朝だけの白乳
南門を出ると、角の長い牛が道を塞いでいた。
白い毛。肩まで宗久の背丈ほどあり、左右の角には赤い布が巻かれている。
「前から行くと突くよ」
柵の上に座った女が言った。
「先に教えてください」
「まだ行ってないだろ」
女はラダと名乗った。牛ではなく、角牛だと訂正された。
「白乳を店で売りたいと聞いて来ました」
「誰から」
「お客さんからです」
「あんたの店、客の言う物なら何でも置くのか」
「何でもは置きません。まず、どう作っているか見せてください」
ラダは笑った。
「買うと言う商人はいる。牛小屋を見たいと言ったのは初めてだ」
牛小屋には角牛が四頭いた。床には乾いた藁。乳を搾る桶は壁へ伏せて掛けてある。
「朝、搾った分を町へ持っていく。昼までに売れなきゃ、家へ戻して酸乳にする」
「捨てないんですね」と雨宮。
「捨てるほど余らない」
白乳は火にかけず、そのまま売っていた。角牛の乳は人の体温ほど温かく、陶器の瓶へ詰める。市場に着くころ少し冷め、昼には酸味が出る。
宗久は空の瓶を一つ借りた。口の内側に、白い膜が残っている。
「瓶は毎日洗っていますか」
「川で洗う。熱い湯も使う」
「洗ったあとは?」
「柵へ伏せる」
柵には瓶の口が直接触れていた。泥はないが、鳥が留まった跡がある。
「店へ出す分だけ、洗ったあとに布をかけてもらえますか」
「汚いと言うのか」
「今の売り方なら、朝に詰めてすぐ渡します。一号店では冷やして長く置く。その分、瓶の状態まで店が確認したいんです」
ラダは瓶を取り返し、光へ透かした。
「店の瓶を使え」
「形をそろえるためではありません」
「私の洗い方が信用できないんだろ」
話が止まりかけた。
雨宮が、一号店で使っている瓶洗い用の刷毛を見せた。
「これを貸します。洗うのはラダさんです。私たちは、店で受け取った時にもう一度確認します」
「貸した道具の代金を乳から引く?」
「引きません。店が必要だと言った物です」
ラダは刷毛を一本抜き、瓶の底まで届くか確かめた。
「四本くれ。角牛ごとに分ける」
「まず一本です」
「店は細かいくせに、道具を惜しむんだな」
結局、二本貸すことになった。
「生で飲めるの?」とリリア。
「今まで飲んでる」
「病気になった人は?」と宗久。
「腹を壊すやつはいる。飲みすぎだ」
飲みすぎとは限らない。
宗久はその場で仕入れを約束しなかった。
「一度、加熱した物と、そのままの物を分けて調べます」
「火にかけたら味が変わる」
「変わるかどうかも確かめます」
「全部煮たら、酸乳が作れない」
「全部は買いません」
試験用に陶器瓶二本分だけ買う。一本はラダの方法のまま。もう一本は店の厨房で加熱する。販売禁止の札をつけ、治療師にも立ち会ってもらう。
店へ運ぶ途中、角牛が荷車を追ってきた。
「子どもだ」とラダ。
「あの大きさで?」
「角が短い」
宗久には十分長く見えた。
売場では、空の冷蔵棚を囲んで検査が始まった。
白乳をそのまま入れた瓶。弱い火で温めた瓶。温度を上げすぎた瓶。比較用に三つへ分ける。
「三つ目は焦げた匂い」とネネ。
「売らない前提でも、飲み比べるのか」と久瀬。
「安全確認が終わるまでは飲みません」
リリアが三本を見つめる。
「見てるだけ」
「さっきも聞きました」
冷蔵棚を止める時刻も試す。門を開けている間、三本は棚の奥へ置いた。温度の上がり方は水より遅い。
翌朝、そのままの白乳には酸味が出ていた。適切に加熱した瓶は、匂いがほとんど変わらない。温めすぎた物は表面に薄い膜が張った。
「この膜、捨てる?」とネネ。
「家では集めて菓子に入れる」とラダ。
失敗と思った物にも、現地では使い道がある。
治療師は三本から少量ずつ取り、確認した。
「すぐ売るなら、今までの物を禁止する理由はない。ただし、一号店で翌日まで置くなら加熱した方だけだ」
「市場の売り方を否定しないんですね」と雨宮。
「朝に搾って昼までに売るのと、冷やして翌日まで置くのは別の商売だ」
同じ白乳でも、扱う店が変われば必要な決まりも変わる。
ラダは加熱を嫌がった。
「味を悪くして、私の名前で売るな」
ネネが火加減を変え、焦がさず温めた白乳を冷やす。安全確認後、四人で少量ずつ味を見た。
「甘い」とリリア。
「朝のより匂いが弱い」とラダ。
「悪くなりましたか」
「違う。角牛くさくない」
「それは良いのでは?」と雨宮。
「角牛の乳なのに」
ラダにとっては、匂いも商品の一部だった。
加熱の強さを少し下げる。保存時間も翌日までではなく、その日の閉店までにした。売れ残りはラダへ返さず、店が買い取って酸乳用に回す。
「返品しないのか」
「売れ残りまで作った人へ戻しません」
ラダは契約書ではなく、絵札を先に見た。
角牛。朝の鐘。火にかけた鍋。冷蔵棚。閉店後は酸乳の桶。
「私の乳だと書く?」
「ラダさんと角牛の名前も」
「牛にも名前がある」
「四頭分、書きます」
ラダは初めて契約書を手に取った。
瓶は店から持ち出す前と、戻ってきた時に数える。割れた場合、客へ無条件で弁償させない。欠けた瓶は白乳へ使わず、ラダにも戻さない。
「瓶まで店が買うのか」
「最初の六本分は買います。返してくれた客には、次に瓶代を取らない方法を考えます」
「返さない客もいる」
「その分は最初に払ってもらいます」
中身だけでなく、容器をどう戻すか。日本の商品なら工場と本社が決めていたことを、この世界では仕入れ先と一緒に作る必要があった。
初回は六本。
数より先に、四頭の角牛の名前が商品札へ並んだ。




