魚用の冷え石は果物箱に入っていた
「冷え石を誰から買ったんですか」
宗久は農会の支払記録を見た。
売り手の名はない。品名は魚用冷え石。代金は小銀貨三枚。受取印だけが押されている。
「この印、デレスさんのものではありません」と雨宮。
魚缶の確認に立ち会った際、デレスの印は何度も見ている。外周に魚の尾があり、中央に一本線が入る。帳面の印は似ているが、尾が二股だった。
「偽物か」とロアン。
「似せた別の印です」
「同じだろ」
「偽物と決めるには、本人の確認が必要です」
デレスを呼ぶと、帳面を見るなり鼻で笑った。
「俺の印は、こんな太った魚じゃない」
自分の印を横へ押す。並べると違いは明らかだった。
「冷え石を農会へ売ったことは?」
「ない。魚を冷やしたあとの石なら売るが、買うのは料理屋か薬師だ」
「青灯果へ使えますか」
「使える。水へ入れて、箱の下へ敷けばな」
青灯果は、強く冷やすと表面だけ青く残り、中が傷む。以前の安全確認で分かっている。傷みかけた実を新鮮に見せるため、冷え石を使った可能性があった。
「誰が印を作ったか、印章職人に確認する」とバルガス。
「ラウドさんに聞かないんですか」とリリア。
「先に聞けば、作った者へ口を合わせる」
帳面は組合で保管し、写しだけを店に残した。
翌朝、ラウドは農会の事務所にいなかった。
自宅にも戻っていない。町の門を出た記録もなかった。
「また逃げた」とロアン。
「まだ町にいる」とバルガス。
ユハンが一号店へ駆け込んできた。
「西の集荷場だ。ラウドが青灯果の箱を燃やしてる!」
宗久たちが着くと、石造りの倉庫から黒い煙が上がっていた。
入口にはラウドが立ち、火のついた布を投げ込もうとしている。
「止めろ!」
ガルドが腕をつかむ。布が地面へ落ち、ロアンが水をかけた。
倉庫の奥では、古い果物箱が燃えている。
「水を運べ!」
近くの農家が桶をつなぐ。宗久も列に入り、何度も水を渡した。
白い蒸気が倉庫を満たす。
「奥の箱を先に!」
オルナが煙の中へ入ろうとする。
「行かないでください」
宗久が肩をつかんだ。
「あれは、うちの農園印だ」
「人より先に出す箱はありません」
「証拠が燃える」
「入った人まで倒れたら、助ける手が減ります」
ガルドと警備隊が濡れた布を口へ当て、入口近くの箱から外へ出す。奥へは進まない。屋根の煙穴を開け、蒸気が薄くなるのを待つ。
ラウドが地面から起き上がり、裏口へ走った。
「逃がすな!」とロアン。
ユハンが先回りした。
二人は泥の上でもつれ、ラウドの上着から小さな印が転がる。
魚の尾が二股になった印だった。
「証拠は、箱だけじゃない」と雨宮。
ラウドは印へ手を伸ばしたが、バルガスが先に拾った。
「誰に作らせた」
「拾った物です」
「まだ嘘を重ねるか」
印章職人が到着し、印の底を確認した。
「私が作った。魚商人デレスの印を直したいと頼まれた。注文したのはラウドだ」
言い逃れはできなかった。
火が消えたあと、箱の底から灰色の石が三個見つかった。水がかかると、青白く光り始める。
「冷え石です」とデレス。
箱の側面には、オルナの農園印。
「なぜ燃やした」とダリオ。
ラウドは濡れた地面へ座り込んだ。
「農会を守るためです」
「誰から守る」
「青灯果で三人倒れたと知れたら、取引が止まる。オルナ一人を外せば、ほかの農家は売れる」
「冷え石を入れたのは?」
「傷んでいるとは思わなかった。色を戻せば売れると思った」
「ユハンへ嘘を言わせたな」
ラウドは否定しなかった。
「借金を一枚減らすと約束した。でも、帳面を直せば会長に分かる。だから直さなかった」
「俺は嘘だけ言わされたのか」
ユハンが殴りかかろうとする。オルナが先に腕をつかんだ。
「殴っても、一枚は減らないよ」
「あんたのせいにした」
「知ってる」
「俺も悪い」
「それも知ってる」
オルナは手を離した。
「次は逃げるな」
ラウドは組合の警備隊へ引き渡された。会計係を外し、正式な処分は青灯果事件の再調査後に決める。
ダリオは集まった農家の前で頭を下げた。
「一冊の帳面を一人へ任せたのは、私です。今後は貸付、返済、品物の代金を別々に記録し、本人へ控えを渡します」
「字が読めない者は?」とセラ。
「読み上げる。金額は丸印でも残す」
「紙をなくしたら?」とユハン。
「農会と組合に控えを置く」
一号店の三枚式記録が、農会でも使われることになった。
だが、青灯果の安全が戻ったわけではない。
ラウドが冷え石を入れた箱だけが原因だったのか。ほかにも傷んだ実があったのか。倒れた三人の食べ方は同じだったのか。
「青灯果を店へ戻すとは言わないでください」と宗久。
「分かってる」とオルナ。「先に畑と箱を調べる」
「一緒に確認します」
「同情で買うなら来なくていい」
「売れるか確かめに行きます」
オルナは短くうなずいた。
その日の営業は午後から開けた。
鮮魚四尾。紫根二十束。薄切り芋十二包み。魚缶九缶。青果、肉、パン、乾麺、調味料、生活用品も並ぶ。
火事を見ていた客が、入口で宗久に聞いた。
「悪い農会を、一号店が倒したのか」
「違います。悪かった帳面と、やった人を調べました」
「農会とは、もう取引しない?」
「続けます」
「なぜだ」
「農家が作る前に必要な金を、一号店はまだ出せないからです」
切れば済む関係ではない。間違った部分を直し、誰に金が渡ったかを見えるようにして続ける。
営業終了後、十五日目までの結果を集計した。
雨宮は、売上だけでなく、十五日間に起きたことを一枚ずつ並べた。
欠品した商品。
廃棄した商品。
返品を受けた商品。
売場で説明を変えた商品。
契約を書き直した仕入れ先。
「失敗の方が多く見えます」とユノ。
「何も起きなかった日も書きますか」とリリア。
「書かなくていい」と宗久。「起きたことを次に残していれば、それでいい」
小芋の袋は浅籠になった。紫根の鍋は二つに固定した。魚は売る時間を決めた。生活用品は食品から離した。誰か一人しか分からない仕事も減っている。
失敗の枚数と同じだけ、店の仕組みが増えていた。
開店準備費を除けば、店の営業は黒字の日が増えている。しかし、日本商品の輸送費、門の維持費、冷蔵設備の費用まで入れると、全体ではまだ赤字だった。
本社の三か月目標に対し、一日平均売上は開始時の一・八倍。
三倍には届かない。
「商品を増やしただけでは足りません」と雨宮。
「分かっています」
「顔は、少し喜んでいます」
「一・八倍にはなりましたから」
「目標まで、あと一・二倍ではありませんよ」
「分かってます」
二人で売上表を見ていると、奥売場から低い音がした。
触っていないはずの『冷蔵設備・試作一号』の箱が、内側から開いた。
白い冷気が床を這う。
箱の中には冷蔵棚ではなく、一人の日本人の男が立っていた。
「牛島店長だな」
男は霜のついた眼鏡を外した。
「異世界出店を承認した取締役の、久瀬だ」




