百枚の注文
「百枚なら、二十日だ」
エナは注文書を見ずに言った。
「日本側は十日後を希望しています」
「なら、五十枚だ」
迷いのない返事だった。
店の事務所には、試験販売した布巾と同じ物が一枚置かれている。厚く、縫い目は少し曲がり、端にはエナの工房印が入っていた。
「人を増やせば?」と久瀬。
「織れるやつを百人集めても、糸がなきゃ一枚も作れん」
布巾の糸は、東通りの三軒が作っている。今ある糸は、町の食堂や家庭から頼まれた布に使う分だった。
「日本の注文を優先すれば、町へ出す布巾がなくなる」とエナ。
「高く買います」と久瀬。
「高く売れるからって、昨日までの客を追い返すのか」
宗久は久瀬より先に答えた。
「それはしません」
「取締役より先に決めるな」
「一号店の仕入れです」
久瀬は不満そうに眼鏡を上げたが、否定はしなかった。
まず、何枚なら無理なく作れるか確かめることになった。
エナの工房には、幅の違う織り機が二台ある。大きい方は食堂用の長い布、小さい方が一号店で売る布巾に使われていた。
職人はエナと妹の二人。
「昼も夜も動かせば百枚いける」と妹が言った。
「何日続けられます?」と雨宮。
「十日くらい」
「十一日目は?」
「寝る」
「駄目です」
雨宮が即答した。
エナが声を立てて笑う。
「日本の偉い人より厳しいな」
「倒れて納期を守れなくなる方が困ります」
織る時間だけではない。糸を受け取り、色と太さを分け、織った布を洗い、乾かし、端を縫う。百枚という完成品の裏に、いくつもの仕事があった。
「糸を作る家も見せてください」と宗久。
東通りの三軒は、互いに隣り合っていた。
一軒目では、老夫婦が白い繊維を撚っていた。二軒目は母親と息子。三軒目は片腕の女性が、足で車輪を回している。
「全部、エナさんの工房ですか」とトト。
「違う。糸屋だ」とエナ。
三軒は別々の商売だった。これまでエナがまとめて買い、布巾として売っている。日本から見ればエナの商品でも、その前に三つの仕入れ先がある。
「百枚分なら、いくら必要です?」
宗久が聞くと、三軒の答えはそろわなかった。
一軒目は今の注文を後回しにすれば出せる。二軒目は繊維が足りない。三軒目は代金を先に半分受け取れれば人を雇える。
「同じ条件にはできませんね」と雨宮。
「不公平だ」と久瀬。
「違う仕事へ同じ条件を押しつける方が不公平です」
雨宮は三枚の聞き取り板を分けた。
店へ戻るころには、百枚という数字が三十枚まで減っていた。
町向けの布巾を減らさず、夜通し働かず、今ある糸で作れる数。
帰り道、食堂の軒先に何枚もの布が干されていた。皿を拭く薄い布、鍋を持つ厚い布、机へ敷く長い布。同じ糸は、すでに町の暮らしで使われている。
「これも三軒の糸ですか」と雨宮。
「私以外の織り手も買ってる」とエナ。
日本向けに糸を集めれば、別の工房まで止まるかもしれない。食堂の主人へ買い替える時期を聞くと、「破れた時だ」と返された。
「次に破れる日は?」
「分かるなら、破れる前に買ってる」
暮らしの需要は、注文書のように先まで読めない。宗久は、町の店頭にある布を集めて輸出へ回さないことも条件へ加えた。
「日本側の注文を七十枚断るのか」と久瀬。
「三十枚を確実に送ります」
「次の店に取られるかもしれない」
「この世界に次の店はありません」
「日本の客は別の商品を買う」
「それなら、次にまた欲しいと思われる物を送ります」
売れた直後こそ増やしたくなる。魚缶でも、小芋でも同じだった。だが、今回は売場の向こうに作る人がいる。
エナは三十枚の注文書へ印を押した。
「二十日もいらん。八日で出す」
「無理をしない条件です」
「無理じゃない。百枚じゃないからな」
契約書には、一日の作業時間まで書かなかった。店が職人の暮らしを決める紙にしてはいけない。
代わりに、途中で枚数を減らしても違約金を取らないこと、糸屋への支払いを先に済ませることを書いた。
「値段は十枚の時と同じか」とエナ。
久瀬が、日本で売れた価格を見せた。門の費用、検査、向こうの店で売る費用を引き、一号店と日本側に残る額まで並べる。
「次も売れたら、俺の取り分は増えるか」
「継続注文になれば、価格を話し直します」と宗久。
「知らないところで高く売るな。高く売るなら、そう言え」
作れる数だけでなく、売れた先の値段も隠さない。それも契約へ加えた。
その夜、日本側へ返事を送る。
『百枚の注文に対し、初回納品は三十枚』
すぐに返信が来た。
『不足理由を報告してください』
宗久は紙を見た。
「理由は、人が暮らしているからです」
「そのまま送るんですか」と雨宮。
「駄目ですか」
「もう少しだけ、報告書の言葉にしてください」
二人で書き直した。
町の供給を維持するため。
作り手の健康を守るため。
品質を確認できる数に限るため。
三行に増えたが、意味は最初と同じだった。




