冷え珠を飲んだ魚は新鮮なのか
「冷え珠を飲んでいれば、新鮮なんですか」
雨宮が尋ねると、デレスは魚の口から青い石を取り出した。
「死んだあとも腹を冷やす。半日は長く持つ」
「生きている時に飲ませる?」
「川の底にある石を勝手に食うんだ」
冷え珠は小指の先ほど。濡れている間だけ冷たく、乾くと灰色になる。魚の体内にあれば、えらや腹が傷みにくい。
「では、冷え珠がある魚を三尾」と宗久。
「それが駄目だ」とデレス。
「今度は何です?」
「腹に石がある魚は重い。同じ重さで売れば、客は石にも金を払う」
魚を量る前に冷え珠を出せば、冷たさが失われる。入れたまま量れば、食べられない石の分まで値段に入る。
「一尾ずつの値段にします」と宗久。
「大きさが違う」と雨宮。
「小、中、大で三段階」
「初日に三段階も増やします?」
宗久は六尾を見比べた。大きさの近い四尾がいる。
「四尾、同じ値段で仕入れます。残り二尾はデレスさんが持ち帰る」
「三尾じゃなかったのか」
「選んでいるうちに一尾増えました」
「細かいのか雑なのか分からんな」
販売価格は一尾銅貨五枚。当日の鐘二つまで。売れ残りはデレスへ返品せず、店が負担する。冷え珠は会計前に取り出し、客には魚だけを渡す。
「石は誰のもの?」とユノ。
「魚を買った店のものだ」とデレス。
「客のものでは?」
また、代金の行き先と持ち主の問題が出た。
「冷え珠を入れたまま渡せば、家で冷やせます」と雨宮。
「間違って食べる」とネネ。
青い石は飴のようにも見える。スポンジを菓子と間違えた客がいた店で、そのまま渡すわけにはいかない。
デレスと相談し、冷え珠は店が一個銅貨一枚で買い取ることにした。魚代とは分けて記録する。洗って乾かせば冷たさは消え、再び水に浸すと一度だけ冷える。
「冷蔵箱に使える?」とリリア。
「四個では無理だ」
「弁当を冷やすなら?」
「弁当はまだ売ってません」と雨宮。
使い道はあとで考える。今は魚を売る。
翌朝、鮮魚売場へ銀青色の魚が四尾並んだ。
透明な板の下に冷え石を置き、尾を客側へ向ける。日本のスーパーのように切り身にはできない。調理場で生魚を切る許可がなく、客も丸ごと買うのが普通だった。
「一号店に魚がある」
最初の客が声を上げた。
その声で、青果売場の客まで集まる。
「市場より遅い時間なのに、まだ目が澄んでる」
「冷え珠を飲んでいた魚です」とユノ。
「石も食えるのか」
「食べられません!」
次の客は、魚を裏返して腹を押した。
「硬すぎる。まだ死んでないんじゃないか」
「朝に締めています」とデレス。
「なら、なぜ冷たい」
「腹に冷え珠があったからです」
「魔法で古い魚を新しく見せてる?」
青灯果の噂を知っている客だった。冷やして色を残すことと、鮮度を保つことの違いは、見た目だけでは伝わらない。
宗久は朝の受入記録を出した。
捕った場所、締めた時刻、店へ着いた時刻。目、えら、腹を確認した者の名前。冷え珠を取り出した時刻。
「紙を食べるわけじゃない」と客。
「魚を古くしないための記録です」
「本当に今朝の魚か」
デレスが袖をまくった。腕には、銀青魚のひれで切った新しい傷がある。
「今朝、こいつらに付けられた」
「昨日の傷かもしれない」
「なら買うな」
「デレスさん」
宗久が止めるより早く、客は一尾を籠へ入れた。
「そこまで怒るなら、今朝だろ」
「何なんだ、あいつは」
「疑って確かめたかったんですよ」
「面倒な客だ」
「よく言われる店なので、お互いさまです」
デレスは納得していなかったが、次の客には自分からえらを見せた。
説明札に、魚の腹から石を取り出す絵を足す。
一尾目は、宿屋の女主人が買った。二尾目は子ども連れの男。三尾目は値段を聞いて戻した客が、閉店前にもう一度来て買った。
「魚をさばけない」と、別の客が言った。
丸ごとの魚を買う習慣はあっても、誰もが包丁を使えるわけではない。市場では魚屋が腹を出して渡す。店では調理場の許可がないため、同じことができない。
「デレスさんに頼めますか」
「俺の売場で買った魚ならな」
「一号店の魚も、手数料を払います」
「店から市場へ戻すのか」
「客が会計を終えたあと、デレスさんの作業場へ持っていきます」
一号店の中で無理に全部行わない。魚を売る店と、さばく技術を持つ魚屋をつなぐ。
入口に、魚を持って市場へ歩く絵を出した。
「店で買ったあと、また市場へ行くの?」とリリア。
「今は。それが多ければ、店の調理場許可を取る」
必要か分からない設備を先に増やさない。客が実際に困った数を残してから決める。
残り一尾。
「売り切れそうです」とリリア。
鐘二つまで、あと少し。
宗久は完売札を用意しなかった。
魚の目が少し白くなってきた。腹を触ると、朝より柔らかい。
「値下げしますか」とシャルナ。
「しない」
「捨てる?」
「販売時間が終わったら」
最後の一尾を安くすれば、その時間まで待つ客が出る。値下げ自体が悪いわけではないが、鮮度の落ちた魚を値段だけで売り切るやり方は始めたくなかった。
鐘が鳴った。
宗久は魚を棚から下げた。
「まだ食べられる」とデレス。
「店の商品として決めた時間は終わりです」
「俺なら家で焼く」
「俺たちも、まかないで状態を確かめます」
販売は三尾。残り一尾はネネが焼き、従業員全員で少しずつ食べた。匂いも味も問題ない。ただし、朝の試食より身が柔らかくなっていた。
「捨てなくてよかった」とリリア。
「毎回まかないにする前提では仕入れない」と宗久。
次回も四尾。販売終了は鐘二つまで。三回続けて完売したら一尾増やす。
魚売場が加わったことで、客の動きも変わった。魚を取った客が塩、香り草、金属鍋を見る。魚缶を買う客は乾麺としょうゆへ向かう。
「一つの商品が、三つの売場を動かしました」と雨宮。
「売上三倍に少し近づいた?」
「今日だけなら、前の平均の一・七倍です」
「数字で言われると遠いな」
閉店後、デレスへ魚四尾と冷え珠四個の代金を分けて払った。
デレスは二つの袋を受け取り、片方だけ数え直した。
「魚代は合ってる。冷え珠代が一枚多い」
帳面には四個。
袋には、銅貨五枚入っていた。
会計台で、また一枚が合わなかった。
シャルナは青ざめ、トトは自分の袋を裏返した。
「誰も帰らないでください」と雨宮。
少ない一枚だけでなく、多い一枚にも理由がある。
「合うまで全員で探します」とシャルナ。
「全員ではなく、触った人と記録した人で確認します」と雨宮。「ほかの人は閉店作業を続けてください」
一枚のために店全体を止めない。それも、店が続くための仕組みだった。
雨宮は会計台に黄色い縄を張り、確認が終わるまで誰も硬貨へ触れないようにした。
多すぎた一枚の行方は、次の仕事になった。
閉店後なのに、誰の顔にも気の緩みはなかった。




