暗闇の冷蔵棚
店内の灯りが、一斉に消えた。
夕方前の売場には、まだ客がいた。誰かが籠を落とし、乾いた音が暗闇を転がる。
「その場から動かないでください!」
宗久が声を張る。
返事の代わりに、小さな悲鳴が上がった。入口まで走ろうとした客同士がぶつかったらしい。
「リリア、入口!」
「見える!」
暗闇の中で、リリアが壁から青灯果の見本札を外した。絵札に塗られた発光塗料が、淡い青で浮かぶ。
「こっちが出口! 走らない!」
ポルカは非常用の油灯へ火を入れた。ガルドとトトが通路に落ちた商品を拾い、マノンが客を一列に並べる。
雨宮は会計台を動かなかった。
「会計途中の商品は、そのままで構いません。外へ出た方から、あとで確認します」
「金は?」と客が聞く。
「預かりません。今は出口へ」
暗い店で金を数えれば、間違いか盗難を疑われる。宗久は会計を止め、客を出すことを優先した。
最後の一人が外へ出る。
入口の外では、買い物を中断された客たちが、窓越しに暗い売場を見ていた。帰ろうとする者は少ない。何が起きたのか分からないまま帰る方が、不安になるらしい。
「爆発したのか」
「魔物が入った?」
「どちらでもありません」と雨宮。「設備の異常です。けが人がいないことを確認しています」
分かっていることだけを伝える。原因まで決めつけない。雨宮が同じ説明を繰り返すうち、ざわめきが少しずつ収まった。
リリアは入口の脇へ油灯を置き、帰る客に預けた籠の印を渡した。丸、三角、魚、麦。営業を再開できるなら同じ印の商品を返す。
「明日まで取っておいて」と言う客もいた。
「生ものは約束できません」と宗久。
暗闇より、見通しの悪い約束の方があとに残る。
「九人、全員います」と雨宮。
「久瀬さんは?」
返事がない。
冷蔵設備の試作箱から、鈍い音がした。
「ここだ。扉が閉まった」
「また箱の中ですか」
「今回は好きで入ったんじゃない」
停電で電磁錠が戻らず、久瀬は点検中の箱へ閉じ込められていた。ポルカが工具を差し込み、ガルドと二人で扉をこじ開ける。
出てきた久瀬は凍えてはいなかった。
「冷えていない」と雨宮。
「それが問題だ。設備も止まった」
鮮魚台には、売れ残った魚が一尾。保冷箱には薄切り肉が残っている。温度計の針が、ゆっくり上がっていた。
「冷え石を持ってきます」とロアン。
「魚と直接触れさせるな」と宗久。
冷え石は金属容器へ入れ、乾いた布で包む。鮮魚と肉は別の箱へ移し、蓋を開ける回数を減らした。
ネネが厨房から戻る。
「まかない用の肉も入っています」
「販売用と分けてください。札も」
「暗くて字が見えない」
リリアが発光塗料で魚、肉、まかないの印を描いた。青い魚、赤い肉、丸い皿。文字が読めなくても、箱を間違えない。
「青灯果の札が、役に立ったな」と久瀬。
「果物はまだ売ってませんけどね」
売れない商品のために用意した物が、店全体を助けている。
店の外では、帰された客がまだ残っていた。
「今日はもう開けないのか」
「原因が分かるまで開けません」
「籠に入れたパンは?」
常温の商品は、会計台の横へ客ごとに分けてあった。持ち主が戻り、もう一度選び直すなら取り置く。ただし肉と魚は渡せない。
「俺が触った魚だぞ」と男が言う。
「冷えていた時間が確認できません」
「焼けば食える」
「確認できたら売ります。できなければ店で負担します」
男は不満そうだったが、パンだけを受け取った。
電気が戻ったのは、鐘一つ分あとだった。
雨宮が保冷箱の温度記録を見る。肉は基準内。魚も売場へ戻せる温度だったが、閉店時刻が近い。
「魚は下げます」と宗久。
「温度は大丈夫です」とデレス。
「今日の客には、停電中の魚だと分かりません」
「捨てるのか」
「まかないとして買い取ります」
販売用としては戻さない。ネネが火を通し、従業員全員で食べることにした。
「食えるのに売れない。不思議な店だ」とデレス。
「売るなら、食べられるだけでは足りません」
久瀬は黙って聞いていた。
設備室では、原因が見つかっていた。
冷蔵箱を動かした瞬間、日本側から来る電力が大きく落ちた。さらに箱の補助装置が、床に残った冷え石の力まで吸い上げようとしていた。
「電気と魔力を同時に使った?」とロアン。
「どちらかが足りないと、もう片方を強く引く設計だ」と久瀬。
「店一軒を暗くするほど?」
「想定外だ」
「その言葉、今日は二回目です」と雨宮。
ポルカが設備箱の裏を開けた。太い線が、店の照明と門へ向かう線へつながっている。
「この箱だけ止めれば、店は点く」
「なら、外します」と宗久。
「待て。これを止めれば、冷蔵売場は増やせない」
「客を暗闇に残す設備は使えません」
久瀬は反論せず、主電源を切った。
試作箱の赤い灯りが消える。店の照明は安定した。
停電時の動きを、全員でもう一度確認した。
リリアとマノンは客を出口へ。ガルドとトトは通路を空ける。ネネとロアンは冷蔵品を保冷箱へ移す。ポルカは油灯と設備。シャルナは会計途中の商品と代金を守る。
「副店長は?」とベラ。
「人数確認と全体指示です」と雨宮。
「店長は?」
全員が宗久を見る。
「足りない場所へ入ります」
「一番分かりにくい」とロアン。
宗久の役割には、『勝手に設備室へ入らない』と雨宮が書き足した。
閉店後、九人で魚を囲んだ。ネネが香り草と一緒に焼き、パンを添える。
雨宮が宗久の皿へ、身の厚いところを置いた。
「店長が一番走っていましたから」
「副店長も会計台から一歩も逃げなかったでしょう」
「お金を置いて逃げられません」
「そういうところです」
雨宮は少しだけ笑った。
久瀬は魚を食べ終えると、黒くなった試作箱を見た。
「冷蔵設備を使う方法はある」
「店を停電させずに?」
「門を止めればいい」
日本の商品を運ぶ門と、冷蔵売場。
一号店では、二つを同時に動かせなかった。




