紫根は二度茹でないと売れない
「本社へ冷蔵設備を頼みましたか」
雨宮が箱を見上げる。
「頼んでません」
「榊室長は?」
通信機で確認すると、榊も知らなかった。
『異世界事業の設備開発部門が、役員判断で送った可能性があります』
「可能性で設備を開けられません」
『確認する。触らずに待ってくれ』
箱を奥売場に残し、扉へ封をした。
「冷蔵箱が増えれば、魚をもっと置けます」とユノ。
「動けばな」と宗久。
「動かなかったら?」
「大きな箱が一つ増えます」
営業日になった。
新しい配置で客を迎える。入口から鮮魚が見え、魚を買った客は香り草と塩へ進む。薄切り芋を探す客も、すぐ食べる商品の棚で足を止めた。
動かした効果は出ている。
問題が起きたのは、紫根の実演台だった。
「二度目の鍋は、どっち?」
ネネが二つの鍋を見比べている。
紫根は一度目の湯を捨て、新しい水で二度茹でる。混雑を避けるため二鍋を交互に使っていたが、回数を示す木札が床に落ちていた。
「色で分からない?」とリリア。
「一度目の終わりと、二度目の初めは似る」
どちらも薄い紫色だった。
「試食を止めます」と宗久。
列から不満の声が上がる。
「もう煮えてるだろ」
「売る分まで止めるのか」
「生の紫根は販売します。試食だけ中止です」
「食べてから決めたかった」
「回数が確認できる物を作り直します」
鍋の中身は、まかないにも使わず廃棄する。安全かもしれない物と、安全だと確認できる物は違う。
その時、二つの鍋の間にいた子どもが、落ちた木札を拾った。
「これ、二度目」
「触らないで!」
リリアが抱き上げ、鍋から離す。札には紫根の汁が一滴ついていた。
雨宮が子どもの指をすぐ水で洗う。
「痛いところは?」
「ない」
「口や目に触っていませんか」
「触ってない」
母親にも確認し、治療師のところへ案内した。異常はなかったが、札が落ちただけで客を危険に近づけた。
「実演台の中へ客が入れたのも問題です」と雨宮。
鍋の湯気を見るため、囲いを低くしていた。子どもには、またげる高さだった。
ガルドが柱を四本立て、縄を二段に張る。上は大人の腰、下は子どもの膝。見る場所だけ透明板を残す。
「絵が見えにくくなった」とリリア。
「絵は縄の外へ出す。鍋の札だけ固定する」
安全にしすぎて何も見えなくなれば、実演の意味がない。見せる物と触れさせない物を分け直した。
ネネが悔しそうに鍋を下ろした。
「私が見てた」
「途中で魚売場へ呼ばれました」と雨宮。
「戻ってからも覚えてる」
「ネネを疑っているんじゃない」と宗久。「次に別の人が担当しても分かる形にする」
「私なら間違えない」
「休みの日は?」
ネネが黙った。
一人しか分からない仕事を残せば、その人は休めなくなる。
ポルカが二枚の鉄板を持ってきた。一度目の鍋には一本線、二度目には二本線。札ではなく、鍋の取っ手へ金具で固定する。
「落ちない」とポルカ。
「鍋を入れ替えたら?」と雨宮。
「入れ替えない。左が一度目、右が二度目」
床にも一本線と二本線を刻む。鍋と場所の両方で回数を示す。
「それでも、人が間違えたら?」とリリア。
「声に出します」とネネ。
一度目の紫根を左の鍋へ入れる時、担当者が名前と本数を言う。湯を捨て、右へ移す時に、別の一人が確認する。
「二人も使う?」
「ずっと二人で見る必要はない。移す時だけです」
作業を増やしすぎれば続かない。間違いやすい一か所だけ、二人で見る。
午後、実演を再開した。
「一度目、紫根一本!」
ネネの声に、リリアが一本線の札を上げる。
濃い紫の湯気が立ち上がった。客の子どもたちが透明板へ顔を寄せる。
「二度目へ移します!」
雨宮が本数と鍋を確認する。
二本線の鍋から上がる湯気は、淡い桃色だった。
紫と桃色、二色の湯気が並ぶ。
客は朝より一歩遠くから見ている。それでも、子どもたちは縄の外で一度目、二度目と指を上げた。
「一度目!」
「まだ食べない!」
「二度目!」
「食べられる!」
注意札を読ませるより、声にした方が早く伝わった。
試食を口へ入れた客が、うなずく。
「朝より安心して食える」
「朝は食べてませんよね?」
「見てた時より、だ」
午前に帰った客の何人かも戻った。二十束は閉店前に完売した。
最後の一束を買ったのは、南地区から来た食堂主だった。
「毎回二度茹でるなら、店で茹でた物を売ってくれ」
「今は生の紫根だけです」と宗久。
「この鍋の残りは?」
「試食用です。販売できません」
「同じ物だろ」
「作って売るなら惣菜になります。保存時間と容器を決め、別の商品として申請します」
食堂主は面倒そうな顔をしたが、引き下がらなかった。
「うちで二度茹でして、料理屋へ卸すのは?」
ネネが顔を上げる。
「私が教える」
「店の仕事はどうする」とロアン。
「休みの日に一度だけ」
「休みは仕事をする日ではありません」と雨宮。
「じゃあ、勤務で行く」
一号店で加工品を増やす方法だけではない。食堂が正しく下処理し、料理として売れば、紫根の使い道は町に増える。
「研修として、次の非営業日に二時間だけ」と宗久。「その分、ネネは別の日を短くします」
「一号店が食堂を教えるのか」と食堂主。
「紫根を知っているネネが教えます。店ではなく、人です」
ネネは少し照れたように、二本線の鍋を磨いた。
「一度目の湯を、井戸の近くへ捨てない。それも教える」
「料理だけじゃないのか」
「そこまでで料理」
紫根一つから、新しい取引が生まれようとしていた。
「止めなければ、昼に売り切れたかも」とユハン。
「次も売るなら、今日止めてよかった」とネネ。
本人の口から出た答えに、宗久は何も足さなかった。
閉店後、紫根の代金を三つに分ける。
セラへ銅貨六枚。ユハンへ十二枚。農会への返済十二枚。
ユハンの控えには、返済した印を一つ増やす。大銀貨四枚と銅貨九十六枚。
「減った」とユハン。
「今度は、自分でも計算してください」と雨宮。
「百二十から十二を引くのは分かる」
「では、次回は?」
「四枚と八十四枚」
「合っています」
紙に書かれた数字を読むのではなく、自分の借金を自分で数える。ユハンは控えをセラへ預けず、自分の袋へ入れた。
その夜、バルガスが農会の帳面を持って店へ来た。
「ラウドが買った冷え石の記録が出た」
「魚用ですか」
「そう書いてある。だが、デレスは農会へ売っていない」
購入日は、青灯果を食べた三人が倒れる前日だった。
帳面の端には、魚の形をした受取印が押されていた。
「デレスさんの印に似ています」と雨宮。
「似ているだけです」
宗久は、同じだとは言わなかった。
「明日の朝、本人に見てもらいます」
売場の失敗は直せた。
だが、一年前の失敗は、まだ何も終わっていなかった。




