネネが卵を使わず、調理器具だけを洗う。
一回目。桶の四分の一。
二回目。赤線の少し下。
「二回で交換」と宗久。
「三回目も入る」とネネ。
「入ることと、使っていいことは別です」
ネネは柄杓を持ったまま、赤線をにらんだ。
「店長の線、いつも余る」
「余らせるための線です」
リリアが札へ、赤線の桶を描いた。文字が読めない者にも交換時が分かる。
次は運び方だった。
蓋をした桶をロアンとトトが持つ。店の扉を出るところで、トトの足が敷居へ当たった。水が揺れ、蓋の隙間から一滴だけ落ちる。
「今のなし」とトト。
「あります」と雨宮。
床を拭き、通路を測る。
その間、開店中と同じように籠を持って歩く試験もした。
シャルナが乾物棚から塩へ向かい、リリアが会計待ちの客を演じる。ロアンとトトが桶を持って通ると、三人とも動けなくなった。
「客に止まってもらえばいい」とロアン。
「熱い物を持っている時に、客へ避けてもらう運び方はしません」
「これは水だ」
「卵の殻を洗った水です」
蓋があっても、販売する物の上を通すことはできない。
客の出入口から運ぶのは危ない。裏口を使えば短いが、以前、夜も開くのかと探られた場所だ。
「調理中だけ裏口を開ける?」とロアン。
「外から見えない時間ができます」と宗久。
扉を開けたままにもできない。
ガルドが惣菜室の壁一枚を指した。
「ここに小さい受け渡し口をつける。外から空桶を入れ、内から蓋つきを出す」
「人は通れない大きさで」と雨宮。
「子どもも?」
トトが自分の肩幅を測る。
「トトも通れない大きさです」
「基準にされた」
排水を床へ流さない。客の通路へも出さない。裏口も開けない。
手間は残るが、危険を一つずつ外せた。
受け渡し口の外側には、空桶と使用済み桶を同時に置かない台を作った。右へ空桶、左へ蓋つき。左右を間違えないよう、リリアが水滴と赤線を描く。
「文字だけでよくない?」
「慌てた時ほど読まない」とベラ。
ネネに何も説明せず交換を頼む。彼女は一度、空桶を左へ置きかけ、絵を見て右へ直した。
「合格?」
「札は合格です」と宗久。
「私は?」
「次も確認します」
組合の立会人が仮許可へ印を押す。
「水を一滴落としたら営業停止、ではない。ただし、隠したら停止だ」
「記録します」
「お前はそう言うと思った」
夕方、本社から惣菜室の部材が届いた。
荷車を見た客が、店の前で足を止めた。
「店を広げるのか」
「中に、小さな調理場所を作ります」と宗久。
「肉を焼く?」
「最初は卵パンです」
「魚は?」
「まだです」
何を作るか決まる前から、客の欲しい物は増えていく。雨宮が質問を一つずつ帳面へ残した。
門を通れる長さに分けてある。壁、屋根、調理台、手洗い台。最後に、細長い煙突が荷車から下ろされた。
ガルドが店の天井を見上げる。
「床の次は屋根だな」
煙を出す場所には、冷蔵棚へ風を入れる窓があった。




